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なぜ自分はサイエンスが好きなのか

「なぜ、自分はサイエンス=研究が好きなのか」について、今まであまり言語化することがなかったので、突然ですが、この機会に自省して、言語化してみたいと思います。

研究者はなぜ研究に取り憑かれるのか

自分がなぜ、研究が好きなのか

自分が研究で一番楽しい瞬間は、実験結果が出た時

自分の出した実験結果に対して、あれこれと考察をし、何か法則性がないか、過去の文献と照らし合わせたりして、妄想を膨らませている時

この時間が、無我夢中になれ、物事に没頭できる時間

現代人は、未来への漠然とした不安や、他者との不安定な関係性に、常に息苦しさを感じている

何かものごとに対して、夢中になって没頭している時間、つまり、未来への不安を忘れている時に、楽しさと充実を感じるもの

自分の場合は、それが研究だったということ

「人が何かを理解する」というのは、
「2つ以上の異なる既知の情報に新しいつながりを発見する」ということ

ではなぜ、研究、サイエンスだったのか

実験結果が出て、それが、何か法則性のようなものを感じさせる時に、自分の中で興奮と衝撃が走る

その感覚を得たいがために、サイエンスに関わり続けたいのだと思う

人は見慣れた現象に対して、これまでにない理解を得ると大きな衝撃を感じるもの

そして、これまでにない理解を得て、感動する時とは、どんな時か

それは「2つ以上の異なる既知の情報に新しいつながりを発見した」とき

この「理解する」ということに関して、
神経科学者でマーケターの安宅和人さん著「イシューからはじめよ」で、
4つのパターンが存在することが記されている

とても興味深かったので、ここで一部紹介させていただく

共通性の発見
2つ以上のものに、何らかの共通なことが見えると、人は急に何かを理解したと感じる

関係性の発見
複数の現象の間に関係性があることがわかれば、人は何かを理解したと感じる

グルーピングの発見
対象を何らかのグループに分ける方法を発見することで、これまで1つに見えていたもの、無数に見えていたものが判断できる数の固まりとして見ることができるようになり、洞察が深まる

ルールの発見
2つ以上のものに、何らかの普遍的な仕組み・数量的な関係があることがわかると、人は理解したと感じる

この4つの法則を念頭に、世の中の事象を見渡してみると、何気ない日常に新しい理解が生まれ、理解に伴う"感動"や"衝撃"を感じることができる

そして学びやサイエンスが、楽しいと感じる

そんな感じで、自分なりの新しいフレームワークで、世の中の現象を理解し説明できないか、研究者はみんな模索し、没頭している。。


とりとめもなく書き連ねましたが、こんな自分を内省するエッセイみたいな記事もたまに書いていきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

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ちなみに↓が安宅和人さん著「イシューからはじめよ」です。
データ社会の現代に、自分なりの視点を持って生きていく上で、必読の書だと思います。









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