界隈塾

宮台真司の界隈塾スタッフが運営。宮台先生が書かれた口上などを保存し発信していきます。

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最近の記事

史的唯物論の「上部・下部構造二元論」と社会システム理論の「コミュニケーション一元論」

2023年8月5日 文化主義という物言いはマルクス主義(に関わる論争)の残滓に過ぎない。経済的下部構造と文化的上部構造を分離、前者が後者を規定するのか(マルクス)、後者「も」前者を規定するのか(ウェーバー)、二十世紀半ばまで、とてつもなく長く議論された。そこではウェーバーの立場が「文化主義」と蔑称された。誤解し易いが、ウェーバーは下部構造と上部構造の双方向的な規定を主張していただけだ。 ウェーバー研究から始めた社会システム理論の創始者パーソンズも、AGIL図式で、経済的下

    • 『呪怨 呪いの家』:「場所の呪い」を描くJホラーVer.2、あるいは「人間主義の非人間性=脱人間主義の人間性」

      20.08.23【宮台原稿】リアルサウンド映画部 【90年代に「場所の呪い」が出現】  7月からNetflixのドラマ『呪怨:呪いの家』(以下、『呪いの家』)が配信中だ。三宅唱監督のこの作品は冒頭にナレーションが入る。「『呪怨』は実際に起きた出来事を参考に作られた。それらの出来事はある一軒の家に端を発していることが分かった。だが、実際に起きた出来事は映画よりも遙かに恐ろしいものだった」。ここでの『呪怨』は2003年のオリジナル映画(またはビデオ版『呪怨』2000年)を指す

      • Dommune「死に損なった二人のコンテンツ大学」番外 探偵小説の「哲学」 社会学者・宮台真司

        【「微熱の街」を召還した「紅テント」の唐十郎】 今年5月、唐十郎の追悼特集群に触れて落胆しました。何も分かっちゃいない。唐芝居の理解の鍵は「つまらなさ」。価値やイデオロギーを伝える新劇芝居へのアンチテーゼです。 どんなアンチテーゼか。正しかろうが間違いだろうが、規定可能なものは「つまらない=力を奪う」。規定不可能なものだけが「わくわくさせる=力が湧く」。 だから、言葉ではなく言外(身体)が重要で、それゆえ、ヘーゲル(全体)ではなくバタイユやレヴィナス(無限)が重要、つま

        • 死に損なった2人のコンテンツ大学(現実を夢のように生き、夢を現実のように生きる)~~第1回テーマ:「冷えた令和」から「微熱の昭和」へ

          第1回「前半」口上:歌謡曲の微熱 2020年冬から2022年夏までの2年半のコロナ禍。当初はリモートを嘆く声が専らだったが、リアル再開の頃にはリモートを望む声に反転した。反比例して、授業で歌謡曲を聴かせると「J-POPよりずっといい!」という学生が激増した。60年代後半のアメリカンポップスを聴かせても同じだった。どうしてなのか。 学生たちと討議して分かった。第1は「詩的言語」問題。16ビートにのせたJ-POPのリリックに比べ、8ビートにのせた昭和のリリックは情報量が半分。

        史的唯物論の「上部・下部構造二元論」と社会システム理論の「コミュニケーション一元論」

        • 『呪怨 呪いの家』:「場所の呪い」を描くJホラーVer.2、あるいは「人間主義の非人間性=脱人間主義の人間性」

        • Dommune「死に損なった二人のコンテンツ大学」番外 探偵小説の「哲学」 社会学者・宮台真司

        • 死に損なった2人のコンテンツ大学(現実を夢のように生き、夢を現実のように生きる)~~第1回テーマ:「冷えた令和」から「微熱の昭和」へ

          SUPERDOMMUNE第2回テーマ:「微熱の街」が消えたら「テンプレ」のBOTだらけに

          第2回「前半」口上:「微熱の昭和」が、「正しい令和」よりマシに感じる訳 前回は予定の半分しかできなかった。「微熱の昭和」をコンテンツから想像してほしくて、特 に阿久悠作詞の歌謡曲を聴いて貰った。そこに「願望→挫折→忘却→渇き→癒し」の構造を 見出せた。「癒し」は、「願望」を思い出し、願望を忘却しなかったらあり得た「もう一人の自 分」が隣りの世界線を並走する姿を、想像して、そこに飛び移る意欲を惹起する形だった。 「挫折」には「上京→不全→望郷→帰郷不全」という

          SUPERDOMMUNE第2回テーマ:「微熱の街」が消えたら「テンプレ」のBOTだらけに

          映画「ここにいる、生きている」と、バタイユと吉本の全体性  体験デザイン研究所・風の谷 第1回7/18 19時 by宮台真司

          長谷川友美監督「ここにいる、生きている。」(近日公開)解説 テーマは、世界中の沿岸部で生じている海の砂漠化(磯焼け)だ。原因は海水温の急上昇。百年オーダーで対処できない。切口は、天然昆布の枯渇と高騰だ。我々の生活形式が既に変容を強いられている。気付いているのは漁師とグルメだけ。程なく誰もが気付くだろう。 問題は、原生自然の間接化だ。分業編成の複雑化を背景に、経済を市場に閉ざされたものだと—「交換」で完結すると—観念してしまった。だが270年前のケネーと70年前のバタイユと

          映画「ここにいる、生きている」と、バタイユと吉本の全体性  体験デザイン研究所・風の谷 第1回7/18 19時 by宮台真司

          体験デザイン研究所・風の谷第1回イベント「原生自然と人」7/18 19時~ ことカフェ(西荻窪)口上4「屋上に上がって同じ世界に入った者が手を携えて地上に降り立つ」 by宮台真司

          80年代半ばまでは、どんな団地も、校舎も、社屋も、伴がかかっていなくて、屋上に昇れた。屋上に昇ると、今と違って高層建物がなかったので、地平線まで見晴るかせて、ぼわーっとした街頭音を聴けた。そこに行けば、地上を生き辛い「同類」を見付けられた。 僕は、中学高校紛争後の学校が生きづらかったから、体育館の壁面にある非常階段をいちばん上階の踊り場まで昇り、弁当を食べたり、本を読んだりした。同じ場所に時折訪れるNと親友になって、一緒にアマチュア無線技士の免許を取り、そこで無線交信をした

          体験デザイン研究所・風の谷第1回イベント「原生自然と人」7/18 19時~ ことカフェ(西荻窪)口上4「屋上に上がって同じ世界に入った者が手を携えて地上に降り立つ」 by宮台真司

          体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上3「共同身体性がないと、仲間も恋人も家族もできない」 by宮台真司

          93年に東京都立大学に着任した途端に或る体育会系サークルの部長が研究室を訪れた。インターハイを目指した合宿が成り立たなくなった。協働的・共同的な達成を目標に出来なくなった。強化合宿に誘っても「フィットネスのために入ったので」などと断られるのだと。 このモードは今も変わらない。その20年前。73年に僕は麻布中学の空手部に居た。夏休みには志賀高原で合宿。冬休みと春休みは校内合宿した。雪降る中で砂場に水を張り、腰まで使って組手した。夜中にこむら返りする者も出たが、合宿終りには共同

          体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上3「共同身体性がないと、仲間も恋人も家族もできない」 by宮台真司

          体験デザイン研究所「風の谷」第1回イベント 「原生自然と人」口 上 2 「遠くは近くにある」 by阪田晃-

          幼ないころ、森を歩いていると、この森はいったどこまで続いているんだろう、それはもはや永遠のように感じられ、ワクワクと畏れが混在し、なにか深淵を見たような、不思議な感覚に襲われたことを覚えています。遠くに仲間の声が聞こえて、森に飲み込まれずに戻ることができました。 草木の香りや、太陽の輝き、風の音や月明かりの夜の音。父や母、兄弟がそこにいて、同じ世界を体験している。近所の子どもと-緒になって遊んだ記憶。おもしろいおじさんがいたり、やけに色っぽい女の人がいたり。そんな記憶が身体

          体験デザイン研究所「風の谷」第1回イベント 「原生自然と人」口 上 2 「遠くは近くにある」 by阪田晃-

          体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上1「恐いけど恐くない」 by阪田晃一

          今回は、復興支援ではなく、「原生自然と人」がテーマです。「原生自然」をとりあえず「手付かずの自然」とします。そんな場所を旅することを「遠征」と呼びます。今回のゲストの森本さんはいま仲間とカヤックで「手付かずの自然」を目撃できる知床の遠征に出掛けています。 というと、皆さんは「手付かずの自然」を消費対象として捉えて、消費はいいけど自然破壊しないで…という文脈に回収しがち。「原生自然」という場合、「万物の源である法外な贈与&剥奪」ならびに「我々が部分に過ぎないがゆえに規定できな

          体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上1「恐いけど恐くない」 by阪田晃一

          なぜ社会学でなく人類学にワクワクするのか—若者は社会学ではなく人類学を目指せ—

          2024年6月29日作成 【第2回界隈塾(7/21)のための口上】 1990年代に表現の意味論は認識論から存在論へ梶を切る。存在論的転回と言う。著作としては90年代前半のダン・スペルベル『表象は感染する』(原著1994年)と、ブリュノ・ラトゥル『虚構の「近代」』(原著1991年)が嚆矢となる。 1次近似で言えば、各々表象(文字記録)とモノ(加工品)の疫学的な増殖・変異・淘汰過程に注目。ヒトの役割を主体から媒介者に降格させ、ヒトの集合をシャーレの寒天培地とした、細菌のマク

          なぜ社会学でなく人類学にワクワクするのか—若者は社会学ではなく人類学を目指せ—

          界隈塾口上&荒野塾資料|戦後サブカルチャーのコード&モード

          2024年6月12日 先日のNo.0に続き「界隈塾」No.1が本格始動します。今回のテーマは「微熱の継承」です。以下は長い長い口上です。ふるっての御参加をお待ちいたします。 ~~ 戦間期以降の大衆文化・若者文化を論じた、93年上梓の『サブカルチャー神話解体』と、93年に赴任した東京都立大学で30年間続けた、93年以降講義時点まで論じた「社会意識と社会構造」とで、一貫してお伝えしてきた通り、若い世代のコミュニケーションコード(何を快・不快とするかの二項図式)が5年から10

          界隈塾口上&荒野塾資料|戦後サブカルチャーのコード&モード

          第1回界隈塾口上 短編映画「転校生」、“Exit Strategy"

          2024年6月11日 なぜあなたはつまらないのか? えっ何のこと? そう思う人に以下の文章を捧げます。ピンと来なかった人は参加しないでください。ただし「だけど、どうしてもピンと来たいよ」って人は参加してもかまいません。 〜〜 短編映画「転校生」2012 https://youtu.be/UPP018kEk58?si=mi0dENjv03NeTk1C やばい。素晴らしい。刺さりまくる。「ついてくんな」というセリフが何回も何回も。「ついなくんな」といいながら最後に「ふりかえ

          第1回界隈塾口上 短編映画「転校生」、“Exit Strategy"

          宮台3塾の目的と界隈塾のコンセプト

          2024年5月25日 宮台3塾は、カルチャーセンターのように専門知を一般人向けに噛み砕く教養講座でも、合理的に行動できない無知蒙昧を啓蒙するものでも、ありません。単なる知識は行動に結びつかないガラクタ。でも内から湧く力だけでも行動を誤る。内から湧く力と知識とが結びつく「知恵」に照準しますが、万人に知恵を受け渡す「啓蒙」を意図しない。社会と人の劣化を踏まえれば無理だからです。 あらゆるものの全体(ピュシス=万物)を⟨世界⟩と呼び、コミュニケーション可能なもの(人とは限らない

          宮台3塾の目的と界隈塾のコンセプト

          界隈塾が目指すもの

          2024年4月13日 【界隈塾は何を目指すものなのか?】 定年退官後の宮台ゼミは、学問を深掘りする「思想塾」、社会という荒野を仲間と生きる実践を学ぶ「荒野塾」、学問分野と実務分野に拘らず⟨そばにいて力が湧く存在⟩が繋がって点と点を結び面(網)にする「界隈塾」の、3本立てで参ります 「思想塾」は、深堀TVで謝罪論に御出演いただいた古田徹也東大教授の、院生でありつつ長くゼミ長をしてくれた花澤創一郎君と早稲田大学のミズサー界隈(ぬかるみ派界隈)の極めて優秀な参加者たちを中心に毎

          界隈塾が目指すもの