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見解1『おもひでぽろぽろ』タイトル画面の意味

この見解のマガジン(全9話)は

はじめましてKakanと申します。

高畑勲が鬼才と呼ばれる理由。

それは遺作「かぐや姫の物語」を観てもよくわかります。

しかし同じ鬼才が手掛けたこの「おもひでぽろぽろ」は、子供の時に観てあまり面白い印象がありませんでした。

大人になった今、このあまり考察されていないこの映画を紐解く事で、新たな発見やこの映画の面白さ、鬼才と呼ばれる理由に気付けるのではと思い、あえて個人的に徹底分析に至りました。

いざ観てみるとそれは「かぐや姫の物語」の様に壮大で、

ひとつひとつの動き耳を澄ますと微かに聞こえる鳥の囀り

音楽洋服、時には日本文学風俗などに繋がる深い意味が全てに施され、

登場する全ての物や人に命が吹き込まれている事に気づく事が出来ました。

また、日本や世界の童話や民話、歴史などからストーリーを構成している事もわかりました。

この1982年の7月に日本で起きている社会問題、『過疎化』や『後取り問題』、『人手不足』の他に『ジェンダー』な問題にも触れています。
当時の田舎は都会に出たがる若者が多く、こうした問題を抱えている田舎に東京に住む27歳の女性が田舎に触れるお話です。
上映された1991年も同じ様な状況下であった事を前提として読んでいただけると幸いです。
また1966年、主人公が10歳頃の思い出にも同様たくさんのメタファーが隠されているのでぜひ最後までお付き合いください。

では本題に入りましょう。

まずは映画の顔、タイトル画面から紐解いて行きましょう。

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タイトル画面は懐かしい駄菓子屋の様な文房具店です。

何故か?

それはタエ子が探し求めていた疑問の答えにあります。

『田舎とは何か?』です。

これはトシオが「田舎」発言を連発するタエ子にしっかりと答えてくれています。
分かりやすくもっとも重要シーンですよと言わんばかりに高畑監督はトシオに車の鍵を握り返させます。ちなみにですがこの様な『鍵を握る』の様なことわざにかけたシーンは他にもたくさん出てきます。

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蔵王の帰りに

『田舎とは自然と人間の共同作業』と答えています。

防風林とか水を引っ張る小川など、田園風景は人と自然が調和してできているんだよっという話です。

それに対しタエ子はこんな解釈をしています。

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『そっか…それで懐かしんだ。生まれて育ったわけでもないのに、どうしてここが故郷って気がするのか、ずーっと考えてたの。ああ…そうだったんだ』

これは田舎とは何か?の疑問とは微妙に違うと思いますがタエ子は終始、
このような一方的な会話をしているので何故かしっくりきてしまいます。

実はこの解釈がタイトル画面に詰まっています。

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タイトル画面を見ると「河北(かほく)文房具」と書いてあります。
山形県河北町。
舞台の山形市の隣の隣です。
タエ子が子供の頃に見たのは東京ですから子供の頃に見ていない山形の文房具店なのです。

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アベ君のエピソードの際、商店街にさくら堂という文具店が描かれているのにです。(ちなみに高畑監督がさくら堂に注目出来る様、このシーンでは2人の女学生が動いて文房具店だというヒントをくれています)

『生まれて育ったわけでもないのに、どうしてここが故郷って気がするのか… 』

この作品は描き方として大きく分けて2つの描き方が存在します。

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1つはほうれい線などをしっかり描くリアリティーな現在を描く方法と。

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もう1つは周りやコントラストを薄く描く思い出風の描き方です。

このタイトル画面は、思い出としての技法で描かれています。

子供の頃見てないのにです。

物事を表面的に捉えてしまうタエ子の思考そのものがタイトル画面になったのがよく分かります。
逆に物事の内側は何を指しているかと言うと、田舎や農業が抱えるこの頃の問題などを指しています。
つまり先程言った『過疎化』や『後取り問題』、『人手不足』などです。
他にもタエ子の小5の頃から今も直っていない『悪い習慣』なども含まれているのですが、その説明は他の回でさせていただきます。

ちなみに絵コンテ集を見ると分かるのですが、この絵は本来『パイナップル』のエピソードで欠番(ボツ)になったシーンを使いまわしています。
絵コンテの段階では東京の文房具店の設定で、看板は空白になっています。
後で「河北文房具」と書いて山形の設定にしたのが分かります。

次回は主人公、岡島タエ子に迫っていきたいと思います。
お楽しみに!


次回は
見解2『おもひでぽろぽろ』 タエ子は源氏物語がモデルだった


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