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ラスベガスパパから学ぶ最強の人生訓 第四章 あなたの苦しみが幸せを生む本当の理由

今日はいよいよ待ちに待ったグランドキャニオンへ行く日である。

ラスベガスに来たらやはりグランドキャニオンを見ずには帰れない。壮大な景色を目に焼き付けて帰ろうと決心していた。

ミユキさん曰く、家からグランドキャニオンへは車で片道約4時間、あの有名なルート66を通って行くそうだ。

ミユキさんのプランでは、朝4時に出発し、朝の涼しい時間にグランドキャニオンに到着して、1時間ほど散策したのち、また4時間かけて戻り、お昼過ぎには家に帰り着くプランである。

私たちは夜中3時半に起床し、パパが用意してくれたローストビーフハンバーガーとゲータレード、水をクーラーボックスに入れて出発した。

やはり朝のラスベガスは、湿気が少なく非常に気持ちがいい。
朝の時間帯だったので交通量も少なく、非常に快適だった。

ラスベガスからグランドキャニオンへの道

途中、人口500人の小さな町「セリグマン」で給油している際に偶然の出会いもあった。

セリグマンのガソリンスタンド

給油所でミユキさんが給油している間、あたりを眺めていると、

「あれ?なんか見たことある町並みなんだけど・・・。あれ、ここって映画カーズのモデルになった町じゃん!」

私は興奮しながらミユキさんに言った。

「ここカーズの舞台になった町だよ!ちょっとあたりを散策してきていい!?」

私の興奮した英語は何を言っているかわからなかったと思うがミユキさんは、

「私はその映画よく知らないけど、私はあっちのほうで待ってるから好きに見てきていいよ〜」

と快諾してくれた。

小さな町なので、メインストリートは1kmもないのだが、道沿いに歩いていると、日本のテレビ番組で取材されたことのある喫茶店や散髪屋が並んでおり、よく見ると、ハンバーガーショップの隣には、カーズのモデルとなったと思われるクラシックカーが並べてあり、男心をくすぐられた。

「こんな出会いがあるとは・・・!」

私は感動しながら車に戻った。

そして、私たちは再度グランドキャニオンへの道を走り出した。

私とミユキさんは車の中でたくさんの話をした。
日本の家族のこと、お互いの趣味のこと、アメリカと日本の気候のこと。いろんな話をする中で、ミユキさんがまたもや興味深いことを言った。

「ラスベガスってね、他の国や州から来た人たちで出来ている街なのよ。それぞれが人種も国籍も宗教も違ったりするから、みんなが思う常識や当たり前というのがあまりない土地なのよね。
もちろん一緒に仕事したり生活する上で、最低限のルールはあるけど、こうすべき!とかこうしないとおかしい!とかそういうのが一切ない土地なのよ」

この話を聞いた時、またもや目から鱗が落ちた・・・。

私は日本の価値観についても触れてみた。

「日本では⚪︎歳までに結婚して、⚪︎歳までに家を買って、⚪︎歳までに⚪︎⚪︎という役職について・・・。そうしてないと変だ、みたいなのが結構あるんだよ。そこから大きく外れてると、少し変わったやつだと見られることも多々あって・・・」

ミユキさんは母親が日本人で、日本に住んでいた経験もあることから、こういった日本のカルチャーについてはよく知っていた。

「そういう話はよく聞くわね。でもラスベガスでは、そういうこと一切ないわね。常識が違う相手に自分の常識を押しつけることなんて一切しないわ。その代わり、自分でルールを決めて、それにしたがって生きていくのがラスベガスなのよ」

狭い土地に同一民族が住んでいる日本は、ややもすると同調圧力と揶揄されるように、他の人がやってるからあなたも同じようにやらないとおかしい!と言われることがあるよくあるが、ここラスベガスではそういったことはナンセンスなようだ。

寛容さというべきか、他者への尊重というべきか、これもラスベガスの魅力のひとつであると感じた。

車はルート66を走り続けグランドキャニオンへ到着した。

グランドキャニオンは「国立公園」と呼ばれるだけあって、入口で入場料を支払わなければならない。
中へ入るとグランドキャニオンを展望できる各ポイントへの道路が枝分かれしている。
私たちは、入り口から一番近くて人気のありそうなポイントを選び、車を走らせた。

各展望ポイントへはバスも出ている

車を止め、グランドキャニオンが見える場所まで歩いて行くと、そこにはこの世のものとは思えない壮大な景色が広がってた。

私は岩壁まで近づき、夢中でカメラのシャッターを押した。

日本で定番の「ヤッホー!」をやってみたが、山が遠くにありすぎて反響してこない。

※解説
グランドキャニオンは、ラスベガスのあるネバダ州ではなく、アリゾナ州北西部の大地に全長約450km、深さ約1.6kmにわたり横たわる、世界最大規模の峡谷である。赤茶色の岩肌には、20億年分の地層が刻まれ、そこから出土する化石とともに、地球の歴史を知るうえで、地質学上最も重要な場所とされている。 グランドキャニオンの雄大な姿は、大地の隆起、川の侵食作用、寒暖の差や風雨がもたらす風化作用など、大自然の働きによって形成されたもので、まさに地球が作ったアートである。現在の姿になったのは、約120万年前と考えられているが、浸食作用や風化作用は、現在も続いている。したがって、グランドキャニオンは決して完成することなく、常に脈々と変化を遂げている。

自然が作ったスケールに本当に圧倒される・・・。
1600m級の山はたくさんあっても、1600mの深さを見れるところはここ以外にないだろう。

様々な角度からグランドキャニオンを撮影し、一通り撮影が終わったところで、ミユキさんにここへ連れてきた感謝を何度も伝え、私たちは帰路についた。

帰り道4時間の間に、砂嵐や強烈な横風、藁や木の枝でできた転がるボール(カーボーイの街で転がってるやつ)など、危険な目に遭いながらも、なんとかヘンダーソンの家へと着いた。

私は家に到着するなり、火照った身体を冷やすため、一目散にプールに飛び込んだ。

「ふぅ、今日も充実した1日になったなぁ〜」

ラスベガスの強い日差しと心地よいプールの冷たさに浸っていた。

プールから上がると、パパがコーヒーを用意してくれていた。

そして、またいつものようにパパとの会話が始まった。

今日はパパの幼少期の話をしてくれた。

「私の家はね、そんなに裕福な家庭じゃなかったから、小さい頃から小遣い稼ぎの方法を色々考えて試して、稼いだりしてた。
それこそ、家族がまだ寝ている間に配達の仕事に出かけて、夜遅くの仕事までこなして、家族が寝静まった後に帰ってくるような生活をしてたよ

弟がいるんだけど、家はオモチャを買ってあげられないから、店で見たカードゲームを見て、そっくりそのまま真似して自作して、弟にプレゼントしたりしてたよ」

パパの行動力や想像力、手先の器用さは幼い頃から培われてきたものなのか。

「うちの父親は、酒を飲んでは、家族に暴力をふるうような人で、それもあって、俺は必ずこの家を出るんだ!と思って生活してたよ。

そうやって自分で稼ぎながら、家族を養って、大学に通ってたんだが、ある日、アメリカ海軍が軍人を募集してることを知ったんだ

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私はこれだ!と思って、その日から海軍の試験に向けて必死で準備した。
英語はもちろん、試験勉強、身体検査に合格するために毎日体も鍛えた。

しかし、家族をはじめ、周りの人みんなにこう言われたよ。

「お前なんかには絶対無理だ!」ってね。

だから、その日からは誰にも言わずにずっと黙って陰で準備したんだ。

そうやって誰にも見つからないようにこっそりと準備をして、試験を受けたんだが、何百人も応募者がいる中で、なんと最後の8人に選ばれたんだ。

しかも、私はそれを家族や周りの人には言わなかった。
むしろ試験は落ちたと嘘をついていたんだ・・。何かまた邪魔されそうな予感がしてね。

試験に合格した後は、アメリカへ行く前までに終えなきゃいけない書類の手続きや身体検査などあるんだが、それも家族には一切言わずに進めていった。

そして、ある朝、私はアメリカ海軍の制服に着替え、置き手紙だけを残してフィリピンを飛び立っていったんだ」

なんというドラマチックな展開なのだろう。

家族からのサポートもなしに、すべて水面下で準備し、軍の試験に合格。
さらにそれを家族に伝えずに家を出ていくという芯の強さ。

並大抵の努力と精神力がなければ、こんなことはできないと思った。

パパは続けた、
「私も若かったからね、当時はあの家、あの地域が嫌で、どうしても出たかったんだ。その強い想いがそんな行動を取らせたのかもしれないね」

パパは遠くを見つめながら、懐かしむように言った。

パパはそのまま話を続けたが、その内容が私にとって意外なものだった。

「けど、私は父親からの暴力や周りからの誹謗中傷があったからここまで努力できたのかもしれない」

私はパパが言っている意味がよくわからなかったが、パパは続けた。

「もし、私が幼い頃のような苦難がなければ、この街を出てやろうという思いにもならなかっただろうし、そのための努力なんかもしてなかったと思う。そう考えると私に苦難を与え、成長させてくれた環境にも感謝するようになったんだ」

なんて大きい人なんだ・・・。

通常であれば、その環境を恨み腐る。
もしくはその環境が嫌で脱出し、良い環境に行ったとしても、嫌だった環境に感謝まですることは少ないだろう。

そういった意味で、パパの人間性、器はとても大きいと感じた。

「カイノミ、これだけは覚えておいてくれ。どれだけ不遇な環境に身を置くことになったとしてもそれを恨んではいけない。
逆にその不遇な環境こそが将来の自分の幸せに繋がると考えるんだ」

私はパパの言っていることが、わかるようでよくわからなかった。

「たとえば、なんでこんなことをするんだろう?なんでこんな酷いことを言ったりするんだろう?って人、カイノミの周りにもいるだろう?」

頭に浮かぶ人物はたくさんいた・・・。

「自分がされて嫌なことは人にしない。これは小さい頃から誰もが学ぶことだが、大人になって実際にできている人は少ない。
だからこそ、自分がされて嫌だったことを他の人にはしない。たったこれだけで周りから好かれるし、自分も周りもハッピーになれる」

私はちょっとだけ気になることをパパに聞いてみた。

「パパはフィリピンに家族を置いてきたけど、それは家族にとってはされて嫌だったことではなかったの?」

パパは痛いところをつかれたような表情をしたが、その後にきっぱりと答えた。

「たしかに私がしたことは家族からしたら裏切りのように感じたかもしれない。しかし私からしてみればいくら話し合っても解決しないような相手とはわかりあうことはできない。そういう人とは距離を取ることが一番だ」

私はそれを聞いて、パパにしては意外とあっさりとした回答だと感じた。

「私も誠心誠意、想いを伝えて改善しようと試みたが、どうしてもだめだった。そういう場合はどうしても距離を取らざるおえないね。残念ながら。

しかし、されて嫌だったことを他の人にしないことはできる。ここが大事なんだ。

人によってはいるだろ?自分もそういう仕打ちを受けたから、自分の子供や後輩、部下にも同じように接してしまう人。
なぜ自分がされて嫌だったのにそれをまた立場の弱い人に対してやってしまうのか・・・。

自分がされて恨んでいたことをまた同じように他の人に対して行い、その人から恨まれている。
まったく成長していないのと同じじゃないか。


それとは反対に、自分がされて恨んでいたことを他の人にしない、良い行いに変える。それだけでハッピーの循環に生まれ変わるんだ」

・不遇な環境であったとしてもそこから抜け出そうと努力する。
・その時に努力したことが後の幸せを掴むことに繋がる。
・不遇な環境下だったからこそ当事者の気持ちがわかる。
・自分がされて嫌だったことを他の人にしない。

世の中にはたくさんのコミュニケーションの方法論やテクニックがありふれているが、私はパパの話を聞いて、人とコミュニケーションを取る上で最も大事なのは「愛情」であるということに気づいた。

今日もパパから偉大な教えを頂いた。
ふと時計を見ると、時刻はすでに夕方6時を過ぎていた。

「さて、夕食にしようか!本場アメリカのホットドックとラザニアを食わせちゃる!」

パパが元気よく言った。

トーストしたホットドッグ
ノーマルホットドック
ポテトサラダもアメリカサイズ
巨大ラザニア

出てきたホットドッグやラザニア、ポテトサラダは、本当にアメリカサイズだった。

そして、どれも本場アメリカの味でおいしかった。私はそれらをコーラと一緒に流し込んだ。

この勢いで食べ続けていると体重が倍ぐらいになりそうだ・・・。

こうしてグランドキャニオン観光の日を終えたのである。

第五章へと続く・・・。

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