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火星に航行中の社長よりお話があります (後編)

 わけもわからず、とりあえず顧客のクレーム対応に戻った杉村が、なにが起こったのかを知ったのは次の日だった。
 ごく小さい隕石が船体に衝突したとのことだった。
 確率的にはまず起こりえないことだと、ウェブニュースで宇宙航行の専門家は語っていた。自動翻訳で流れてくるその音声には抑揚があまりなかったが、アメリカ人特有の大げさな身振りで、その教授がいかに驚いているかが伝わった。
 ありえない事故がイーコン6をおそった。それはまったくの不幸としか言えなかった。しかし、救いだったのは、それが船体のごく一部をかすっただけで、ほとんど損傷は与えなかったことだ。居住エリアやメインエンジンを貫通していた可能性だってあったのだから。これはまさに、不幸中の幸いと言うしかなかった。
 ただ、ごく一部の損傷を受けた部分というのが、火星着陸船の接地ギアの部分であったことは問題ではあった。ほんの一部の部品が壊れただけであったが、5本ある着陸船の足のひとつは、まったく使えなくなってしまっていたのだ。
 それが意味することは明白だった。
 火星に着陸することができないのだ。

 次の全社員集会まで、会社から、この件についてのさらなる連絡はなに一つなかった。世間ではその事故のあらましがこと細かに報道された。何十人ものコメンテーターが、被害が少なく、乗組員の安全にまったく問題がなかったことを、幸運なこととコメントしていた。
 すくなくとも、表面上は。

 そして行われた全員集会。社員がかたずをのみながら見守る中、中継の画面に現れた中澤社長は、見違えるように意気消沈していた。逆さまに登場するといういつもの儀式をやる気にもならなかったらしい。普通に上向きに画面に現れ、長い沈黙のあとにようやく話し出した。
「あの……こういうことになっちゃって。なんというか……ほんとにもう……」
 ほとんど意味をなさないことばかり、ただボソボソと語る中澤の背後の窓に、火星の大地が大きく広がっていた。
 すでにスペースZZ社は、火星の周回軌道には入らずに、スイングバイしてできるだけ早く地球に帰る軌道に乗せることを決定していた。今がおそらく、もっとも火星に近づいている時期に違いない。
 赤茶けた岩と砂漠の火星の表面が中継画面でもよく見えた。
「じゃあ、そういうわけで、ボクは地球に帰りますんで。よろしく」
 ほんの10分ほどでその日の中継は終わった。あらためて周りを見渡した杉村は、今日は会議室が社員でいっぱいなのに気づいた。おそらくすべての社員が参加していたのだと思われた。

 しばらく社長中継は行わない、という連絡が会社からあった。社員に語る言葉もないのだろう。その気持ちはよくわかったし、火星着陸という一世一代の晴れ舞台が、天文学的な確率の低さといわれる事故で奪われてしまった社長には、社内からも同情が寄せられていた。
 それは杉村も同様だった。
 そして、そこにはさらに少し複雑な思いが加わり始めていた。
 相変わらずの顧客クレームの対応に追われながらも、最近は、顧客からの叱責の厳しさが緩んできていたのだ。顧客たちも、中澤のあまりの不幸さに、さすがに同情したのであろう。そして、そのために、あまり強く叱責するのがためらわれているのかもしれない。
 社長に感謝するべきなのか、なんなのか、杉村には、よくわからなくなっていた。

 事故の直後から、世間の注目は堀田に向かった。三か月遅れで火星に向かっていた堀田に多くのニュースメディアがインタビューを申し込み、そのすべてに堀田は応じていた。
 いずれの場合も、これ以上ないくらいに眉間にしわを寄せた顔で画面に現れた堀田は、決して浮ついた態度は見せなかった。
 他人の不幸を喜んでいるようなそぶりをほんの少しでも見せたら、どれだけ世間に叩かれるかを、堀田はよく知っていた。
「まったく不幸な事故です」
 深刻な表情のまま、低い声で堀田は語った。
「乗組員の皆さんが無事だったのは、まさしく不幸中の幸いです。本当によかった」
 インタビュアーはなんとか堀田の本音を引き出そうと必死だった。
「このことで、堀田さんが火星に一番乗りする日本人となるわけですが、それについてどう思われますか?」
 もちろん堀田はこの質問への答えも慎重に用意していた。
「これは地球を発つ前から何度も申し上げていることですが、わたしは何番目に火星に降り立つ人間になるかということには、まったく興味をもっておりません。わたしが火星を目指す理由はただ一つ、それはイーコン・マスク氏の理念に共鳴しているからです。人類はやがて地球を離れ、火星に移住する必要があるのです。そのための第一歩としてわたしは……」
 以下、いつもと同じ崇高な理念の説明が繰り返された。一字一句、同じ言葉が発せられることが、なによりも、それが入念に練習したセリフであることを物語っていた。

 それから二月ほどが大きな変化はなにもないままにすぎていった。
 堀田からその本音を聞き出すことに失敗したマスコミであったが、イーコン7が火星に近づいていくにつれ、インタビューの中で堀田の笑顔を引き出すことには成功していた。
 火星着陸が近づくにつれ、さすがに感情がたかぶっていくのだろう。インタビューの回を重ねるたびに堀田の口数は増えていった。あいかわらず、慎重に言葉を選んではいたが、火星着陸を楽しみにしていることはあまりに明らかだった。

 一方、中澤側の情報はほとんどなかった。マスコミはなんどもインタビューを申し込んでいたが、そのすべてを中澤は断っていた。ただ、会社の広報を通じて、何カ月もの宇宙船内の生活においてもメロカリーナのルームウエアは快適である、とのコメントがなされただけだった。
 杉村の顧客対応の日々も相変わらずの忙しさだった。
 が、最近ではクレームの数が少しずつ減っていることに気づいていた。事故の直後は、顧客のあわれみのおかげでクレームの勢いが弱まっていたようだが、今の状況はそれとは違っていた。トラブルそのものが少なっているのだ。
 理由はよくわからない。
 ただ、あの一件以来、社内の一体感が強くなってきているのは感じられていた。社長の事故で世間の同情を浴びるにつれ、なんとなく、自分たちまでみじめな気持ちになってきたのかもしれない。少なくとも杉村はそういう感情を持っていた。そのみじめさの共有が、もしかしたら、社員の一体感をつくりだしたのかもしれない。
 なんとなく、創業初期のメロカリーナの空気が戻ってきているようにも思えた。そう、杉村が入社した直後の空気。全員で力を合わせて、アパレル業界で一発当ててやろうという勢い。それがまた感じられるようになっていたのだ。

 そのニュースは突然に飛び込んできた。そして瞬く間に日本中に広がっていった。
 『イーコン7の燃料電池が故障』
 なんの前ぶれもなく、それは起こったらしい。液体の水素と酸素を反応させて船内に電力を供給する燃料電池が、突然に壊れたのだ。
 船内に燃料電池は二つ備えられている。たとえどちらかがなんらかの原因で壊れたとしても、もう片方でまかなえるようにするためだ。
 しかし今回、その両方が同時に壊れてしまったらしい。
 スペースZZ社のエンジニアが何度もウェブニュースに登場し、故障の原因について説明した。どこがどう壊れたのかはすぐに詳しく解明され、それが高度な専門用語とともに説明された。原因はすっかりわかったとしても、しかし、状況はなにも変わらず、なんの役にも立たなかった。
 イーコン7には燃料電池がなくなってしまったのだ。
 と言っても、まったく電力が途切れてしまったのでもなかった。着陸船の方に通常のバッテリーはあり、そちらに電力供給は切り替えられていた。
 しかしこれは、10日間の火星着陸の間に着陸船に電力を供給するためのものだ。圧倒的に容量が少ない。
 すぐにありとあらゆる節電の対策が取られた。コンピューターは最低限の機能を残して稼働を止め、空調も最低限のレベルに機能を落とされた。
 通信にも大量の電力を使うので、ほとんどが止められた。3日に一度、テキストメールが送られてくるだけになった。
 
 そして、もちろん、イーコン7の火星着陸は直ちに中止の決定がなされた。とても着陸しているような余裕はなかった。着陸船の噴射も使って加速し、できるだけ早く地球に戻る策が取られた。そうしたとしても、乗組員が無事に地球に戻れるかどうかはぎりぎりのところだと予測された。

 電力不足のために中継ができないため、堀田をはじめ、乗組員の様子を画像で知ることはできなかった。ただ送られてきたメールから、乗組員は全員が無事であることがわかった。もっとも温度設定が最低に落とされているので、全員がひどい寒さに苦しんでいるとのことだった。食料は十分にあるものの、加熱調理ができないので、完全に解凍されていない状態で食べざるをえないということも伝えられた。

 『次の全社員集会で社長のお話があります』という会社からの通達が杉村に送られてきたのは、その事故のすぐあとのことだった。
 大会議室には、また全社員が詰めかけていた。なにを話すんだろう、とあちこちでひそひそと話声がする中、社長からの中継が始まった。

 中澤は、また、逆さまになって画面に登場した。
「やあ、皆さん、お疲れさまです。お久しぶりだね、元気だった」
 社長自身があきらかに元気いっぱいだった。ハリのある声で続けた。
「今日はね、皆さんに大事なお知らせがあるんですよ。ウン、みんなへのサプライズなプレゼントと言ってもいいかな」
 中澤は少し振り返ると、背後の窓に見える、前よりも少し小さくなった火星を指さしながら言った。
「ボクはまた火星旅行にチャレンジすることにしました! イーコン13に乗ることが決定したんだよ」
 大会議室には大きなどよめきが起こった。たしかにそれはおどろきのお知らせだった。プレゼントとは思えないが。
「いやあ、あれからずっとスペースZZと交渉していてね。まあ、彼らも今度の事故のことでは申し訳なく思っているらしく、なんとか席を融通してもらえたんだよ」
 中澤のフライトの事故はまったく予想不能な隕石との衝突事故だ。スペースZZが申し訳なく思う必要はないのだが。
「ボクとしてもね、宇宙に移住するという人類のチャレンジにこれからも参加していきたい。そのためには、やはりもう一度、火星に向かわなきゃと、まあそう志を新たにしたわけ」
 どういう志を持つかは勝手だが、しかし、ということは、やはり……
「つい昨日、契約書に電子サインしてね、そして契約金の払い込みが無事に完了したんで、こうしてみんなに話すことができるようになったわけ」
 ああ、やはり、また1000億円が飛んでいくのか。もしかしたら、無理して順番を繰り上げてもらったりして、それ以上の金額なのかもしれない。
「いやあ、しかし、なんだ、堀田クンは大変だったよね。なんか電池が壊れちゃったんだって? まあ、でも、地球に帰るまでなんとかもちそうということだからよかったよね」
 中澤は心底うれしそうという表情をかくそうともせずに言った。
「エアコンの温度下げてるからちょっと寒いらしいけどね。そうそう、わが社のヒートウォーム生地のルームウエアを贈っておけばよかったよ。こんなことになるんならね」
 会議室に満ちる全社員のうんざりした空気は、遠い宇宙空間にまで届きようがない。こちらのカメラから送られる社員の表情の映像が届くのだって8分くらい後のことだ。
 そう、社長は遠く離れた宇宙空間で、火星から帰ってくる途中なのだ。

その全員集会が終わってから一週間ほどして、今度は堀田がイーコン14に乗り込むことが決定したというニュースが流れてきた。ニタニタ動画のバラエティチャンネルなどでは、なけなしの電力をふりしぼってまで送られてきた、堀田の記者会見の短い動画が何度も再生された。あいかわらず深く眉間にしわを刻み込んだ表情で彼は語っていた。ただそれは、発言に気を使っているというよりも、寒さと半解凍の食べ物の日々に精根つきはてたという表情に近かった。
 もっとも、記者から、また一足先に火星に向かうことになった中澤社長にひとことを、と促されたさいには、その目をキラリと光らせながらも言ったのだった。
「こんどはもっと大きな隕石があたらないことをお祈りいたします」

 中澤社長の全員集会でのお話は今もまだ続いているのだろうか。地球に帰り着くまであと2か月。そしてその3か月後にはまた火星に旅立つのだ。それからもまた、おそらく毎月、第一月曜日には、全社員の参加による集会が開かれていくのであろう。
 杉村はもう、そこで社長がなにを話されるのかを知ることはない。
 
 ようやく、念願かなって、より良い会社に転職が決まったからである。

<終わり>




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