界隈塾が目指すもの

2024年4月13日

【界隈塾は何を目指すものなのか?】
定年退官後の宮台ゼミは、学問を深掘りする「思想塾」、社会という荒野を仲間と生きる実践を学ぶ「荒野塾」、学問分野と実務分野に拘らず⟨そばにいて力が湧く存在⟩が繋がって点と点を結び面(網)にする「界隈塾」の、3本立てで参ります

「思想塾」は、深堀TVで謝罪論に御出演いただいた古田徹也東大教授の、院生でありつつ長くゼミ長をしてくれた花澤創一郎君と早稲田大学のミズサー界隈(ぬかるみ派界隈)の極めて優秀な参加者たちを中心に毎週営まれ、宮台は前3週分の煮詰まった議論を踏まえた4週目の総括討論に参加して詳細な見解を披露します。

「荒野塾」は、30年間担当した講義「社会学原論(社会システム論)」と「社会意識と社会構造(戦間期以降の漫画・映画・音楽・少女文化・性的表現の約7年毎のコード変化メカニズム)」を引き継ぎつつ、主に96年以降の「感情の劣化」に関わる理論と実証を、まちづくり・祭り・教育等に関わる実践家の指針になるように供するものです

この口上を寄せる「界隈塾」は、宮台ゼミに人類学者奥野克巳教授が幾度か参加されて宮台・奥野両ゼミ界隈が繋がり、新たな界隈が出来たのが出発点。言葉・法・損得に閉ざされた⟨つまらない(力を奪う)⟩クソ社会に辟易した者が分野を超えて繫がり、⟨わくわくする(力を与える)⟩大きな界隈を実現するもの。

SNSを見る迄もなくマクロにはクソ社会に「適応」したクズ(言葉の自動機械・法の奴隷・損得野郎女郎)が量産されていますが、だからこそ「こりゃダメだ」とミクロな界隈を作って言外・法外・損得外で力を受け渡す構え「貫徹」する者が、僕が知る限りでも各所に出現しています。ただ「適応ならぬ貫徹」を目指す者が点在するので、見通しが悪いのが現状。

そこで、「ここにも・そこにも・あそこにも」ちゃんといるではないかと互いを認識して連携できる態勢を目指し、「適応ならぬ貫徹」を目指す者たちがどこにいて、どんな体験からどんな知恵(力と結びついた知識)を得たのかを共有、各人が言語化できなかったモヤモヤを確かな共通言語に仕立て上げていきます。


【つまらない人だらけなのはなぜ?】
昨年11月に全国四ヶ所で「荒野塾」試行版を展開した際に話題にした認識を示します。96年頃から一貫して若年層の意識が自分に向くようになり、自分と社会の距離が開く一方です。実は、宮台による80年代後半の大規模な計量分析で、自分に意識が向く度合いが強いほど、社会に意識が向かなくなることが、分かっています(学術論文あり)。

この傾向は、60年代団地化で育った子・が親になる80年代新住民化で育った子・の成人化によるというのが他の調査も踏まえた結論。新住民化とは土地に縁なき者の多数化。「言葉・法・損得」に閉ざされた「安全・便利・快適化」が進み、昔ながらの遊具が撤去され、近所の大人との交流やヨソんちで御飯を食べる営みが阻まれ、子が親に抱え込まれました。

70年代半ばからの「日本的学校化=いい学校・いい会社・いい人生」の昭和スゴロクで自営業(農家・商店)を継がせなくなった結果、教室は昭和スゴロクを競う勤め人の子だらけになり、雑多な大人との交流も消えて「人生色々」的な免疫を失い、違いがイジメを生むので平均を装うようになった結果、他者との関わりに自己防衛のエネルギーを使うようになる。

自我egoとは、直接的反応reflexを抑制する生体防衛メカニズムです。自我は自己self(自己像・自己物語)を参照し、像や物語の同一性が揺らがないようにします。自我とは「自己のホメオスタシスhomeostasis of the self」で、自己の像や物語は履歴的です。この像や物語が限られた条件に依存する程、自己のホメオスタシスにコストが掛かるようになる。

それこそが96年頃から若年層の意識が自己に向き始めた理由です。かつてならどうでも良かったことで自己が脅かされがちになり、かつてはノイズにならなかったことが自己のノイズになる。だから、イタイと称して過剰さを避け、自らはテンプレ(キャラ)を演じ、過剰さを感じるとハラスメントだと他責化。かくて性愛と友愛からの退却が始まります。

自己防衛に意識が向くほど他者に腹が割れない。他者に腹が割れないと社会(例えば政治)を議論できず、切磋琢磨による共通認識や社会を生きる知恵が生まれない。だから社会が縁遠くなり、自己と社会の距離が拡がる。ウヨ豚や糞フェミのように自分の不幸をお門違いの他責化・他罰化する者も湧く。かくて、専ら自己に意識が向く者は、絆作りの余力がなくなるし、社会を意識する敷居も上がる。

「界隈塾」は、自己に意識が向くばかりで「他者とのあるべき絆」や「社会のあるべき秩序」に意識が向かず、人間関係や社会の現状への「貫徹ならぬ適応」に淫する者を、排除します。自己に意識が向く者は、例外なく一緒にいて⟨つまらない⟩(ナンパしようがモテない)けど、一緒にいて⟨わくわくする⟩(ナンパしなてもモテる)のは、例外なく他者や社会に「交換」条件を付けず「贈与」する者なのです。


【界隈塾の「参加版」と「配信版」とは?】
界隈塾には、討議に加われる紹介制でクローズドな「参加版」と、誰でもライブないしアーカイブで視聴できる「配信版」と、2つのプラットフォームがあります。「参加版」は出来るだけ対面で参加してほしいものの、事情によりお越しになれない方はオンラインで参加していただくというハイブリッド方式です。

「配信版」は、現地であれオンラインであれ討議にはリアルタイムでは参加できません。ただしチャットでの質問を受け付けます。もちろん全ての質問に答える時間的余裕はないので、極めて優秀な運営サイドが、討議にとって有益な質問を厳選した上、討議の素材として取り込ませていただきます。

「配信版」を見て現地での討議に対面参加したいと思われた方は、自己に意識が向いた⟨つまらない⟩者=交換優位の者じゃなく、あるべき人間関係や社会について「適応ならめ貫徹」の志向を持つ⟨わくわくさせる⟩者=贈与優位の者であることを、証言してくれる紹介者が要ります。まず「参加版」メンバーと友達になることから始めて下さい。

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