見出し画像

ごちそうがききたくて。そこまで、待てない。

初版1992年。栗原はるみさんの著書。いつの間にか家にあり、幼いころからよく目にしていた本です。素敵な本です。

あの頃は、お母さんというものはごちそうさまがききたくて、ご飯を作りたいと思うのだなぁと、ぼんやりしながらもほんわかな気持ちで子ども心に受けとりました。

そんな子どもも大きくなり、日々のご飯を作るようになりました。なんででしょう、どうしてでしょうか、何やら悶々とします。

これは、私の器量の問題なんだと思うのですが、ごちそうさままで待てないのです。やはり、ひと口ご飯を食べたならば、何か一言口に出してほしい。別に、無理して美味しいと言ってほしい訳でもない。塩っぱい、まずい、いつもと違う、なんでもいいの。

なんならば、食卓にご飯が並んでいる時点で、まずは何か一言言ってほしい。おっ、とか、あっ、とかでいいんですよ。そんなに難しいことは求めていない。さすがに、口に入れる前に、いきなり一発目からネガティブワードを言われるとそれはそれで、あれなのですが・・・。

黙々と食べ進めること、食べっぷりで伝えることでわかるでしょは、やりがい搾取ではありませんか。と問いを立てたい。

箸の持ち方、お皿の使い方ばかりがマナーではないと思うのです。食卓を囲んで食べるということは、穏やかな楽しい食卓にするというそれぞれの思いやりで成り立つのだと、かあさんになり感じる次第であります。

自分だけが食べる物を作るのと違い、誰かが食べる物を作るというのは、それなりになにかしならの労力や想いがプラスでかかっているのです。

立場が変われば、自分も反省するところありありですが・・・。食卓に、目の前に、ご飯が出てくることって、結構すごいことなんだと、出す立場になって気づけるのですね。今まで本当にありがとうございます。

うちのみなさん、同じ釜の飯を食べるのであれば、そこんところ、よろしくお頼み申し上げる。

なんだかんだと勝手を言いますが、食べたいと言ってくれる人がいることは、嬉しく思っています。ありがとう。



この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?