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シン・かの国戦記 第9話「越南」

前述のように社内はなかなか国際色豊かだった。日系メーカー黄金期に北米ビジネスを経験したベテラン日本人の次にふさわしいのは、彼かもしれない。

いつもランチを一緒に食べていたのはベトナム出身のエンジニアだった。化学で飛び級になった特待生で、アニメとサッカー好きがこうじて来日。日本国籍を取得する際にはサッカー日本代表の著名選手の苗字にしていたのは純朴な彼らしかった。母語であるベトナム語は無論、仕事は日本語と英語でしていたが、エンジニアなので書いているのは機械語だった。ゆえに"自分はQuadrilingualだ"と誇らしげにメッセージを送ってくるのが、普段無口なだけに微笑ましい。

彼といつも話していてベトナムにとても興味がわいてきた。そんなわけで”クォン・デ ――もう一人のラストエンペラー (角川文庫) 文庫 – 森 達也 (著)”を読んで、感想を伝えていた時のことだ。クォンデ自体は、第2次大戦下で日本軍部に近すぎ、植民地からの独立が共産党の独占した手柄だと宣伝するお国では、不都合な存在であることは間違いない。いわゆる政治的禁忌に近い存在なので、わたくしに色々聞かれても困ったと思う。が、普段の感じだと流すか、切り返すべき冷静さを欠いていて、ただ困り、彼が思った以上に嫌な顔していたのがひっかかっていた。

同様の違和感は、共通の知人であるベトナム人で日米で大成功を収めている投資家の社長について話しているときにも感じた。この投資家の社長が経営する2つの異なる兄弟会社で我々は過去働いていたことがあった。

その社長がカリフォニアで新しい会社を登記したらいいので、話題がカリフォルニアにいるベトナム人になった。カリフォルニアはいわゆる南ベトナムの流れをくむ人が今でも多いらしく、民主党が強いカリフォルニアでも圧倒的に共和党支持者が彼の話によると多いらしい。移民に厳しい態度をとるトランプを支持するベトナム系アメリカ人というのがパッと理解できず「本当かなぁ?」と疑問を呈すと、彼は間違いないと断言した。

わたくしは嫌な顔をした。会社自体がトランプ政権のころからの貿易摩擦で傾いていたので、トランプに良い感情がない。この会社に来る前の会社、前職の事業部もトランプがDoJにある合併の承認をしたせいで、わたくしのいた事業部が消滅したという個人的事情もある。わたくしの場合は、Conspiracy series どうこうの前に結果的に2回も商売を邪魔された恨みが先行する。

そんなわたくしの嫌の顔を見ながらも、「幼少期にはベトナムでもインフレに苦しんだ。日本で住宅ローンも最近組んだし、インフレは敵だ。」と彼にはめずらしく否定的な感情が先行していた。よって、「日本がデフレでここ20年くらい苦しんで賃金が上がらず物価が下がり続けて低成長を享受したので、アメリカで賃金も物価も相似形でゆるやかにあがっていけば、成長ドライバになりえるのでいいのでは?」とわたくしが発言した時のことだった。「バイデンだからこんなに下手なんだ。トランプがやったほうがいい。」と言い出して、おやおやと思っていると、わたくしの頭の中でつながった。

そうか。

母国が共産党政権でそこでの教育を受けたから、日本に長くいるわたくしから見ると与野党や左派右派の感覚が反対になるのか。わたくしは自民党という(アメリカと比べると)中道左派政権が長い国で新自由主義を取り入れだしてうまくいかない低成長下で育った。ゆえに、アメリカ共和党の手法には懐疑的で、個人的な恨みがそれに輪をかけた。

他方、ベトナム出身の彼は大きい政府バリバリの共産党政権下で育った。経済的な急成長はしていたが、インテリゆえにやはり母国のアラが目に付く。強力な経済統制でもインフレ制御ができなかったことがその典型例だったに違いない。日本の高度経済成長期のような護送船団資本主義があればもっと安定して成長できたと野心的に彼が思っても不思議ではない。自分の勤めている会社が共和党のせいで苦境に立たされているとはいえ、好意を隠そうともしないのも自然と腑に落ちた。

彼がその話をしたしばらくたった後に日本国籍を取得してしまったのには正直驚いた。人口統計学的にも労働人口の減少は確実で、緩やかな凋落が確定している国に鞍替えする?平均年齢31歳くらいの急成長が当分は約束されている国から、平均年齢49歳近い凋落確実な極東の島国へ?

こう思うのもおそらくわたくしが日本で長く住んでいて悪いところがよく目につくからだろう。

中の人間からは、近い将来強みであった石油自動車もテレビやゲーム機に続き凋落が確定している円安で観光しか明るい材料がない国になぜ?という疑問しかわいてこない。「この国の将来はEUのような地域経済共同体から支援がないイタリアだよ?」とわたくしはよく言った。

他方、彼は良い面をみろ、とわたくしによく言った。成長著しい国で繰り広げられる熾烈で文字通り死者の出る受験戦争もなければ、その閉鎖性のおかげで少子高齢化が進み、ゆるやかに死んでいるだけで、劇的な社会的変化はない。銃乱射が1日に約2件起こるわけでも、1年で4.5万人ほど銃で人が死ぬわけでもない。ある日突然SNSのデマを信じた群衆が国会議事堂を占拠することもいまのところない。外国人差別はあるだろうが、日常的に白人警官に人種を理由に殺されることもない。一時期は自殺者数が1.2億人の国で3.5万人ほどいたが、それも2万人程度まで減ってきた。相対的に他国と比較でみると、国民皆保険もあるので病死も少ない貧富の差を表すジニ係数も、北欧よりは高いが、アメリカと比べれば25%ほど低く、比較的ここ数十年安定している。四季があり急勾配な地形が多いおかげで濁っていない水資源も豊富で、結果として農作物の種類が多く飯がうまいと感じやすい。島国で大陸棚が多く寒流と暖流が入り混じっていて、プランクトンも豊富。おかげで水産が盛んなことも食卓のたんぱく質に彩を添えている。(彼は寿司と緑茶の組み合わせが好きであった。)こういうことは日本人として極東の島の国の中の人をやっていると忘れがちだ。日本版 FACTFULLNESS と言っていいかもしれない。悪いことも多いけど、意外と基礎パラメータである平均寿命や乳児死亡率などは改善されているよねというのは中の人が長いと忘れがちだ。だからと言って個人の幸福度が上がるわけでもないけども、個人の幸福度についてそもそも考えられる前提はそろっている。

人は育った母国のことが一番よく理解できるのでダメなところも一番見えやすい。ともするといいことは忘れがちだしインテリほどその傾向は強いように思う。課題解決策を教育レベルが高い人は海外事例から探そうとしがちというのもよくある事象のように思う。

日本人として外資で比較的高い給料をもらい、外国語で仕事をする。そうするとやはり外に目は行きがちだ。ベトナム出身で他国で外国語をしゃべりながら外国で就労する彼ほどわたくしの目は外へはいっていないかもしれないが、日本人の平均からみると外向きかつ国内軽視になりがちなんだろうと思う。

次へ続く


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