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これからの子育て、「自由な教育」ってなんだ??どうしたらいいんだ??


青山さん、ありがとうございます。おかげで自分のこれからの教育に対する考えを深堀することが出来ました。コメントに丁寧に返信してくださって感謝しています。

この記事で、私の頭の中の整理をしたいと思います。


子供の懇談会があったり、小さい用事が重なって時間の余裕はあまりなかったんだけど、やっぱり私の中で子供の教育って優先順位1位ですね。もう気になって気になって。。。笑。私って教育オタクなんだなと思いました。

きっかけとなった記事はこちらです。

青山さんが冒頭にこんなふうに書かれていました

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今回は最近教育界わいで起こっている「対立」について考えていきます。
その「対立」を超ざっくり言語化すると、

教師主導 vs 子ども中心
教師が管理 vs 子どもの主体性
教える教育 vs 教えない教育
伝統的な一斉指導 vs 個別最適化された指導
詰め込み型教育 vs 自主性や興味関心を基礎とする教育

…こんなところでしょうか。単純な二項対立の構図になってしまうことが多いのは残念ですが…。

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どっちの方が良いとか悪いとかではないと感じます。ただ教育の中に正反対の方法が存在しているということです。それぞれの子供に合わせた教育をするために色んなパターンが存在しているのだという良い見方もできるかもしれません。

そして自分の子供が「問題があったときに自分で解決策を考えようとする大人(解決できるかどうかは別の問題で、考えた上で逃げるっていう選択も出来たらいい)」になれるように育てたいと思っているので、私は何を選択すればいいのか?と思ったのです。感じるままに自由に教育していた自分の中の教育レーダーがピコピコなりました。


明治時代から150年変わることがなかったと言われている今の公教育は、実は大正時代におかしいと気付いていた人たちがいて、でも変革できなかったという事実も衝撃的でした。実践の場にいらっしゃる青山さんの葛藤とも感じる「そんなに簡単ではない」ということも、ちょっとショックでした。

だから乗り越える何かを考えられるのではないかと、乗り越えてやりたい!!と強く思いました。私、こういう逆境が好きなんです。笑。


原点から考えます。

ネットで調べたら、「教育とは教えて知恵をつけること」だそうです。だから教えるってことが前提なんだけど、1から100までちゃんと理解してるかどうかは関係なく、とりあえず一方的に教えるっていうのが今の日本の教育です。こないだ担任の先生にお電話いただいたときに「授業はつながってるので、休んで途切れるとわからなくなる恐れがあります」って言われたんだけど、長女が理解してなくても先に進みますってことだよね。

「教師主導 vs 子ども中心」は、子供中心が良いと思う。

もう、勉強を教えるのは先生じゃなくてEラーニングで良いんじゃない??わからないから先に進むってこともなくなります。忙しい先生の時間を同じ内容を説明するために使わなくて済むし。。。子供のために教育するんだよね??と思っています。

「教師が管理 vs 子どもの主体性」は、バランスが必要 

じゃあ先生はいらないのか?というとそんなことは全くなくて、学習の管理は先生の仕事なんじゃないかなと思っています。出来る子にはどんどん、まだ理解してない子には補足をして、必要な知識をちゃんと履修が出来た状態で卒業するのが理想です。

青山さんが言う「自立した学習者」にするために教育をするのですが、最初から自立させるのは無理だなと思っています。自立の仕方は教える必要があるのじゃないかな。子供に気持ちの感じ方を教えてあげないと、感情と行動がちぐはぐになることがあるように、自立の仕方も失敗を繰り返して見守って習得するのを待つのが良いのかなと思いました。自分で学習できるようになるまでは大人のサポートが要りますが、何をどれだけ学習したいかは子供が決められたらいいなと思うのです。私は、子供の未来のために教育を受けさせたいので。。。


教える教育 vs 教えない教育 もバランスが大事

長女は文字が苦手です。1年生も終わりに近づいていますが、教科書の音読は怪しい。。。文字もキレイに書けません。しかし、図工と理科、算数も多分得意だと感じます。こういう場合、国語は教えてあげないと永遠に出来ないと思いますが、小1で授業がない理科は「?に答える小学理科」という本を試しに買ってみたら、目をキラキラさせて見ているのです。「読めへんねんけど、多分知りたいことが全部書いてある気がするねん」と言っています。読めないのに読もうとしているのです。こうなったら全部は教えなくていいし、先生はわからない部分の説明と正しい知識が定着しているかどうかの確認だけで良いと思うのです。長女は理科に関してだけ、青山さんの言う「自立した学習者」になっています。ちょっとずつ図工も、算数も、と教科を増やしていければ理想です。中学卒業までで自立して学習できていれば良いかな。その後好きな勉強が出来る学校に行ってくれたら本人も楽しいだろうなと思っているのですが、いつまでに自立させるかも重要ですね。

教えない教育と言っても、種をまく必要はあります。子供が自分で種を発見するのはレアのように感じます。


伝統的な一斉指導 vs 個別最適化された指導

伝統的な一斉指導にもメリットがあると思っています。友達の様子から刺激を受けて勉強する気になることもあるからです。ただ内容がわからない状態や欠席しても授業が進むのは、自己肯定感の低下につながるのではないかと思っています。「あなたはいてもいなくてもどっちでもいい」という教師からの無言のメッセージです。社会では自分はさほど重要じゃないんだなと気付いて救われることもありますが、子供はそうじゃないような気がします。じゃあどうすればいいのか。。。

私の答えはありません。というか授業をしたことがないので、わかりません。でも、やりたいことができるN高はとても魅力的に見えています。


詰め込み型教育 vs 自主性や興味関心を基礎とする教育

教える教育vs教えない教育と似ていると思います。でも読み書きそろばんのような勉強をするための勉強は、詰め込んでやらないと自分のやりたいことも学習できなくなるので。。。これもバランスが大事としか言えないです。長女は学校の勉強が嫌いですが、探求学舎の勉強は好きなようです。探求学舎の勉強を勉強とは感じていないようで、勉強(学校で受ける授業)は嫌いだと言っています。同じ詰め込むにしても、詰め込み方が重要ではないかなと感じます。

それにしても、小1が「勉強は嫌いだ」と言い切ってしまう今の学校の教え方は問題があるよ。。。なんとかならんかな。



と、長々と自分が考えたことを書きましたが、これがこれからの教育のベストとは限りません。そして私は専門家ではないので根拠もありません。


なんだか偉そうに色々と書いてしまいましたが、私が日常で面倒みているのは自分の娘2人だけです。だからバランスが大事と簡単に言えますが、学校の先生は人数の多いのでバランスを取ることも大変です。こちらでバランスを取ろうとすると、あちらでバランスを崩して手を掴んでくる子供もいるはずです。前例もあまりないので、日々手探りで頑張っていらっしゃるんだと思います。

以前、苦手なことはどこまでフォローするのかという記事でも書きましたが、自由な教育のひとつであるどこかのサドベリースクールは「20歳になっても文字の読み書きができない状態になるかもしれません。それでも子供の意思を尊重する覚悟はありますか??」と、親が問われるそうです。極論だとは思いますが自由な教育ってそういうことです。

だから「自由」と「教育の質」の両立の可能性を探ってくださる先生方には尊敬しかありません。もし可能な教育方法が見つかれば、大正時代の失敗も自由教育で起きる文字が読み書き出来ないかもしれないという弊害も乗り超えられるのです!!

自由な教育をしてくれる学校が増えていますが、青山さんが言うには、まだまだ発展途上中だそうです。

子供を自由な学校に入れたらそれで良いとかそういう単純な問題じゃないのです。多様な教育が選べるからこそ、子供にどうなって欲しいのか、そのためにどういう教育を与えたらいいのか保護者の学校教育に対する意識も変える必要があると感じます。


我が子はコスパが良いので公立の小学校に行かせていますが、母親がこんな感じなので週1で休んでいたり、家で探求学習のようなこともしています。ただの保護者が公立の学校を利用しながら、どこまで出来るのか。。。。乗り越えた姿をいつかお見せ出来たらうれしいなと思っています。

長文読んでくださってありがとうございました。

お時間あれば、青山さんのこちらの続き記事とそのコメント欄もみていただければ。。。と思います。


関連してそうな私の記事も集めてみました。ご興味がありましたら、どうぞ^^

小1長女が探求学舎の授業を受けた話
公立の学校に対する私の考え方
担任の先生にお電話をいただいて気付いた長女の自主性の話
子供に感情を教えて、それから親子で素直に話し合う話
早期英語教育の話(日本の英語教育の歴史はヒントになるかも)

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