Kagirohi

三重県で製造業に勤務しています。Note初心者です。還暦を超えて、好きな歴史、山、読書…

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三重県で製造業に勤務しています。Note初心者です。還暦を超えて、好きな歴史、山、読書について発信していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

マガジン

  • そうだ「お城」行こう

    日本百名城、続日本百名城をはじめ、大好きなお城を紹介していきます。

  • ”Holistic Management”

    目指すべき、全体性のマネジメント(Holistic Management)についての考察です

  • 魂に響く「アフォリズム」

    魂に響いた「箴言(アフォリズム)」や「言葉」を紹介していきます。

  • 気分が晴れやかになる「山」

    大好きな「山」の写真を紹介していきます。

  • 心が落ち着く「寺社」

    心が落ち着く「神社仏閣」を紹介していきます。

最近の記事

「駿府城」 ~大御所隠居のお城~ [日本100名城No.41]

 静岡県の駿府城を訪れました。  1582年、武田勝頼が破れた後、駿河を手に入れた徳川家康は、近世城郭と して、従来の駿府城を大改修し、天守も建造しました。  1590年の秀吉の小田原攻めの後、家康が関東移封となると、中村氏が入城 しましたが、1603年に征夷大将軍となり、1605年に将軍職を秀忠に譲ると、自身は駿府城に隠居して「大御所様」と称されました。  大御所の居城ということで、在りし日は、江戸城より立派だったとか。 ■アクセス■ ・JR静岡駅から徒歩約15分

    • 「掛川城」 ~山内一豊で有名な平山城~ [日本100名城No.42]

       静岡県の掛川城を訪れました。  掛川城は、駿河の守護大名今川氏が、遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に 命じて築城させたのが始まりです。  戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城。天守閣の建設とともに 掛川の城下町を整備しました。  一豊は、関ヶ原の戦いの後、土佐一国を与えられ、掛川城を模して、高知 城を築城しました。  1994年に復元された天守は、日本初の木造復元天守です。  また、重要文化財に指定されている二の丸御殿は、二条城とならんで、数 少ない完存御

      • 「浜松城」 ~徳川300年の歴史を刻む出世城~ [続日本100名城No.148]

         静岡県の浜松城を訪れました。  徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった城です。  武田信玄との三方ヶ原の戦いの際、家康が討ち死に寸前まで追い詰められ、九死に一生を得たのが、この浜松城です。  その悔しさと恐怖に怯える表情を当時に絵師に描かせたのが、有名な「しかみ像」です。  自身の冷静さを欠いた行動で、多くの家臣を失ってしまった自分を戒めるため、常にこの絵を手元に置いていたそうです。  江戸時代を通じて、徳川家譜代大名の居城となり、歴代

        • 「富山城」 ~佐々成政、富山前田家の居城~ [続日本100名城No.134]

           富山市内にある富山城を訪れました。  富山城は、佐々成政の居城として知られ、江戸時代には、富山藩の藩庁として前田利次が入城し城の修復を行いました。  以降、明治時代に至るまで、富山前田家13代の居城となりました。  大分県の岡城とともに、滝廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城の一つと言われています。  現在は、城址公園として、模擬天守(富山市郷土博物館)が建てられています。 ■アクセス■ ・JR富山駅から徒歩約15分   路面電車で約5分 ■料金■ ・210

        「駿府城」 ~大御所隠居のお城~ [日本100名城No.41]

        • 「掛川城」 ~山内一豊で有名な平山城~ [日本100名城No.42]

        • 「浜松城」 ~徳川300年の歴史を刻む出世城~ [続日本100名城No.148]

        • 「富山城」 ~佐々成政、富山前田家の居城~ [続日本100名城No.134]

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        • そうだ「お城」行こう
          34本
        • ”Holistic Management”
          23本
        • 魂に響く「アフォリズム」
          30本
        • 気分が晴れやかになる「山」
          34本
        • 心が落ち着く「寺社」
          21本
        • 心が躍る「歴史」
          11本

        記事

          「川越城」 ~小江戸の本丸御殿~ [日本100名城No.19]

           埼玉県の川越城を訪れました。  川越城は、1457年に、扇谷上杉持朝が、太田道灌に命じて築城させたお城です。  本丸御殿は、1848年に時の川越藩主松平斉典が造営したもので、当時の面影を伝えています。  当日は、学生の社会見学と重なり、混雑していました。  また、川越は、小江戸と呼ばれ、蔵作りの街並みが残っており、情緒豊かです。 ■アクセス■ ・東武東上線川越駅から、バスで約15分 ■料金■ ・100円   スタンプは、本丸御殿受付窓口にあります。

          「川越城」 ~小江戸の本丸御殿~ [日本100名城No.19]

          「本佐倉城」 ~千葉氏の夢の跡~ [続日本100名城No.121]

           千葉県の本佐倉城を訪れました。  本佐倉城は、千葉氏後期の本拠となった城です。  1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏の支配下にあった千葉氏も共に滅亡し、徳川家康の支配となりました。  佐倉城からは、レンタサイクルで、約30分。京成大佐倉駅からは徒歩で行けます。  土塁、空堀等が残っています。 ■アクセス■ ・京成本線大佐倉駅から、徒歩10分 ■料金■ ・無料   スタンプは、京成本線「大佐倉駅」にあります。

          「本佐倉城」 ~千葉氏の夢の跡~ [続日本100名城No.121]

          「佐倉城」 ~老中輩出最多の城~ [日本100名城No.20]

           千葉県の佐倉城を訪れました。  佐倉城は、1610年に佐倉に封じられた土井利勝によって築城されました。  以降、江戸を守る要衝の地として、歴代譜代大名が封じられています。  幕府の要職につくと佐倉に移されるという傾向があり、歴代城主のうち9人が老中となっており、その数は、全国の藩で最多とのこと。  堀田家が歴代城主のうち半分以上の期を占めました。 堀田正睦の銅像が建っていました。   ■アクセス■ ・京成本線佐倉駅から、レンタサイクルで約10分(徒歩なら約25分)

          「佐倉城」 ~老中輩出最多の城~ [日本100名城No.20]

          「鬼ノ城」 ~国土防衛のための古代山城~ [日本100名城No.69]

           岡山県の鬼ノ城を訪れました。  岡山総社ICを下りると、鬼城山の山頂に鬼ノ城が見えてきます。駐車場までの登り道は、道幅が狭く、注意が必要です。  駐車場には、鬼ノ城ビジターセンターがあり、鬼ノ城について詳しく説明されています。  鬼ノ城は、663年の白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れたことにより、国防上建てられた古代山城のようです。  ビジターセンターから徒歩10分で、復元された西門に行くことができ、そこからは、吉備平野から瀬戸内海を一望できます。  戦国時代の

          「鬼ノ城」 ~国土防衛のための古代山城~ [日本100名城No.69]

          「津山城」 ~美作の100名城~ [日本100名城No.67]

           岡山県の津山城を訪れました。  津山城は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が、1616年に鶴山に築いた平城です。  天守は明治の廃城令で取り壊されましたが、天守南東側の備中櫓が、築城400年の記念事業として復元され、2005年から公開されています。  当日は、盆栽展も併設されており、お抹茶を頂きました。  城跡は、「さくら名所百選」にも選ばれた桜の名所です。 ■アクセス■ ・中国道・津山ICから、車で約15分 ■料金■ ・300円   スタンプは、備中櫓の

          「津山城」 ~美作の100名城~ [日本100名城No.67]

          「福知山城」 ~明智光秀が築いた城下町~ [続日本100名城No.158]

           JR福知山駅から、徒歩15分。車窓から見える福知山城は、明智光秀に築城されました。  織田信長の毛利攻めを担い、丹波地方を平定した明智光秀。訪問当時、大河ドラマの主人公ということで、福知山の町は活気に満ちていました。  天守閣は、昭和61年に復元されたもので、内部は郷土資料館になっており、ビデオ等で歴史を学べます。  望楼からの城下の眺めも抜群です。 ■アクセス■ ・JR福知山駅から、徒歩15分 ■料金■ ・320円   スタンプは、天守閣入り口にあります。

          「福知山城」 ~明智光秀が築いた城下町~ [続日本100名城No.158]

          「岸和田城」 ~楠木正成時代からのお城~ [続日本100名城No.161]

           南海電車の岸和田駅から、徒歩15分。車窓からも見える岸和田城は、楠木正成時代からのお城です。  伝承によれば、楠木正成の一族、和田高家が築いたとされており、当時、「岸」と呼ばれていた当地に和田氏が城を築いたことにより、「岸和田」となったとか。  室町時代は、細川氏、戦国時代は、三好氏、織田氏と主が代わり、豊臣秀吉の時代には、根来寺焼き討ちの本拠として重要な役割を果たし、根来攻めの終結と同時に、秀吉の家臣である小出秀政が城主となりました。  江戸時代には、大坂冬の陣の松

          「岸和田城」 ~楠木正成時代からのお城~ [続日本100名城No.161]

          「郡上八幡城」 ~日本最古の木造再建天守~ [続日本100名城No.141]

           岐阜県の郡上八幡城を訪れました。  郡上八幡城は遠藤氏や青山氏の居城として知られています。 1933年に再建された模擬天守は日本最古の木造再建天守です。  小規模な城ながら、城下から眺める天守の姿や、天守から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しく、司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城」と評しています。  また、山内一豊の妻である千代が初代城主・遠藤盛数の長女であることから、山麓には山内一豊と妻千代の像があります。 ■アクセス ・郡上八幡ICから、車で約15分 ■料金

          「郡上八幡城」 ~日本最古の木造再建天守~ [続日本100名城No.141]

          「二条城」 ~大政奉還の舞台となった世界文化遺産~ [日本100名城No.53]

           大政奉還の舞台となった、京都の二条城を訪れました。  徳川幕府の京都における拠点となった二条城は、徳川家康が、1603年に京の宿舎として建設しました。  家康と豊臣秀頼の会見場所となったほか、1867年には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行いました。  二の丸御殿の、鶯張りの廊下や、障壁画は、圧巻です。 大政奉還の状況を、人形をおいて再現されていました。  1994年に、世界文化遺産に登録されました。 ■アクセス■ ・地下鉄二条城前駅から、徒歩5分 ■料金■ ・

          「二条城」 ~大政奉還の舞台となった世界文化遺産~ [日本100名城No.53]

          「備中高松城」 ~秀吉水攻めの城~ [続日本100名城No.171]

           岡山県の備中高松城を訪れました。  鬼ノ城から、車で約20分で、秀吉の水攻めで有名な備中高松城に着きます。  この戦いの最中に、「本能寺の変」が起こり、秀吉はここから有名な「中国の大返し」で明智光秀を討ち、後の天下統一の第一歩を踏み出します。  天守等は残っておらず、秀吉が築いた堤が、水攻め史跡公園として整備されていました。  城址公園の資料館には、当時の水攻めについての資料が展示されています。 ■アクセス■ ・岡山ICから、車で約10分    ■料金■ ・無料

          「備中高松城」 ~秀吉水攻めの城~ [続日本100名城No.171]

          「浪岡城」 ~浪岡北畠氏の居城~ [続日本100名城No.103]

           青森県の浪岡城跡を訪れました。  浪岡城は、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として、応仁年間に築かれた平城です。  1578年に、浪岡北畠氏9代北畠顕村のとき、津軽為信に攻められ落城しました。  現在は、跡地に出土した遺跡を、近所の「中世の館」で展示されています。 ■アクセス■ ・JR浪岡駅から、車で10分、徒歩約25分 ■料金■ ・無料 スタンプは、中世の館にあります。

          「浪岡城」 ~浪岡北畠氏の居城~ [続日本100名城No.103]

          「和歌山城」 ~紀州徳川家の居城~ [日本100名城No.62]

           和歌山県の和歌山城は、徳川御三家・紀州徳川家の居城です。  1585年、豊臣秀長が築城し、1600年に、浅野幸長が天守を築城。そして、1619年に、徳川頼宣(家康10男)が、紀州徳川藩の藩主として入城しました。  標高49mの虎伏山に築かれた三重三階の連立天守で、天守からは、紀ノ川、和歌山市内から、高野山、金剛山も眺望できます。  JR和歌山駅、南海和歌山市駅から、バスが出ていますが、南海の駅前には何もなく、JRで行かれるのがおすすめです。 ■アクセス■ ・JR和歌

          「和歌山城」 ~紀州徳川家の居城~ [日本100名城No.62]