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こころのなかに空席の椅子を置く ー『プリズン・サークル』の上映イベントから

 舞台上に椅子が6脚置かれている。
 登壇者が緊張した面持ちで座るなか、そこには誰も座っていない空席の椅子があった。
 「自分がここに座っているつもり聴いてください」
 打越正行さんは、そう語り、アフタートークがはじまった。

 2月。厚手のコートとマフラーで着こむなか、東京・町田市にある和光大学人間科学科の主催で映画『プリズン・サークル』の上映イベントがおこなわれた。

 『プリズン・サークル』とは、TC(Therapeutic Community)という更生プログラムを行なっている島根の刑務所を映すドキュメンタリー映画。受刑者たちは自分の経験を言葉にして聞きあうなかで、自身のおかした罪を見つめ、お互いに影響をうけながら変化していく。

 今回は和光大学に勤める社会学者・打越正行さんが企画した一般公開の無料上映イベントということで、卒業生がデザインしたイケてるチラシとともにTwitter(X)で呼びかけられ、80名ほどの幅広い年齢層の「学生」が学びのもとに集まった。

 そして映画の上映後、ジャズ研による生演奏、手づくりの豚汁&ドリンクのふるまいがあり、冒頭に記したアフタートークがはじまった。

 舞台上には、和光大学の学生3名と主催者の社会学者・打越正行さん、映画監督・坂上香さんの5名が座り、誰も座っていない椅子がある。
 「(トークに)自由に参加できる椅子です。 参加でなくても自分もここで聴きたいというひとはここに座ってください。とはいえ、なかなか前に出てきづらいとは思うので、自分がここに座っているつもり聴いてください」
 打越さんはそう言って、映画の感想からはじまるフリートークがはじまった。

 演劇の専門用語で「第四の壁」ということばがある。
第四の壁とは、俳優と観客を分けるように舞台と客席を隔てる架空の壁のこと。観客席と舞台空間を隔てる枠は物理的に開放されているものの、あたかもそこに壁があるかのようにふるまわれる。
 今回のイベントは、大学の大教室で実施されたので壇上がほんの少し高くなっているだけで、袖幕はなく、オープンな空間だった。
 しかし、このような舞台形式であっても、「登壇者/観客」という「見る/見られる」の関係は、登壇者と観客のあいだに線を引き、観客には第四の壁の向こう側(舞台上)でおこることを受動的に見るという参加態度を強いる。

 そのような設えのなかで、通常のトークイベントでは会場のリアクションをもとに進行していくことはあっても、客席からトークを遮って手があがることはほぼない。基本的には舞台から客席への一方向の場であり、主催者側も双方向のやりとりは想定していないため、観客からの応答は「質疑応答の時間に聞きます」「感想はアンケートに書いてください」等、限定した方法で受け付けることが多いだろう。

 だが、この日は、舞台上に空席があった。それだけで空席に座るという選択肢ができ、観客の参加態度に揺さぶりをかける装置として機能した。

 さらに驚くべきことに、3名もの方が椅子に座りにきた。見る/見られるの境界をこえて、あの場に出てくるということは、とても勇気あるアクションだと思う。なかでも和光大一年生のAさんが死刑制度についての問いを置きにきたことには痺れた。批評家目線で社会を斬るような主張ではなく、自分の現在地からもやもやと思考し続けていることがわかる問いだった。ほんとうにすごいと思う。

 境界をこえる人が出てきたのは、登壇者の学生たちみんなが映画のことをしっかりと受けとめながら、お互いの話を丁寧に聴き、頭をかきながら自分の言葉を紡いでいたからだ。
 彼らは、よくある「学生枠」として連れてこられたのではなく、打越さんが関係をつくってきた人たちだった。普段から打越さんが学生たちのおもしろさに賭け、安全な場をつくってくれているという前提があったからこそ、学生たちは初見の映画のフリートークなんて恐ろしい場でも対話の波に身を委ねられたのだと思う。

 わたしはというと、空席の椅子を見て、自身の参加態度を揺さぶられると同時に、この場にいないひとの存在を考えていた。
 それは映画に登場する彼だったり、犯罪者に極刑をのぞむあの人だったり……、さまざまな顔を思い浮かべていた。
 あの人がここにいたら、わたしはなにを話すだろう? どう応答しているんだろう?
 これは「多様な視点、批判的思考で考えましょう」とか、反対の立場だったらどう考えるのか、と思考実験することとも違う。固有の人生をおくる、あたたかい生身の人が隣に座っていることを想像し、そのうえで打越さんのことばをかりれば「恐れをもちながらも言葉にしていく」ことについて考えていたのだった。
 いつも他者と関わるときに心に留めているのは「他者の靴を履くこと」だ。これはブレイディみかこさんのお子さんが「エンパシー」のことを言いあらわしたことばだが、これに加えて「自分の隣に空席を置くこと=他者と居合わせながら、聴き、語っていくこと」についても大切にしていきたいなと思った。

 ところで、わたしは普段、コーディネーター/ファシリテーターとして、あいだを結び、場をつくる仕事をしている。
 でも、はたしてこういう空席の椅子を用意するような仕事ができているんだろうか?
 あれからずっと自問している。

 当然だが、今回のようなことは空席だけ用意しても起きない。
 呼びかけのメッセージ、卒業生がデザインしたチラシ、あいさつ、映画をみんなで観ること、豚汁・ドリンクなどのふるまい、トークに出演する学生のジャズ演奏、学生が主役のトーク、そして集まった人たち……
 さまざまな要素が織り重なり、場がつくられていく。

 今回は『プリズン・サークル』に出てくる犯罪をおかした人たちを、塀の向こうに押しやるような理解ではなく、自分と地続きな存在として考えていくために、会場全体をまきこんだ学生との対話の場と空席の椅子をつくったのだと思う。
 監督とのクロストークにすれば、事前に用意してきたメッセージをすべて伝えられるはずだが、それだと「トークショー」になってしまう。和光大学という場だからこそできる手段がある。

 アフタートークのあとは、残ったひとたちで焼きそばをつくり、お腹いっぱい食べ、円座になって、訥々とした語りを聴きあうアフターアフタートークをした。さらに話し足りない人たちでアフターアフターアフタートークをして、日本酒とワインが何本もあいた。いい夜だった。

* * *

 3月、庭のミモザが綺麗に咲いた。
 植えた経緯は、以前おこなわれた『プリズン・サークル』の監督・坂上香さんと打越正行さんのクロストークの感想に書いたので、読んでいただけたらうれしい。

 2年目ということもあり、樹形はまだ不恰好だったが、たくさん花がついた。このまま鑑賞するのもいいが、せっかくだからと花束をこしらえてご近所さんに配ってまわり、道路にもテイクフリーとして置いてみた。ちょうど通りがかった方と話が弾み、ひとつはその方の家にいき、残りも夕方にはなくなっていた。

 わたしと他者のあいだを隔てる壁(ミモザ)が、あいだを行き来する存在になっている。
 壁を行き来するのは、そんな簡単なことではない。でも、日常生活からささやかに実践していけたらと願って少しずつ試みていきたい。

 2024年4月
 あのとき椅子に座らなかったわたしなりの応答として

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