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教職について考えてみようの会①

第一回は困り感を持つこどもの教育について扱いたいと思います。
近年、社会的にも話題となっている、ADHD、ASD、LDなどですよね。今回はそう言ったものを取り上げて、自分なりにどう向き合っていくべきか、学校の先生として、どのような支援ができるのか、もしくは自分の専門分野でどんなソリューションを提供できるのかについて考えていこうと思います。ちょっと重い話になるかもしれへんけど、読んでいってください。


各発達障害の性質について

専門家ではないので、軽く性質だけひろっておきます

ADHD 注意欠陥多動性障害

  • 特徴: 気を散らしやすさ、持続的な注意の難しさ、過剰な活動性、衝動的な行動

  • 予測: 学業、仕事、社会的関係に影響を与える可能性がある

ASD 自閉症スペクトラム障害

  • 特徴: 社会的な相互作用とコミュニケーションの困難、狭い興味関心、反復的な行動や発話

  • 予測: 異なるレベルのコミュニケーションや行動の制約が見られ、発達的な遅れがあることが一般的

LD 学習障害

  • 特徴: 特定の学習領域での困難(読み書き、計算、理解力など)、通常の知能があるにもかかわらず学業成績が低い

  • 予測: 特定の学習領域において困難を経験し、他の側面では通常の発達が見られる。支援が必要な場合がある。

上記各特長はChat GPTさんにお聞きしたものです。詳しくは調べてみてね。

困り感のある人が経験するであろうこと

まず一番最初に考えられることは直接この障害によって普段の生活や、仕事に対して困り感を感じる部分もあるかもしれないですが、やっぱり一番大きいのは周りの反応ではないかと感じます。確かに仕方のない部分もあるかもしれないです、例えばそう言った困りを抱える人に対してイライラしたり、その場所が学校であればいじめを受ける対象になりやすいのも事実だと思います。普段の生活や向き合っている仕事についてすでに彼らは立ち向かっているなか、周りとの連関が求められる社会においてさらなるハードルが立ちはだかることを考えると、しんどい部分も多くあるのかなと感じることもあります。

教育の分野においてどのような支援ができるのか

そもそもの問題としてインクルーシブ教育なのか、分けて教育すべきなのかというのがあります。僕自身はどちらか一方にすべきというのはなくて、できれば併用しながら個々の状況に応じた対応ができるのが理想的だと思います。インクルーシブにわざわざしなくてもいいじゃないか、と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、定型発達(ここではあえて健常者とはいいません)、困りを抱える人は同じ社会を構成する一員であって、関わりをもちながら生活をしていく必要は出てきます。そのなかで双方にとってその状況が教育の段階から当たり前に存在しているというのは大切なのかもしれません。ただし、これをやるためには教師の負担が大きくなることは容易に予想ができます。前述の通り、いじめの発生があるかもしれないし、共同生活の中で、心に乱れが生じるタイミングもあってその対応に追われることもあるかもしれません。だからこそ、一クラスの一人の教員だけで抱え込むのではなく、いろいろな先生、そして周囲の生徒も含めた一つのチームとしてみんなで支えあっていくような、そういったどんな人にとっても生きやすい学校環境を作りたいと思っています。実現にはまだまだ時間がかかりそうですが。

僕自身の専門分野からどのような支援ができるのか

僕自身は建築分野が専門になります。といっても大学1年なので大した専門知識を持っているわけではないですが。場所づくりの観点で僕は貢献ができるのではないかと感じています。学校空間は割と閉塞的で、今は少し変わってきていますが、コンクリートで味気ない建築が多かった印象です。コストの面でしょうがないというのはありますが、生徒にとって生活のしやすい場所づくり、すなわち開かれた環境で、学校という場が居心地の良い空間であってほしいという思いがあります。そう言った部分でいつか学校建築にも関われたらよいなと思っていますし、いつかnoteにも書きますが、一つやりたいことがあって、それもこの話題に関連してきます。


普段の生活から変えられること

ちょっと遠くにあることのように感じられている読者の皆さんもいらっしゃると思うので、最後の見出しは僕らにとって近いところに話を引き戻して、普段からできることについて考えてみたいと思います。

皆さんの周りにも、もしくは皆さん自身もどこかしらに苦手な部分があって、それを職場なり、自分の生活の中で体感する部分があると思います。例えば、僕自身が大学受験を経験したときには自分は時間の使い方が苦手で、なかなか学習に集中して取り組めない時期がありました。これは、環境的な面も一部あったと思うのですが、自分の中にも困り感があったのではないかと感じています。その時の自分の中の解決策としてその日に進めるべきことを紙に書いて、時間もある程度余裕をもって決めておくことを試していました。それだけでも学習に取り組みやすくなったという自分の経験があります。言いたいことの1つ目は、案外解決法は簡単なものであっても効果があるということです。もし何か困り感があるのであれば、インターネットで調べると出てくるものもあると思うので、たくさん試して、自分に合った方法を見つけてもらえればと思います。
2つ目として、周りにそう言った困り感を抱える人がいるとき、自分の仕事であったり、自分の生活をかき乱される場面もあるかもしれないという状況の中で考えてほしいことがあります。周りにそう言った人がいるとき、突き放すのではなく、向き合うことを自分では心がけたいと思います。簡単なことのように言ってるけど、これってとてもしんどいことです。そりゃ自分のことに集中しているときにかき乱されると腹を立てるし、避けたいと感じるのは当たり前のことだと思います。ただ、どこかで自分も誰かにそう言ったストレスを与えてしまっていて、皆がそれを補い合って、助け合って生きていくことがやっぱり世の中には必要だと思います。理想論だと思うかもしれないですけど、まずは第一歩、向き合うということを一緒に始めてみませんか。

最後に

長々と書いてきましたが、言いたいことは学校現場でも、職場でも、今よりもう少しだけ、困り感を抱える人を、その人の立場に立って考えるだけでも、皆が生きやすい社会に近づく一歩になると思います。これを読んでくれたあなたが少し意識して行動を変えると、救われる人がいる、それだけでもこのnoteを書いた意味があったといえると思います。
教職について考えてみようの会となっていましたが、若干教育だけでなく少し一般化して書きたいことを書いてみました。また第二回でお会いしましょう。

ほな。


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