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思考のスケッチ

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日々のあれこれについての未熟な思索と潜考。あくまで「スケッチ」、すなわち思考行為の一部的な言語化であり、決して「主張」として表現できるものではありません。
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#大学生

成田氏の「集団自決」発言の背後にあるもの:「閉塞」と「破壊」

「口にしちゃいけないって言われていることは、だいたい正しい」、これは成田悠輔氏のツイッターの自己紹介欄はこの一言だけ書かれている。 その成田が発して「高齢者は集団自決すれば良い」発言がNYTに取り上げられ多くの批判が再度巻き起こった。見た感じ多くの批判は「集団自決」という言葉が持つ歴史的意味(第二次世界大戦時の沖縄における集団自決)に構わずその言葉を使った成田氏の言論やエール大学助教授でありながらそのような暴力的な言葉無責任に放ったことなどが批判の主な論点である。 もちろ

「醤油ペロペロ」を咎める大人が居なくなったから「バカッター」が増えたのか?:承認と資本主義の疎外

こんな議論をツイッターで見つけた この人が一連のツイートを通して言いたいことはこういうことだ。つまり、昭和の「怖い大人」たちが敗戦、高度経済成長からのバブル崩壊という流れの中で居なくなり、その跡を継いだ「歪んだ」価値観を持つバブル世代や団塊ジュニア世代による間違った教育と崩壊したモラルによって今回のよう「醤油ペロペロ」迷惑行為などこ行い、TwitterなどのSNSに投稿する通称「バカッター」という若者たちが生まれたという。 自分に言わせれば、この見方は端的に言えば、家父長

戦後日本と空っぽな「平和主義」

8月、「八月ジャーナリズム」と共に毎年蘇る戦争の記憶。 原爆、敗戦、暴力と平和 恒久平和を唱えるのと同時的に靖国参拝まさに戦後日本の「平和主義」が抱えた大きな矛盾を体現しているようだ。 結局平和主義を掲げて、散々平和の尊さを教育しながらも、その中身は空っぽなのかもしれない。 広島の慰霊碑。「安らかに眠ってください、過ち(=戦争)は繰り返しませんから」と反省の念を示していながらも、なぜこの戦争が起こったのかを問おうとは一切不問。すなわち、戦後日本が抱えてきた、先の戦争に

集団と孤独〜東京という街

東京には色々な人が集う。東京で生まれ育だちずっと都会で暮らして来た人、地方から東京へ古びたスーツケースと数千円片手に夢を求めてやって来た人、海外から出稼ぎや進学のために来た労働者や学生、さらにはただ旅行の為に東京を訪れた観光客。 言語、文化、肌の色、性別、年齢、仕事、思想の何から何まで、違う人たちがこの大きくて小さい街「東京」に暮らす。 東京には色んな仕事がある、色んな文化があり、色んな世界がある。渋谷、新宿、池袋、六本木、新大久保、浅草から秋葉原まで、どれをとっても異な

中国の「ゼロ・コロナ」と政治的正当性

コロナ禍のロックダウンや規制などが議論されていたパンデミック直後の世界から比べ、2022年の世界はより「コロナと共に歩む」方向へと進んでいるように思われる。アメリカやイギリスの一部ではマスク義務も解け、今では屋外ではマスクをつけない人々が大半だ。日本でも、2021年に比べてコロナ関係の規制が随分緩くなった。もちろん、感染力が強いが重症化する確率が低いオミクロン株と感染力は相対的に低いが重症化率が高く医療体制に大きなダメージを与えたデルタ株とでは異なる対応が必要であるという側面

「日本の大学の第二外国語って廃止した方がいいと思う」に対する批判への応答

今回の記事では、自分が数ヶ月前に書いた記事に対するStella.氏の批判へ応答する。元記事と批判記事にまず目を通したい方は以下のリンクからお願いします。 元記事: Stella.氏による元記事に対する批判: では、まずわざわざ自分の記事に決め細かく目を通した上で、自分の議論に対する貴重な批判をいくつも挙げて頂いたStella.氏に感謝したい。自分の議論に対してさまざまな視点や立場から建設的な批判を頂けることは、なによりの喜びであり、自分の知的発展において大きな役割を果た

ウクライナを「応援」することは道徳的に正しいのか?

ロシアのウクライナ侵攻が始まって2週間以上が経とうとしている。国際社会からの痛烈な非難とは裏腹に、ロシア政府は侵攻を止めないどころか、より一層過激な軍事行動へ突き進む。多くの一般ウクライナ市民が犠牲になり、戦闘行為下多くの軍人が命を落としている。ウクライナ人の一部は難民としてヨーロッパ各国へ流れ、日本も先日ウクライナ人難民の積極的受け入れを発表した。ウクライナは、ロシアの侵攻に根気強く反抗し、一部戦場ではロシア軍以上の戦闘力と士気を見せ、局面逆転をもたらした。 このように勇

日本の一部フェミニズム活動家に対して思ったこと

フェミニズム、すなわち女性解放思想、女権思想など様々な名称で呼ばれる思想は、女性の権利の主張と男性支配的社会に対する批判を何世紀にもわたり展開してきた。特にジェンダー平等が著しく遅れた日本に対しても、フェミニズムは大きな影響を与えている(日本におけるフェミニズム運動の歴史は遥か前のことであるが、そのようが議論が一般的に行われ、検討し始められたのは随分最近のことであろう)。 しかし日本では、一部インテリ層等々を除けば、フェミニズムはすこぶる不人気だ。特にネット上では、「フェミ

日本の大学の第二外国語って廃止した方がいいと思う

日本の大抵の大学では、「第二外国語」というシステムがある。学生が入学後英語以外の中国語、ロシア語、フランス語等々から一つ言語を選び、それを学部在籍中に学ぶというものだ。自分が在籍している英語学位プログラムでは第二外国語というものがなく、日本語ができない生徒はその代わりに日本語を学ぶが、大半の早大生は、第二外国語でなんらかの言語を学んでいる。 自分は正直のところ、第二外国語というシステムが結果的に学生の語学力を低下させていると思う。 何故か?先ず、日本の一般教育において、英

イギリスの大学院のオファーを手に入れた!でも喜んでは居られない…今の心境

自分は今年(残りわずか)の2月末頃から大学院進学を決め、ここ一年色々と準備をしてきた。まあ準備と言っても8月頃までは何を専攻するのか、今後何になりたいのかなど色々と迷走していた。去年までの自分は外交官を夢見て国家総合職試験の勉強に多くに時間を割いていた為、大学院なんて「入省後研修でいいとこ行きたいな」程度しか考えてなかったから。 大学院進学を決心した2月(9月入学なので当時はもうすぐ3年2学期)から全力で卒論に打ち込み、学部の助教のリサーチアシスタントも経験としてやりだし、

早稲田生はつまらない

たまに早稲田大学って本当につまらんとこだなって思う。 何故かって? これだけ頭が良くて、才能を持った人達が沢山いて、尚且つ色んな事ができるリソースが集まってるのに、大半の人が同質的な集団へと自己を変えていってしまうから。大学生活で、主体性を持って何か「クレイジー」で面白いことをやろうとする人が居なさすぎるから。 大学では程よく遊び楽しんで、3年になったら就活して、高年収のトップ企業入って、そのまま「エリートコース」歩んでという典型的早大生を否定するつもりはない。むしろそ

ワクチンを新興国にあげよう

「コロナそろそろ落ち着いてきた、新しい生活戻ってきそうだな」と思った矢先、オミクロン株が現れた。前回のデルタ株と同じ様な広がり方だと、最悪を想定した場合おおよそ12中旬頃に日本でもそこそこ大規模に広がるのではと考えてます。 数ヶ月毎に新しい変異株が発生し、その度に社会が騒然とするというのには多くの人が疲弊しているのではないだろうか。日本では多くに人が既に2回のワクチンを打っている。なのにオミクロン株のような、ワクチンの効果を低下させてしまう変異株が出現した場合、もはや「何の

ずっと何も書いてませんでしたが、何か書こうと思います。

どうも、お久しぶりです。知ってましたか、平均的な社会人が1分にインプットできる日本語文字の総数は600-700字らしいですね。飛ばし読みを含めれば、おおよそ1000字ぐらいというところでしょう。 なぜ開始早々「1分に読める量」に関して話してるかと言いますと、noteって何を書けばいいのかなと色々悩み、考えていた時のヒントがこれだったからです。noteの利用者が一日にこのアプリを利用している時間を考えた場合、むしろ一般的な人はよっぽど面白い内容でなければ、1日の貴重な時間を使

大学春学期の1ヶ月を振り返る:対面授業と緊急事態宣言

 春学期が始まって早くも1ヶ月が経とうとしている。去年一杯は「自粛ガチ勢」だったが、正直インドア派な自分でもこの状況が1年以上が続くとかなりきついくなる。そんな中、幸いにも早稲田大学は多くの科目で対面授業を採用している。今まで、早稲田でずっと一人暮らしをして来たが、2020年の大学はいつも無人だった。飯屋に入れば自分以外に2組いる程度、大学の構内は人一人居なかった。「誰も居ない大学」の記憶が未だ鮮明である自分にとっては、今の大学を見ると感動する。学生でぎっしり埋まった大通りと