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「自分」という「パズル」

noteを書きながら ふと思った。
書くことで「自分」と対話しているんだなと。
そして、このnoteは自分自身に向けて書いているのだと。 
他の誰でもない「自分」に向けて書いている。
いちばんの読者は「自分」なのである。
だから自分が書いたものを何度も何度も繰り返し読んでいる。
「スキ」の数以上に読んでいるんじゃないかと思うぐらいである(笑)
だから自分が読みたいことを書けばいい。
「自分」という読者に向けて。


そして、もはやnoteは自分の一部分と化している。
「自分」というものは「自分のことば」で、できているのではないか。
noteの記事が、写真が、ことばが、
「自分」を構成するパズルの1ピースである。 
「自分」というパズルは「未完」であり、
完成の目処はない。
何だか途方もなく思えてくるが、「未完」ということばは可能性を秘めた感じがあり、好きである。
(食べるみかんも好きだが)


いったいこの文章の中で「自分」ということばを何回使ったのだろうか?
「やれやれ」である。
(村上春樹作品によく出てくるフレーズである。)


今日一日誰といちばん対話した?
「自分」である。
「自分」との対話は一生続く。


様々な人のnoteを見て思う。
みんな「自分」と対話しているんだなぁと。
そのことが何だか嬉しくも感じる。
何だか「仲間」のような感じである。


そんなわけで今日もnoteを書いている。
(自分で自分に突っ込みながら…)

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