タグラグビーから得た学び -生活やビジネスのヒント- ①目的の整理から始める

【物事の始まりは目的から】
最初に話をするのは「目的の整理」である。
正確な定義は別にあるのかもしれないが、私は目的を活動の意義や意味として使い、目標はその具体的な「マイルストーン」「チェックポイント」である(通過点と言い換えることもできる)と認識している。
覚えておいてほしいのは「目標は目的達成の通過点である」ということだ。
少し抽象的かもしれないので、私のタグラグビーに携わる目的と目標を例に説明する。

私がタグラグビーに携わる目的は「自分と子供が社会に通じるスキルをタグラグビーから選手とともに学びを得る」ということである。これに対して目標は「全国大会・予選という1発勝負の環境で、これまでやってきたことを発揮すること」である。目的は概念的であり、即座に達成できたか判断はつかないが、目指すべき指針を示してくれるのに対し、目標は達成できたかの進む方向が正しいのかを教えてくれるようなイメージだ。

【全国大会という結果】
私は「全国大会に出る」を私自身の目的にも個人の目標に置いていない。確かに、トップチームをたてる場合、勝利を目指すことが存在意義であること自体は認めざるを得ない事実だ。そのため、チームとしては目指す目標の一つとして選手の選考、試合起用、練習強度は全国大会ということで高く設定している。だが、私にとってトップチームとは、目的達成の手段として高い目標をたてられる子が集まる組織というだけの話なのだ。人それぞれ習熟度が違う中で、少し難しいものに挑戦することが学びを与えてくれる。トップチームにとって達成可能な範囲で難しい課題が「全国大会」に過ぎないのかもしれない。
もし、全国が到底目指せないなら違うチーム目標を立てると思う。これは同様に、セカンドチームであることが、目的である「自分と子供が社会に通じるスキルをタグラグビーから選手とともに学びを得る」を達成できないことにはならないことと同じだ。目的の達成手段は無数に存在している。だからチームの目標は与えられたチームや環境によって都度変えながら、目的は不変に設定することが大切なのだ。

毎回担当したチームの選手に言うことであるが、本当に大切なのはこれで負けても後悔しないといえるまで練習し挑戦することだ。全国大会に出ることはその挑戦に向けた準備の「結果」に過ぎないととらえている。これは目的にも目標でもない。目指すものなのか、副産物なのかを見誤らないことが活動の価値を決定し、努力の方向性の鍵なのだと思っている。

【上手になるは、目的か】
次に技術について考える。
技術に関しては最低限、「タグが取れる」「ボールを落とさない」という基本が出来れば何でもいいとすら思うようになった。なぜなら、このスポーツは相対的であり、技術的に上手なチームが必ず勝つわけではない。後述するが技術とはあくまでも勝利する確率を高めるための手段である。だからこそ、必要なことを必要なだけ行うことが大切だと思う。今50mを6秒で走れるなら5秒にするための練習をするのか、ほかの技術を伸ばすのかどちらがチームにとって大切かを考えることと同じなのだ。むやみやたらに頑張ることは本質ではない。

それに、タグラグビーの技術そのものは社会に出てあまり役立つことは少ない。小学生の間、ラグビーを続けても中高、あるいはプロでもせいぜい40代とくらいまでだろうか。
だからこそ、練習の本質はどれだけ目標に対して頑張れたか、だと思うのだ。
これは選手の今後の人生に大きな影響を与えてくれる。もしかしたらタグをやめてからの方がより効果を発揮するのかもしれない。

技術を教えてくれる人は様々な場面でいるが、それが何のためのなのかを考える人は少ないと思う。それが「何らかの結果のため」になると、プロセスが見失われてしまう。結果主義の悪い側面は、プロセスを見ないことにある。プロセスが軽視されれば次また同じ壁にぶつかったり、意味のない負けを引き起こしたりする。簡単に言えば学びがない負けを作る。これほど意味のない時間はないし、誰も得をしないのだ。
その意味で大会の結果を目標にするというのはあまりよくないように感じてしまうのだ。

以上から私はとりあえず全国大会にでることや、漠然と目標達成すればすべてOKではないと思っている。目的は「自分と子供が社会に通じるスキルをともに学ぶ」ことだ。履歴書に書かない「タグラグビー」だからこそ、上手くいかなかったとしても、「本気で挑戦すること」「失敗経験と立ち直り方」などの学びを得られることが人生で、貴重な良い学びの機会・経験なのではないだろうか。

【なぜ目的か】
特に、私は活動の最初に「活動の目的」つまり【なぜ行うのか】を整理することを大切にしている。それが最も効率的だからだ。(ちなみに私の上司は、もっと目的を考えろと教えてくれるので、できていないのかもしれない)
何をするにしても資源というものは常に有限である。何かの本で読んだが、資源とはお金、時間、あるいは人材とも言い換えられる。これをどれだけ効率的に扱えるかが限られた期間で目指すゴールへの道筋・方向性をつけるか。そして道筋を考えること、これが戦略である。つまり戦略とは「適切な資源の配分でチームに方向性を示す」ことなのだ。
ここでポイントとして、タグラグビーに限らず多くの場所で発生する問題ではあるが、「目的達成のために手段があるが、資源の変化によって手段が目的になる」ことがある。(時間がたつと忘れてしまったり、焦って見失うことや人が変わるとやることが変わるといった経験はまさにその例だ)

最初は意味がある活動だったのだが、次第に意味が薄れたり、やることが目的になったり、といったことは練習だけでなく、勉強・仕事などでもよく起こっていると思う。「これってなんでやってるんだっけ?」や「とりあえずやろう!」でやっているとそこに割いている資源、つまり時間や人が無駄になってしまうかもしれない。限られている資源だからこそどう使うかが大切だ。

だからこそ、目的をしっかりと定義づけたい。なぜやるのかを明確にすることが、資源を効率的に使うことにつながり、最終的に目的や目標の達成の近道となる。走りながら考えるのも大切だが、まずはどこに走るのかしっかり考えることこそが活動の成功確率を高める手段であると私はタグラグビーから学んだのだ。

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