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カメラと私(フィルムをデジタル化) ⑥

 25年前に半年間かけてアジアとヨーロッパ、アメリカをぐるっと回ったときに撮った写真のフィルムのデジタル化を始めた。カラー(ポジ)とモノクロの36枚撮りのフィルムが100本ずつ。とりあえずは、アジアで撮ったカラー11本、モノクロ10本のデジタル版が出来た。高画質ではない通常のサービスにしたが、モノクロのほうの出来栄えにはひじょうに満足している。

デジタル化で25年前の世界よみがえる

 現像だけして紙プリントをしていなかった写真がほとんど。25年前にファインダー越しにのぞいた世界が初めてよみがえる。モノクロのネガは、フィルムからは写っている内容を透視するのが難しかっただけになおのことだ。 

 1995年9月から1996年2月にかけて撮った200本。36歳から37歳にかけての旅だった。それから25年、よくカビもはやさず、保存できたものだ。ただ、そのまま置いておくだけでは意味がない。noteを始めたのは、これらの写真を公表するツールとしてはどうかと、noteの存在をヨメが教えてくれたからだ。それを目標に、デジタル化してくれる業者を選んで作業をスタートさせた。

助言とサポートしてくれた写真店の店長

 旅は写真撮影が目的ではなかったが、旅のあいだの行動は撮影が中心になった。旅を始めるにあたっては、フィルムの準備から現像の手はずまでを、いろいろ助言とサポートをしてくれる人がいた。旅の出発の前日まで勤務していた新聞社で記者をしていた最終の1年半住んでいた愛知県のJR中央線沿線の駅前の写真屋さんで店長をしていた方だ。直前には、夜半にクルマで愛知を出て、夜明けまでに信州に到着して夏の高原の朝をねらう“1日写真教室”をしてくれたのは店長の趣味の延長。

フィルム200本は、かさばるし、重いし・・・

 あとは商売の延長で、用意しておくフィルムの本数は1日1本を目安に半年分として200本でどうか、と。フイルム200本というのがとてもかさばるうえ、とても重いものだとは考えていなかったが、わざわざ日本から持っていくことについては、わたしたちにとっては当たり前でも、外国ではモノクロやポジはまず売っていないからというのが理由だった。実際は、どこかには売っているだろうが、いちいち探すのはあまりにも大変だったろうことは、現地に着いて思った。あまりにも重くて量がかさんで大変だったが、正解だった。

 「20本撮ったら、航空便で店まで送れ」。せっかく撮っても落としたり盗まれたりしては元も子もない。船便ではなくエアとするのは塩害防止のためだという。届いたら現像して保管しておいてくれる。わたしの荷物も軽くなっていく。

機材は50ミリレンズ中心に

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撮影の仕方と道具についてもいくつか助言をもらった。カメラはEOS-1N。レンズは50ミリを基本にした。あとは20~35のズーム。ストロボは使わない。「光が1点でもあれば写真は撮れるものだ」。その店長の言葉を信じ、トライしてみることにした。あとは付属品として、カメラバッグに入るミニ三脚と、カメラを首からぶら下げ、胸元で位置を安定させるバンド。「カメラは首からぶら下げるのが基本だ」というアドバイスに従った。

 こうして、写真撮影を中心とした旅となった。旅の印象はすでに文章にして、近所の塾が発行している『てらこや新聞』に2012年から64回連載してもらっているので、書きたまっている。ただ、紙面では挿絵などを入れてもらっているが写真はなかった。これからは、そのテキストに写真を付けて、noteに掲載するつもりでいる。(おわり)




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