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嫌われるのを恐れる人 〜ビビりの自叙伝〜

恥ずかしいまたは、自分の嫌な部分を顧みることが出来るようになったのは、実はつい最近で、今でもまだそんな自分の一面を受け止め切れていない節がある。
 
 
今までは負けず嫌いという言葉を盾にしていたが、見方を変えると「負けを認めない」「間違いを認めない」と、弱い部分を受け入れられなかった「真に弱い人間」だったのではないかとすら感じる。
 
私は昔から自己分析というのが苦手で、今になり考えてみると「自己分析をした内容を人に知られるのが恥ずかしい/どう思われるのかが怖い/弱い部分を認めるのが怖い」この様な感情だったのではないのかとふと考える。
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~足軽マインド~

「人に嫌われたくない」
 
この気持ちが常に存在しており、人と関わる時には常に気持ちの最前線に飛び出してくる。
さながら、戦場の足軽/歩兵部隊とでも言うところだろうか。
 
仕事の部分では、まだマシな方だ。
仕事という大義名分の下に意思を貫くことが出来たり、はっきりと意見を言うことは比較的簡単だ。
しかし、プライベートの人間関係になるとそういった後ろ盾がなくなる。
その瞬間に崩壊するのだ。
 
長い付き合いの知り合いにもはっきり言えない。
過ごしてきた時間が長いほど、それを失うリスクを恐れ言いたい事が言えなくなるのだ。
それは家族や知人問わずにである。
 
過去に、当時付き合っていた彼女へ相談できずにいた事があり、事が大きくなってから知れてしまい、それが一つの原因となって別れることにもなった。
その時には「そういう事だからこそ相談してほしかった」と相手にも信頼していなかったと感じさせてしまい、自己中心さ加減に腹が立ち今でも後悔している。
 
加えて、不安になりすぎ余計な先回りをしてやりすぎてしまうこともある。
その時点で、相手のためではなく自分が傷つかないための方向にベクトルが変わっているのだ。そして、最後の最後までそのことに気付かず、相手からの「あ、ありがとね」「全然そこまでいいのに」などと、逆に気を遣わせてしまうことも多々ある。

この自分が傷つかないためのベクトルこそが
相手の信頼を大きく損なうリスクを秘めている。

 自分では「やっている感」はあるのだが、結果自分のためにだけ動いているので相手には本位が伝わらず、それゆえに自分自身でストレスを抱え込む事が多くなり、捌け口のないループへと堕ちていくのだ。
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~自己中心的~

職場で好きな人が出来た時にもそうだ。
気持ちをはっきり伝えたら今までの仲良かった仲間/友達関係が終わってしまうのではないか?
好きだと伝えたら嫌われてしまうのではないか?
周りのスタッフにも迷惑をかけるのではないか?
仕事上やりづらくなるのではないか?
 
でも実は、自分が傷つきたくないためであり、相手や周りのことなんて微塵も考えていないのだ。
ビビりな私自身に限るかと思うのだが、自己中心的な考えなのだと改めて気付かされた。
 
「周りの空気が悪くなるから/相手が気まずくなるから言わない」は本心ではなく
「そんな事を言ったら相手から嫌われてしまうのではないか」更にこれを掘り下げると、

「相手との関係を、自分自身の所有物として考えている」

これが言えずにいる根本的な考え/原因なのだと痛感した。
あたかも、今までの人間関係は”自分の物”の様に”失う”と無意識に使っている。
あくまでも人間関係は、相手がどう感じているかも大切な”共有物”の側面もあるはずなのにだ。

マインドコントロールでもしない限り、相手との関係を所有物として捉えるなんてあまりにもおこがましい。
 

確かに心理学でもよく言われている。
「人は、手に入れられないことよりも、手にしたものを失うことのほうに恐怖心を覚える」
 
例えば、「テストで90点取ったらゲームを買ってあげる」よりも
「テストで90点取れなかったらゲームを没収」の方が恐怖を覚え必死になるのだそうだ。
 
それだけ「失う可能性」この恐怖心に打ち克ち挑むことは、私にとって容易ではないのだ。
 
ただ、保身だけを考えて行動する人に対して、多くの人はどう感じるのだろうか?
私なら、この人は周りを信頼していないのだと感じてしまうが、みなさんはどうだろうか?
 
良い側面を見れば「慎重派」「リスクマネジメントができる」などとも捉えられる。
この側面も、誰のためにというベクトルの向きが変わるだけで、自己中心か他者中心の大きな分岐点ともなりうるのだ。
ここで言う「中心」とは信頼を置く場所(中心)を自分にするのか、相手にするのかの違いである。
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~余談~

アドラー心理学を解説した著書「嫌われる勇気」でも近い内容が記述されている。
 
「自己受容」⇒「他者信頼」⇒「他者貢献」
 
相手の気持ちをコントロールすることは難しい。
今の自分自身を理解し、ある意味相手を信頼し任せるしかないのだ。
彼らがどんな答えを持とうとも。
そして、自分自身は仲間のために援助し続ける。
これは評価や見返りを求めるためではなく、自己肯定感や自己受容感を満たし幸福感を高める要因にもなるのだ。
 
信頼を裏切りで返されることもある世の中だが、裏切られる事を考える精神的リスクよりも「自分は人を信頼できた」と自分を肯定してあげる事の方が確かに幸せなのではないかと感じた。
 
「嫌われるのを恐れる」
「嫌われる勇気」

どちらも一言では片づけられないほど奥が深い。
 
 

Hajime

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