第1回界隈塾口上 短編映画「転校生」、“Exit Strategy"

2024年6月11日

なぜあなたはつまらないのか? えっ何のこと? そう思う人に以下の文章を捧げます。ピンと来なかった人は参加しないでください。ただし「だけど、どうしてもピンと来たいよ」って人は参加してもかまいません。

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短編映画「転校生」2012
https://youtu.be/UPP018kEk58?si=mi0dENjv03NeTk1C

やばい。素晴らしい。刺さりまくる。「ついてくんな」というセリフが何回も何回も。「ついなくんな」といいながら最後に「ふりかえって」終了。呆然とした…。

つまんない高校生活とつまんない田舎の風景。うんざりしている主人公女子。そこに変な転校生女子がやってきた。彼女も激烈につまんなそうにしていた。

主人公はなんかワクワクして転校生につきまとう。転校生(万年転校生だとあかされる)はウザがって「ついてくんなよ!」。何度も何度も繰り返される。

主人公が「お姉ちゃんのノートがあるから、それをうつせばテストの事前予想できるよ」と。転校生は主人公の家でノートうつしを繰り返す。会話はゼロ。

でも、あら不思議。2人は「同じ世界」に入ってる。互いに「にくからず」思い合う感じに。観客の僕は「なんか思い出す」ところがあって引き込まれてしまった。

そうしたら転校生はまたどこかへ転校とのこと。教室で最後の挨拶。「せいせいした」。学校を後にして主人公にいわく「ついてくんな」。で振り返って終わる。

担任の男教員は、絵に書いたような「凡庸な、いい人」。誰もが言うことしか言えない。「いい人」だから主人公と転校生にひたすら「つまんなさ」を刻んじゃう。

「なんか思い出す」とは? 93年、青森の援交調査で似たことがあった。「ついてくんなよ!」「行かないで、してもいいから」「する訳ないだろ、調べてるだけだ」「やだよ!」。

4tトラックを畑の真ん中で駐めた。「なんで無茶を言う?」。気持ちを教えてくれた。つまんない。上京したい。でも行方不明の先輩も…恐い。だからまた来て。

隣の芝生が青いだけ。東京もつまんない。耐え切れずに地方を調べてる。最初は好奇心だったけど…。番号をくれたが中3だったから捨てた。心が痛かった。

翌日19歳大学生と会った。調査のつもりだったけどやめた。ナンパに切り替えて朝から晩までした。互いに飲み物を口移し。僕を両親同居の家まで送らせた。

「いつもしてるの?」「はじめてです」「よく分かんないな」「一目で好きになりました」「…気持ち伝わってたよ」「でももう会えませんよね」と泣きながら降車した。

東京の匂いがすると彼女は言った。青森の匂いがすると僕は言った。「青森はつまらないです」「東京だってつまらない」「そうなんですか?」「嘘言ってどうする」。

初めの「瞬間恋愛」。つまんない田舎。東京に憧れて転校生(旅行者)についてくる。東京もつまんないよ。つまらない同士「同じ世界」で一つに。心が痛かった。

恐らく多くの人が似た体験を「思い出す」はず。もしかするとキミもそうかも? そう思って新幹線に乗ったかも? そして僕の「つまんなさ」を感じてくれたかも?

たぶん出口なんてない。でもこうしてハグしてるのが出口なのかな? 出口だと思えるだけかも。でも出口だと思えることが出口なのかな? よく分からない…。


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「ここではないどこか」に行けそうなのに「どこにも行けない」。そんなとき、キミはどうしたらいいんだろう? なぜ若松孝二作品の脚本が「出口出」名義なのか。

関連する動画をリンクします。日本語字幕版を私的に作成済みですが、権利上リンクできるのは英語版です。英語でOKな人は必ず御覧下さい。これも超傑作。

Sci-Fi Short Film “Exit Strategy" 2018
https://www.youtube.com/watch?v=2roa2AhhgbM

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Exit Strategyは、「出口を求めないことこそが出口戦略だ」とする作品です。「ここではないどこか」を出口として求めても、結局「ここ」に戻るのだからと。

タイムループだからと解釈するのは足りません。なぜ無数にループしても、望んだ結果が得られない「と弟が解釈するのか」が、本作では問題になっています。

だからハイデガーの如く「ここではないどこか」に行けた途端、そこが「ここ」になってまた新たに「ここではないどこか」を求めるだけだからだと解せるのです。

というのは、ラストシーンで、弟が「ここ」を味わおうではないか、「ここ」を味わうとは兄弟の戯れを味わうことではないかと、肚を括ってみせるからです。

「ここではないどこか」とは、実数real numberにおいて別の場所を探すことでなく、「ここ」を読み替えて2人だけの空間として想像的imaginaryに生きること。

つまり「ここ」という実数real numberに、虚数imaginary numberを重ね合わせて<ここ>として生きる。そんな複素数complex numberな生き方を決断するのです。

2人だけの空間とは何か。弟は「もし一緒に居つづけられたらと思いつつかなわないことが、永遠の輝きを可能にするのだ」と気付いたのだということです。

弟が「言葉・法・損得」へと閉ざされた存在から、「言外・法外・損得外」へと開かれた存在になった瞬間でした。それが「ここ」から <ここ> へという飛躍でした。

青森で出会った人たちは「私をここから連れ出して」と請うていました。でも、それは別の場所に行くことじゃないんだよと僕は語ろうとしていました。

そうじゃなく、心から愛する人を見付けて「ここ」を<ここ>にするしかないんだよ、それが出来ないことがキミを「ここ」に閉じ込めて力を失わせてるんだよと。

もっと言えば、「もし一緒に居つづけられたらと思いつつかなわないことが、永遠の輝きを可能にする」という瞬間恋愛も、「ここ」を<ここ>にしてくれるよ。

思えば、誰かを愛することは、死別を含めて例外なく「もし一緒に居つづけられたらと思いつつかなわないこと」だよ。それを弁えれば「ここ」は<ここ>になる。

「ここ」から<ここ>へと飛躍することが今は本質的に難しくなっていることこそが問題なんだよ、と僕らを説き伏せるのが、Exit Strategyという作品でした。

大学で数学の天才として名を馳せた弟の表情がとても大切です。計算的知性の権化みたいな無表情が、最後に兄を心から慕い愛する表情へと和らぐのでした。

僕はいろんな場所で「ないものねだりから、あるものさがしへ」と語ってきました。「まちづくり」がことごとく失敗する理由も、それに関係しています。

「あるものさがし」は、「ここ」だけではあり得ない。「ここ」を複素数化した<ここ>で初めて可能になるものです。それは「空間」と「場所」の違いと全く同じなのです。

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