池袋 24:30
柔らかい金属がぶつかり合う、やさしい衝突音がした。
それなりに大きな音だったのだが、テレビや映画によってあのばかみたいにオーバな効果音ばかり聴かされて育ってきたので、実際にそれを聴いた時に一番初めに浮かんだ感情は「違和感」だった。
青いトラクタヘッドの前で自転車が倒れている。
撥ねられる瞬間を見ていたような気もするし
それは記憶の捏造のような気もする。
彼女に聞けば真実を思い出してくれるかもしれない。
が、やもするとそもそもこの記憶そのものが酩酊した僕の脳の作り出したまぼろしである可能性も棄てきれない。
万一そうだったとしたらこのリアルさの説明がつかず、恐ろしくてこのさき生きて行けなくなると思うので聞くことはできない。
とにかくある夜、二人の男女の目の前で一台の自転車がトラックに撥ねられた、という事にしておこう。
ー
いつものお店で深夜まで。
いつもどおりの平日。
終電の時間を気にする仲間達を尻目に、徒歩で帰れるという利点を最大限に生かして圧倒的な開放感のなかに身を置くことができたのは僕と彼女の二人だけだった。
その店はそういったくずたちのたまり場になっていて、そこの店主はそういう若いダニをアルコール漬けにしてから再び街に放すことを生業としていた悪趣味な中年だった。
数年前に楽園を追放された20代の僕らはこの世界での苦悩や悲しみを何とかして酒と音楽で分解するしかなかった。
アルコールを用いて科学的に、空気の振動で物理的に。
それは特殊なセミナや過激な新興宗教、革命的思想を持つ活動団体や、暴走族のような反社会的傾向にある集団よりもいくらか健全だったと言えないことも無いが、それらと違ってある種のルールや規律が存在しない。
完全なる自由のせいでよりタチが悪かったとも言える。
金と時間と体力を消費して、将来的に得るものは何も無いという点ではそれらとなんら変わるところはない。
変な人たちと仲良くなってしまったり、人生の過ち、地雷、トラブルに巻き込まれることも一度や二度ではなかったので、よく考えるまでも無く僕に彼らを批判する資格は無いのだ。
法の裁きを受ける機会に恵まれなかったのは本当にただの幸運な偶然で、そこで出会う友人のうち何人かは楽しい楽しい集団生活の話をしてくれる。
そこでは、それすらもただのエンターテイメントだったが。
沢山の人と出会い、別れ、関係したり、しなかったり
来るもの、去るもの、行く場所、帰る場所、新しい世界、古い世界。
そんな世界を共に過ごした彼ら彼女らは、大切な友人であり、戦友であり、時にはそれ以上のなにかだったり、そうじゃなかったりした。
ー
身体を垂直に保つことさえ困難になる程に酔っ払った僕らは、本来直線の筈の明治通りをピンボールの玉のように反射しながら北上していたところで、一般的な自転車がトラックに撥ねられるときにはキキーガシャンとは言わないということを初めて知った。
突然起きた平穏を破壊する「変化」に驚き、ある種の喜び、好奇心、その他沢山の感情が沸き起こる。
その感情がアルコールで増幅され興奮に変わった僕ら二人はそれが見える位置まで、赤の横断歩道を渡った。
その交差点は僕と彼女の帰路が分かれる分岐点であり
いつもはそこで別れる彼女が「こちら」側に来るのは初めてだ。
少しだけ緊張した。
戦場か地獄、もしくは悪夢と表現するしかない平凡な日常の中でそういう小さな変化は、簡単に心を揺り動かす。
「バカヤロウ。てめえ。なんだってこの、おい!ちくしょうめ!」
後半はよく聞き取れなかった。
怒鳴っているのはもちろん撥ねられたほうの男性で、きっと僕らと同じくアルコールによって増幅されたポテンシャルの為に身体の痛みなど感じていないのだろう。
大声で悪態をつきながら自転車を引き起こすと、トラックのバンパを蹴り、またふらふらと何事も無かったかのように走り去っていった。
元気そうでなによりだった。
もしかしたらあとで本当の痛みや怪我に気づくかもしれないが、その時はもう遅い。ナンバも車種も覚えていないし、目撃者も僕ら以外居ない。
死や流血を見ずに済んだことと、こんな深夜に警察や救急に目撃者として長時間拘束される可能性が無くなったことに安堵した。
不思議な一体感を感じた。
彼女も同じように考えているといいなと思った。
24:45
あの街で起こる全ての出来事は僕らにとって最高のエンターテイメントだった。こんな話ですら、明日以降の歴史の1ページになった。
それからも何度もその交差点で別れたが彼女が「こちら側」に来ることはついぞ無かった。
それでいい。
僕達は交差することなく、
すれ違うことも無く、
過ちを犯すことも、
トラックかなにかに衝突することもなく、
その友情は10年たった現在も続いている。
ー
今度あったら、やはり勇気を出してこの話を聞いてみようと思う。
これがもし完全に僕の妄想だったとしたら、かなりやばい。
そしてあの時に少しだけ感じたドキドキすらも妄想の産物だったとしたら、さらにやばい。
おしまい
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