自分を知る②

前回「自分を知る①」というテーマで述べてみました。
少々簡略化しすぎて分かりにくい、という声がありましたので、
自分の経験を例としてもう少し述べてみます。

その頃の私は、経営していた企業を
やむを得ない事情で清算せざるを得ない状況でした。
会社の整理を終え、次に自分自身の今後を考えなければなりませんでした。
無職です。
蓄えていたある程度の資産は会社の整理で使い果たし、
その上に数億の負債がのしかかることが予想されました。
当時の私は全く自信を失い、ただ清算に関わる事務手続きを
管財人の弁護士の指示のままに動く毎日でした。

今後に向けて動くべきだと思っていました。
知人からもいくつかそのような誘いもありました。

しかし、何一つやる気が起きません。

何かしなければならないと頭では理解していても心(感情)は全く動かず、
否定(やっても無駄、どうせ無理、できない等々)的な思いしか
浮かんでこない状態でした。
ただ、毎日夢遊病のように管財人の指示通りに動いているのみでした。
やがて、清算に関する経営者としてのやるべきことも無くなり、
やる事もなく行くべき場所もなくただ時間が流れていくだけ、
の毎日が始まりました。

その頃です「死」ということを真面目に考え始めたのは。
そんな時、自宅(近々立ち退きをせざるを得ない)で
ぼんやりと時間を過ごしながら、
何気なく手近のメモ用紙に思い浮かぶことを
当てもなく、とめどもなく書いていました。
特に、何かを意図したわけではありません。
書いては破り捨て書いては消しを繰り返し、
何枚書いたのかはわかりませんがゴミ箱からあふれそうでした。
単純な連想ゲームのように、浮かんでくる思い出や過去の出来事、
気になる事や心配事など、
ともかく浮かんでくるままに書きなぐっていました。

そのうちに不意に数年前の出来事(家族旅行)が浮かんできました。
懐かしく愛おしく涙があふれてきました。
この時が私の再起の瞬間=心が動いた時だったようです。

後年ある心理学者との会談で、図らずも私がやっていたことは
心を病んだ患者の奥底に眠る感情を探るときの
テストとほぼ同様のものだと知りました。
ちょうど、心の中を覗き込みながら
浮かんでくる泡のような物を掬い取っては捨てる、
という様な作業をやっていたようです。
この時は意識していませんでしたが、
キーワードとして「仕事・家庭・趣味・友人・会社・・・」という様な
自分に意味のある言葉を思い浮かべながら発想を促すと良いそうです。

皆さんの場合は、私のように追い込まれているわけではなく
環境変化への戸惑いの中だと思いますので
涙があふれるような強い感情の揺れは起こらないのではないでしょうか。
大事なことは自分の心の奥底から沸き起こってくる思いを
何の批判や躊躇や斟酌もなく掬い取ることが重要なようです。
中には反社会的なものや不道徳なものもあるでしょう。
それはそれでいいのではないでしょうか。
他者に披露する必要もありませんし、それが自分なのですから。

そのようにして浮かんだ事柄から、より強い思いのある事を選択して
実現のために何をどうするかを考えていきます。
私の場合はそれまでも何かをやらなければと思いつつ
否定してきた友人知人への連絡や相談、仕事紹介業への連絡
といったことの行動プランを立てる事でした。
これまでの同様なことを考えていましたが、
何れも否定し行動に移すことはありませんでした。
今回は「何を実現したいか」という目標が明確でしたから、
行動化へのエネルギーは大きく異なっていました。
頭で考えたことと、心で感じたことの違いでしょう。

私が思い描いた家族旅行の実現には5年かかりました。
次回は具体化について考えてみます。
                           海雲 龍人
 

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