「なぜ、あの人の文章は読みたくなるのか?」その理由を探ってみる
chatGPTとか、各種AIツールがどんどん加速していく今、ライターの仕事がなくなるとかなんとか言われていますが。
と思う今日この頃。
「この人のコラムは必ず読む」「この人の新刊がでたら絶対よみたい」
という人、最近固定化されていませんか・・・?
誰もが文章を書けるようになった今、同じようなコンテンツや有益っぽいものは溢れているのだけれど。かく言う私も
のである。
では、一生懸命文章を書かれても読みたくない人と、どこかの誰かに心待ちにされている人の文章のちがいって一体なんなのだろうか・・・?
読まれる文章と読まれない文章のちがいとは?
「どの立場から言っているのだ?」という言葉が飛んできそうなので、ここで一旦私の仕事の話を前提として述べておこう。
最近ひしひしと思うことがある。どんなに有益な情報でも、つまらないと感じてしまうことが増えてきたのである。
一言で言うと「お腹いっぱい」状態。そして「なんか疲れちゃう」という感じだ。それもそのはず、日々仕事に家事に育児に介護に、それぞれみんな必死に戦っている。わざわざ時間を割いて触れる文章が
だと、もう手をつけたくない。心に染み入るお母さんの味噌汁くらいがちょうど良いのだ。(豆腐とわかめときのこくらいの脱力感。)
その一方で、「林真理子」「ジェーン・スー」「益田ミリ」さんのエッセイ本は、何度も読み返したくなる。特に最近は馬鹿みたいにこの三人のヘビロテだ。
彼女たちの文章には、一体何が詰まっているのだろうか。その理由を具体例とともに分解していきたい。
適度なユーモアで、心をほぐす文章術
林真理子さんのエッセイを読むと、まず彼女の独特なユーモアに引き込まれる。例えば、彼女が毎回挑戦して失敗するダイエットの話や、夫への皮肉のこもったやり取りの数々。時には業界の裏話をこっそりユーモラスに伝えてくれる。
普通なら恥ずかしくて話せないようなエピソードを、あっけらかんと語ることで、読者は「ああ、私もそんなことある!」と共感し、心がほぐれるのだ。
日常のドラマを拾い上げる力
次に、ジェーン・スーさんのエッセイに触れてみる。彼女の人間味あふれる言い回しや中年以降の女性の生々しい描写が印象的だ。
彼女はポッドキャストやvoicyの発信もしているのであるが、隣の中年女性のリアルな小話を盗み聴きしてるような感じで、抜け出せない。
確かに情報を詰め込むだけの文章は今では誰でも書ける。AIに任せれば誰でもそれなりになる。
しかし、今求められているのはそうではないのではないか。
データや事実を伝えることは重要だが、その背後にある人間の感情や経験を無視してしまうと、読者の心には響かない。
脱力しつつも、人生の気づきを与えてくれる巨匠
そして、大好き益田ミリさんのエッセイには、誰にも負けない適度な脱力・リラックス感がある。誰にでもある日常をゆる〜く描きながらも、最後はバシッと決めてくれる。
忙しい日々の中で見落としている「日常の再発見」を体験させてくれるのだ。
これからの読まれるコンテンツの条件
これらのエッセイストたちの共通点は、
を持っていることではないかと思う。情報を伝える中にも、ユーモアや人間味を織り交ぜることで、読者にとって読みやすく、心地よい文章になるのだ。
実体験がベースとなった「日常での違和感やモヤモヤ」をキャッチして自分なりに面白おかしく打ち返していく。そして、時にはちょっと真剣に打ち返してくれるからこそ、心にズキュンと響くのだ(表現が昭和。)
ということで、私も「私にしか書けない文章」を引き続き模索していこうと思う。
では、また!
最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️