見出し画像

【絶望三部作】『Evermore』第2章:台風(第3部:イタリア旅行記)

▼ 前章はこちら ▼

 
 旅の最後に訪れた観光地は、イタリア北部の大都市「ミラノ」だった。
 ふたりがこの街を訪れた最大の目的はプラダでもアルマーニでもドルチェ・アンド・ガッバーナでもなく、ルネサンス三大巨匠のひとり、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『最後の晩餐』に、” 挨拶 ” をするためだった。

「とうとう、来たね」
 興奮気味に、シュンは言った。
「ついに、だな」
 心なしか神妙な気持ちで、俺もそう言った。

 市街地をはずれ、ふたりが遥々やってきたこの場所は「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ」というカトリックの修道院だった。
 ゴシック・スタイルの赤茶色したドームがとても美しく、澄み切った秋の青空によく映えていた。
 この建物のかつての「食堂」だった場所に、レオナルドの ” あの名画 ” が、ひっそりと飾られているのだ。

 鑑賞は完全予約制となっているため、建物内への入場後は、指定の時間になるまで控え室で待機しなければならない。
 なんとなく落ち着かない様子で待機室をうろちょろ歩き回っているシュンは、
 「ねえ、有季ゆうき。見てよ、この手…」
 と、汗びっしょりのてのひらを俺に見せてきた。
 フィレンツェの『受胎告知』に ” 挨拶 ” をした時より幾分表情は柔らかかったけれども、彼は緊張のあまり、大量の手汗をかいてしまったようだ。
 そんな状態になるのも無理はない。
 待機部屋と厳粛な ” ダイニングルーム ” を隔てる重々しい扉の向こうには、あの気高い世界文化遺産が待ち構えているのだから。
 そして、かくいう俺もハイネックのセーターの下は、脇汗で大変なことになっていたはずなのだ。


 指定の時間を迎えた。
 社会科見学で訪れていた地元の小学生たちの無邪気なざわめきに混じって、俺とシュンはゆっくり「食堂」へ、足を踏み入れた。


 これが…、『最後の晩餐』か…。

 壁画の中央に鎮座する「イエス・キリスト」の周りには、12人の使徒が取り囲んでいた。
 大ヤコブはしっかり者の兄貴といった風格があったし、ヨハネは相変わらず、甘えん坊に見えた。彼はイエスのことが大好きで大好きでしょうがないのだろう。ペテロは冷徹と激情のあいだでぐらぐらと揺れ動いていたし、イスカリオテのユダは…。

 …、安らぎ、驚愕、悶絶、そして、狼狽…。

 人間が表現し得るあらゆる表情がこの15世紀のテンペラの海をゆらゆらと漂っていた。
 壁画に描かれたパンに魚、ワインに果実など、テーブルに雑多に並べられた食材には奇妙な規則性が宿っている。
 その配置に音が見えた。
 光は闇でにごり、闇は光に照らされている。なんともいえない不調和に、軽く眩暈めまいがした。
 きっとレオナルドの仕掛けたいたずらに、俺はすっかり翻弄ほんろうされているのだろう。

 シュンは隣でキリストのこめかみのあたりを一心に見つめていた。そして、彼の瞳には小さな金色が光っていた。

 ― もしかして、泣いているのか?

 彼の目にいこ緑柱石りょくちゅうせきは、切なくきらきらと汚れのないものだった。
 俺には決して感受できない抽象性を、彼は正確につかみ取っているように見えた。
 そして、その世界の入口に、シュンは健やかに入り込んでいる。

 これが、信仰心というものなのだろうか ―。


 レオナルドのマスターピースに彼の魂のいっさいがっさいを持っていかれそうだった。
 それほどの凄味すごみがこの絵にはあったし、なんだか少し、畏怖こわかった。

 約15分間の鑑賞時間を終え、修道院を出た後、「イタリアに来て、本当に良かったね」と、シュンは言った。俺も「そうだな」と言って、それ以上のことは何も話さなかった。
 彼はそれでいいと思っていたようだったし、俺もそうするのがいいと、思った。

*****

 出国前日の夜。

 ふたりはホテルに隣接している小洒落こじゃれたリストランテで夕食をとった。
 うず高くワインが並べられた酒棚の近くのテーブルに通され、ミラノで暮らす優雅なイタリア人に囲まれながら、タヴェルネッロで乾杯した。
 イタリア旅行の最後の夜ということもあって、奮発して高い料理と酒を頼んでしまった。
 終わりゆく旅の名残を惜しみながら、ポンペイの秘儀荘ひぎそうやフィレンツェのミケランジェロ広場からの素晴らしい眺めについてシュンと語らっていると、サフラン香る黄金色のツヤツヤとしたリゾットと古地図を広げたみたいな馬鹿でかいビーフカツレツがテーブルに届いた。

「やっぱりミラノと言ったら、” カツレツ ” だよね」
 サクサクサクと咀嚼音そしゃくおんを奏でながら、シュンはもりもりと健康的に大きな仔牛肉をぺろりと平らげた。そんな彼を見ていると「お前さんは、まだ27歳の若人なのだなぁ…」と、しみじみさせられた。40過ぎの俺はもう、そんなには食べられないよ。
 目の前に残った食べかけのカツレツを無言でシュンの皿へ乗せると、彼はにこにこしながら口いっぱいにどんぐりを詰め込んだリスみたいに頬張った。

 夕食後、ホテルに戻ると、ロビーを徘徊していた看板猫に「にゃあ」という鳴き声で出迎えられた。
 竹箒たけぼうきみたいなふさふさのしっぽをしたこの雄猫は、ミラノの宿にチェックインして以来、俺とシュンの束の間の ” 友人 ” でもあった。
 彼はシュンの脚の周りをくるくると回ってじゃれついていた。どうやらこのネコチャンは、ふたりが明日、日本に帰ってしまうことをすっかりお見通しのようだった。
 シュンは勝手に「ジョバンニ」とこの猫に名付けて、この上なく可愛がっていた。
 その名前を気に入ったのか、” ジョバンニ ” も、名付け親シュンにずいぶんとなついていた。「ジョバンニ、可愛いなぁ、可愛いなぁ」と微笑みながら、ふさふさの灰色の毛をわしゃわしゃとなでているシュンは、自分が猫アレルギーであることをすっかり忘れているようだった。
 彼にとって、この異国のネコチャンとのお別れは、きっと俺以上に辛いサヨナラだったに違いない。

 部屋に戻ったふたりは、帰国の準備に追われた。
 バックパックひとつで出かけたふたりの荷物はそれほど多くなかったはずなのに、旅先でもらった大量のパンフレットやチケットたちでいつの間にかぱんぱんになっていた。それらの仕分け作業に、かなりの時間をいた。
 ヴェネツィアで購入した ” あのグラス ” が入った箱は、ハイネックのセーターでぐるぐると包んで、バックパックの真ん中へ厳重にしまい込んだ。

 荷造りをしている間はイタリアで放送されているNHKのニュースをずっと流していた。
 まともに日本語を耳にしたのは一体、いつぶりのことだろう。アナウンサーが話す言葉が、なぜか異国の言語のように聞こえた。

「ねぇ、有季。さっきニュースで言ってたんだけど、僕たちが日本に着く日に、関東に大きな台風がやって来るみたいだよ…」

 荷造りをほとんど終えたシュンがそんな情報を俺に伝えた。
 彼の説明によると、約36時間後、千葉の房総半島付近に激甚災害級の台風が上陸するとのことだった。

 最後の最後にこれかよ…。

 正直、この展開を俺はすこし恨んだ。
 このままつつがなく旅を終えようとしていただけに、律儀にもこんなごたごたが結末にわざわざ用意されていただなんて…。
 だが、大自然が起こした仕業しわざなのだからこれはもう仕方がない。
 とりあえず飛行機は予定どおりに飛ぶようだし、旅行代理店からの連絡も今のところは入っていない。
 なるようになる、たぶんきっと、そういうことなのだろう。

 荷造りを終えたシュンが「じゃ、僕、先にシャワー浴びてくるね」と言って、バスタオルを片手に、浴室へと消えた。
 日本に帰れるか帰れないかの瀬戸際だというのに、呑気のんきに鼻歌なんか歌いながら、彼は一日の汚れをきれいさっぱり洗い流していた。

 彼が鼻歌で歌っていたのは、405番の讃美歌だった。

「俺も早く荷造りを終えて、シュンに追いつかないと…」

 ふと時計を見てみると、すでに午前0時を過ぎていた。それは日本時間で言うところの、同日午前8時頃のことである。

*****

★ お時間がございましたら、構想も覗いていってもらえると嬉しいです ★

もし、万が一、間違って(!?)梶のサポートをしてしまった場合、いただいたサポートは、なにかウチの「ネコチャン」のために使わせていただきたいと思います。 いつもよりも美味しい「おやつ」を買ってあげる、とか…^^にゃおにゃお!