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カメラと私

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<旅日記⑦ Sep.1995>ホーチミン・シティ(ベトナム)

<旅日記⑦ Sep.1995>ホーチミン・シティ(ベトナム)

[楽しい予感がしてきた]

この旅でどうしても訪れておきたい国はベトナムだった。

旅を始めた1995年9月は、アメリカとベトナムの国交回復(1995年8月5日)からまだ1か月というときだった。

ようやく外の世界にドアを開き始めたベトナムを自分の目で見ておきたいと、日本を出発する前にビザも取っておいた。

政治的理由などまったくない。たんなる、好奇心である。国にも旬な時というものがあって、ベトナ

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カメラと私(フィルムをデジタル化) ⑥

カメラと私(フィルムをデジタル化) ⑥

 25年前に半年間かけてアジアとヨーロッパ、アメリカをぐるっと回ったときに撮った写真のフィルムのデジタル化を始めた。カラー(ポジ)とモノクロの36枚撮りのフィルムが100本ずつ。とりあえずは、アジアで撮ったカラー11本、モノクロ10本のデジタル版が出来た。高画質ではない通常のサービスにしたが、モノクロのほうの出来栄えにはひじょうに満足している。

デジタル化で25年前の世界よみがえる 現像だけして

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カメラと私(修理不能と・・・)⑤

 わたしがこの10年ほど愛用していたコンパクトなデジカメであるキャノンのパワーショットG-12は、旧式のため部品はなく修理不能ということで手もとに返ってきた。

 いまどきのカメラは、生産中止になってから5年ぐらいしか、修理対応がないそうなのだ。パワーショットG-12の修理対応は昨年の7月までだったそうだ。電源を切る際、レンズが収納されなくなった程度なのでなんとかならないか、一縷の望みを持ってダメ

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カメラと私(マージャンはしない記者) ④

わたしはマージャンをしない・知らない新聞記者だったが・・・わたしはマージャンはしなかったが、新聞記者は公と私の区別がつきにくい職種だった。

支局勤務のころは夜中の12時よりも前に社を引き上げることはなかった代わりに、夕食と称して飲みに出掛け、また支局に戻ってきて記事を書いたり、電話取材をしたり、支局のソファで睡眠をとったり。家に帰ってから電話で呼び出されることもあったし、休日もあってないような。

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カメラと私 ③

わたしが、カメラを友とするようになったのは、新聞記者になってからだ。新聞社に就職して、驚いたのは、自分で写真を撮らなければならないこと。フィルム現像や印画紙への焼き付け(プリント)といった暗室作業も覚えなければならない。そのうえ、仕事道具のカメラも自分で買うとはーー。

小学生のとき、父親にねだっておもちゃのようなカメラを買ってもらったが、うまく撮れなかった。写真とはそれっきりだった。中学・高校の

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カメラと私 ②

写真がデジタル化して、地方のカメラ屋さんは一変した。

壊れたデジカメを修理に出そうと店を訪れると、ほとんどのお客さんは若い女性で、1人ひとり、昔のデスクトップのパソコンi-mac(2000年ごろのアップルコンピュータのパソコン)のようなモニター画面の前に座って操作(デジタル加工)をしているのには驚いた。

というのも、わたしの知っている昔のカメラ屋さんでは、お客さんの多数派はアマチュアカメラマン

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カメラと私 ①

とても重宝していたデジタルのコンパクトカメラである、キャノンの「Power Shot G 12」が故障してしまったようで、使用不能となった。スイッチを入れるとくるくるとレンズが飛び出し、切るとくるくるっと収納されるタイプ。スイッチを切っても、「うぃーん」と切なげなモーター音がするだけで収納できなくなったのだ。

撮っても撮らなくても、作動のたび、激しくその動作を繰り返しているのだから、一番ダメージ

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