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何故私はケアマネをやっているのか気づかされたお話

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

先週末にぎっくり腰になり、土日は自宅からほとんど出ることなく寝て過ごしました。

人は自宅に籠りきりでいると鬱っぽくなるもので、2日間で色々なことを考えました。

「私はなんでケアマネジャー(以下:ケアマネ)をやっているのか?最近心からケアマネを楽しめているのか?」という自問自答にも答えが見出せませんでした。

ぎっくり腰は安静を貫いた結果、普通の生活を送る分には問題ないくらいに回復しました。

とは言え今日は朝から数年ぶりに「仕事に行きたくない」という想いにもなり、回復したとは思えないくらいに身体を引きずる思いで出社しました。

鬱々を引きずったまま自問自答に答えられなかったことも影響していたのだと思います。

出社してからも周囲に鬱々とした状態を悟られないように出来る限り平常心を装い仕事をしていました。

今日は新規の利用者へアセスメントに伺う約束をしていましたが「こんな精神状態で行けるのかな?」と正直不安にもなりました。

でも不思議なもので新規の利用者宅へ伺うとスイッチが自然と入りました。

介護保険を初めて利用される90代の高齢夫婦のアセスメントを行っているうちにまたまた不思議と私の気持ちは晴れていきました。

「あっ。だから私はケアマネをやっているんだ」と新規の訪問終わりに気がつきました。

私は私の為にケアマネをやっている。


介護が必要な状態になった利用者・家族からお話を伺いながら、一緒にその方らしい自宅での生活について考える。

それまで一度もお会いしたことのない方の人生に触れ、その方の人生を想像し、目の前にいる利用者にとって何がベターなのかに意識を向ける。

その瞬間だけは私は自分のことを考えません。

利用者の「これから」について自分という存在を度外視して集中できる。私は自分という存在を無視できる瞬間が好きなのだと実感しました。

私は自己中心的な自分が嫌いです。私は自分のことばかりに意識を向けている自分が嫌いです。私は「私」について心の中で考え続けている自分が嫌いです。

だからこそ、私はケアマネとして利用者のことだけを考えている瞬間に唯一自分を忘れられる。

私が自分という存在を消して、自分がどう見られているのかという意識も捨てて、目の前の利用者・家族の過去、現在、未来にだけ意識を向けている時間が好きなのだと思います。

それが出来るのはケアマネとしての自分だけ。

だから私は私の為にケアマネをやっています。

私は利用者を救っているのではなく、私自身をケアマネという仕事を通して利用者に救って頂いているのだと自然と思うことが出来ました。

まだまだケアマネとして頑張っていきたいと思います。

今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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