体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上1「恐いけど恐くない」 by阪田晃一

今回は、復興支援ではなく、「原生自然と人」がテーマです。「原生自然」をとりあえず「手付かずの自然」とします。そんな場所を旅することを「遠征」と呼びます。今回のゲストの森本さんはいま仲間とカヤックで「手付かずの自然」を目撃できる知床の遠征に出掛けています。

というと、皆さんは「手付かずの自然」を消費対象として捉えて、消費はいいけど自然破壊しないで…という文脈に回収しがち。「原生自然」という場合、「万物の源である法外な贈与&剥奪」ならびに「我々が部分に過ぎないがゆえに規定できない全体」という意味を帯びます。

宮台さんに倣い、市場&行政を「システム世界」と呼び、人間関係の凸と凹の噛み合いである「生活世界」と区別すると、僕らは今殆どの便益をシステム世界から得ます(汎システム化)。そこでは「手付かずの自然」は、システムが敢えて手を付けない「不作為」の産物に過ぎません。

だから「手付かずの自然」は、「システム世界」で疲れた人々の「週末のサウナ」として比較的安全・便利・快適に消費されます。しかし僕らがそこに身体を以て全面的に関わる時、僕らが知らない「未規定な全体」に身を委ねている感覚が湧き、必然的に言葉数が少なくなります。

海に出たら思ったより(予期)海が荒れている(予期外)とする。学問的には言語的予測符号化の外の訪れ。言語的な予測符号で構築された「システム世界」では、未規定なものを言葉を並べて規定します。でも森本さんは「うむ」と呟くだけ。「うむ」のシニフィエは未規定です。

能登の子らに「原生自然」とのシンクロ体験を贈与するプロジェクトの下見で初めてカヤックを漕ぐ宮台さんが「波が…」と言うと、森本さんは「こんなもんや」と答えますが、上陸後「けっこうな波やった」と言い、怪伬顔の宮台さんに「言うただけでビビるやん」と答えます。

「俺は前と比べただけ。宮台さんは体験したままでええのや」。森本さんは宮台さんのトークを何回か聴いていますが、「学問分からんけど、宮台さんオモロイからや」と。野生のエルクを手元に寄せて撫で、原住民を驚かせた森本さんは、宮台さんを動物として眺めます。

「言葉はどうとでもなる」と言う森本さん。奇しくも宮台さんが繰り返す呟きと同じです。シュタイナーいわく「こうした身体性」は幼少期にのみ豊かに培われ、そうした者同士は出会えば分かります。宮台さんは「森本さんが一緒だと、恐いけど恐くないんだ」と言いました。

直後に宮台さんは、荒野塾の歌謡曲論で石野真子「狼なんか恐くない」を阿久悠の本質を示すとして紹介。あなたも狼に変わるのですか、でもあなたが狼なら恐くない、という歌詞を、「恐いけど恐くない」(熱が出ちゃうけど)という「昭和の構え」を示すものだと言いました。

いわく、その構えこそ言外に開かれた「昭和の微熱」の正体。「恐いからしない」「恐くないからする」という「令和の構え」は、言葉に閉ざされた「令和の冷え」を示す。「恐いけど恐くない」はナンセンスな散文言語だけど詩的言語として刺さります。身体・感情能力のなせる技です。

3年弱のコロナ禍を経て、当初は対面を渇望する若者が多数派だったのにリモートを要求する若者が多数派になりました。「恐いけど恐くない」から「恐いからしない」へのシフトの昂進。ならば、ソバにいるだけで「恐いけど恐くなくなる」森本さんを対面で感じてほしい!!

リモートより対面が安いなのはなぜ? と訊かれます。森本さんを感じてほしいからです。森本さんのお話の後は宮台さんが学問的な視座でパラフレーズします。もちろん僕も話します。様々な道具も持っていきます。「原生自然と人」は僕たちにとって特別なイベントです。

あっと驚く体験をどうぞ!できれば現場で。

皆さんのご参加をお待ちしております。

石野真子「狼なんか怖くない」1978年(阿久悠作詞・吉田拓郎作曲)

宮台真司(社会学者)
阪田晃一(キャンプディレクター)

イベントのご案内
2024年7月18日開催【シリーズ|原生自然と人】能登半島の隆起した海をカヤックで漕ぐ〜語り手は森本崇資(キャンプディレクター)、ホストは宮台真司・阪田晃一

体験デザイン研究所風の谷

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?