Kagirohi

三重県で製造業に勤務しています。Note初心者です。還暦を超えて、好きな歴史、山、読書…

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三重県で製造業に勤務しています。Note初心者です。還暦を超えて、好きな歴史、山、読書について発信していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

マガジン

  • 心が躍る「歴史」

    大好きな「歴史」のページ。

  • 魂に響く「アフォリズム」

    魂に響いた「箴言(アフォリズム)」や「言葉」を紹介していきます。

  • 心が落ち着く「寺社」

    心が落ち着く「神社仏閣」を紹介していきます。

  • 気分が晴れやかになる「山」

    大好きな「山」の写真を紹介していきます。

  • 心がほっこりする「温泉」

    源泉掛け流しのお気に入りの「温泉」を紹介していきます

最近の記事

「景行天皇陵」 ~第12代天皇~ 

「景行天皇陵」 ~第12代天皇~   崇神天皇陵から、山の辺の道を南に20分ほど歩くと、12代景行天皇陵があります。  景行天皇は、11代垂仁天皇の第三皇子で、有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)の父です。  即位12年、九州に親征して熊襲・土蜘蛛を征伐し、熊襲が再叛すると、日本武尊を遣わして川上梟帥を討たせました。  即位40年には、東国の蝦夷平定を日本武尊に命じましたが、3年後、日本武尊は帰国中に伊勢国で逝去。  即位53年から、日本武尊の事績を確認するため東

    • 「崇神天皇陵」 〜第10代天皇〜

      「崇神天皇陵」 〜第10代天皇〜  纏向遺跡の北、山の辺の道沿いに、第10代崇神天皇陵があります。 ◆神武天皇と同じ初代  崇神天皇は、第10代天皇とされていますが、日本書紀では、初代神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」、すなわち「初めて国を治めた天皇」とされており、第2代から第9代の記述が少ないことから、崇神天皇=神武天皇、もしくは、崇神天皇こそ初代なのでは、という説があります。  また、神武天皇から第8代孝霊天皇までの御陵が橿原近辺にあり(第9代開化天皇陵

      • 「六中観」

        「六中観」(安岡正篤)  安岡正篤氏の百朝集に、六中観という人の道を説いた名言があります。安岡正篤氏は、孔子、老子ほか東洋思想の教訓に潜む普遍の真理を、人の道と指導者のあり方を論じた実践活学を説いています。 ◆「死中活有」  大きな人生の壁にぶち当たった時、諦めたり、逃げ出したくなるものですが、「背水の陣」を敷く覚悟で、必死に取り組むことにより、事態を打開できることがよくあります。  本当にせっぱ詰まった死の中にこそ活があるのでしょう。   ◆「苦中楽有」  苦しみか

        • 「箸墓古墳」 ~卑弥呼の墓?~

          「箸墓古墳」 ~卑弥呼の墓?~  JR巻向駅から、徒歩10分のところに、「箸墓古墳」があります。  初期ヤマト政権発祥の地と言われている「纏向遺跡」からも近い場所で、3世紀頃に造られたと言われる前方後円墳のため、年代からも、「卑弥呼」の墓ではないかという説があります。  近隣にも「卑弥呼の里」という看板が掲げられていました。 ◆最古の前方後円墳  卑弥呼の墓かどうかは別にして、3世紀頃に、このような大きな前方後円墳が造られたということは、ヤマトのこの地に、巨大な政権

        「景行天皇陵」 ~第12代天皇~ 

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        • 心が躍る「歴史」
          8本
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          16本
        • 心が落ち着く「寺社」
          13本
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          19本
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          2本
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          6本

        記事

          「桧原神社」 〜伊勢御巡幸の元伊勢〜

          「桧原神社」 〜伊勢御巡幸の元伊勢〜  大神神社から、山の辺の道で15分のところに、桧原神社があります。  桧原神社は、大神神社の摂社で、御祭神は天照大神です。境内には本殿、拝殿がなく、三ツ鳥居(三輪鳥居)を通して、御神座を拝します。  この周辺は、第10代崇神天皇が皇居に祀られていた天照大神をお遷しし、伊勢神宮鎮座前に大神をお祀りした伝承地であることから、「元伊勢」と呼ばれています。  境内からは、二上山が美しく見え、付近には有名人の歌碑が多くあります。 ◆伊勢御

          「桧原神社」 〜伊勢御巡幸の元伊勢〜

          「三輪山(467m)」 〜大神神社の御神体〜

          「三輪山(467m)」 〜大神神社の御神体〜  大神神社の御神体である、三輪山を登拝してきました。三輪山は、「関西百名山」の一つです。 ◆日本最古の神社:大神神社  三輪山は、日本最古の神社と言われる、大神神社(オオミワジンジャ)の御祭神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)が鎮まっておられる山です。  そのため、大神神社には本殿はなく、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、三輪山を拝むようになっています。 ◆三輪山登拝  大神神社から、徒歩10分のところに、大神神社の

          「三輪山(467m)」 〜大神神社の御神体〜

          小学校の頃(今から50年以上前)、社会科の授業で習った、四大公害病の一つ、四日市ぜんそく。そんな四日市に引っ越してきましたが、それも今は昔。現在は、非常にクリーンになっています。ここは、最も訴訟が激しかった塩浜地区のコンビナートの夜景です。今や観光名所になっています。

          小学校の頃(今から50年以上前)、社会科の授業で習った、四大公害病の一つ、四日市ぜんそく。そんな四日市に引っ越してきましたが、それも今は昔。現在は、非常にクリーンになっています。ここは、最も訴訟が激しかった塩浜地区のコンビナートの夜景です。今や観光名所になっています。

          「アクアイグニス」 ~源泉掛け流しの温泉リゾート~ 

          「アクアイグニス」 ~源泉掛け流しの温泉リゾート~   「アクアイグニス」は、2012年にオープンした「癒やし」と「食」をテーマにした温泉リゾートで、源泉は、湯ノ山温泉の中の「片岡温泉」です。  ラテン語で「アクア」は水、「イグニス」は火を意味し、温泉の他、いちご農園やイタリアンや和食のレストランが建ち並んでいます。  ここの温泉は、シャワーも含め、すべて源泉掛け流しで、熱めの41.5℃。湯はやや黄色がかった透明でやわらかく、つるつるすべすべとした浴感の温泉です。  

          「アクアイグニス」 ~源泉掛け流しの温泉リゾート~ 

          「後醍醐天皇陵」 ~第96代天皇~

          「後醍醐天皇陵」   奈良県の吉野、如意輪寺内に、第96代後醍醐天皇陵があります。  建武の新政を行い、南北朝時代を引き起こした後醍醐天皇は、後宇多天皇の第二皇子です。  1339年8月、  「只生々世々の妄念となるべきは朝敵を悉く亡ぼして四海を泰平ならしめんと思うばかりなり。   玉骨はたとひ南山の苔に埋るとも魂魄は北闕の天を望まんと思ふ。   若し命を背き義を軽んぜば君も継体の君にあらず。臣も忠烈の臣にあらじ」(太平記)  との遺詔を残されて崩御されたため、京の

          「後醍醐天皇陵」 ~第96代天皇~

          「吉水神社」 〜吉野の南朝皇居〜

          「吉水神社」 〜吉野の南朝皇居〜  吉野の吉水神社を訪れました。  吉水神社は、元は修験道の開祖と言われる役行者が創立した「吉水院」という格式高い寺院でした。  その後、源義経、後醍醐天皇、豊臣秀吉と、時代も役割も異なる有名人が、この「吉水院」を訪れ、歴史に名を残しています。  明治の神仏分離令により、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、1875年に「吉水神社」と改められました。  主祭神は、後醍醐天皇です。 ◆源義経と静御前  1285年、源義経と静御前が

          「吉水神社」 〜吉野の南朝皇居〜

          「吉野山(青根ヶ峰(858m))」 ~三万本の山桜~

          「吉野山(青根ヶ峰(858m))」 ~三万本の山桜~  三万本の山桜で有名な吉野を訪れました。 ◆「吉野山」という名の山は無い  吉野山と言いますが、「吉野山」という名前の山はなく、高城山(680m)から青根ヶ峰(858m)に至るエリアの総称で、「関西百名山」では「青根ヶ峰」を吉野山としています。  近鉄吉野駅から、七曲りを登り、金峯山寺の蔵王堂や、吉水神社を拝観しながら、韋駄天山、花矢倉展望台、吉野水分神社、高城山を越えて、西行庵のある奥千本へ向かいました。  残

          「吉野山(青根ヶ峰(858m))」 ~三万本の山桜~

          「吉野の桜と西行法師」

          ◆西行庵  吉野の桜は、200種、3万本と言われ、下から、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれています。  その中の、一番奥にある、「奥千本」に、桜をこよなく愛し、多くの歌を吉野の桜に捧げた西行法師の庵があります。  1140年(保延6年)頃に吉野を訪れ、約2年余り住んだと伝えられています。その間に、吉野の桜を題材にした歌をいくつも残しています。 「よし野山さくらが枝に雲散りて花おそげなる年にもあるかな」 「吉野山去年(こぞ)のしをり

          「吉野の桜と西行法師」

          「金峯山寺蔵王堂」 ~青色の蔵王大権現~

          「金峯山寺蔵王堂」 ~青色の蔵王大権現~  今年は、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて20周年。それを記念して、吉野・金峯山寺蔵王堂の、日本最大秘仏本尊の特別ご開帳がありましたので、桜散策を兼ねて訪れました。 ◆修験道の聖地  吉野山から大峯山山上ケ岳に至る一帯は、金峯山と称し、古く飛鳥時代から聖地として知られていました。  白鳳年間(7世紀後半)、修験道を始めた役行者(えんのぎょうじゃ)は、この金峯山で修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得

          「金峯山寺蔵王堂」 ~青色の蔵王大権現~

          「手段の目的化」

          「手段の目的化」  「ハンマーしか持っていないときは、すべての問題が釘のように見える」(アブラハム・マズロー)   "If all you have is a hammer, everything looks like a nail." ◆「認知的バイアス」  このアメリカの心理学者マズローの言葉は、マーフィーの法則の中にもあげられており、人間が持つ認知的バイアスや、視野の狭さを示唆しています。  私たちは、自分が持つ知識や経験、スキルに基づいて物事を判断する傾向が

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          「元興寺」 〜世界遺産の蘇我氏の氏寺〜

          「元興寺」 〜世界遺産の蘇我氏の氏寺〜 ◆蘇我氏と仏教 仏教伝来の時期については、諸説ありますが、日本書紀によると、欽明天皇の552年とされています。 587年には、崇仏論争で、崇仏派の蘇我馬子は、厩戸皇子(後の聖徳太子)とともに、排仏派の物部守屋を打ち破り、仏教が興隆していきます。  仏法の流布を誓願して戦った馬子は、588年、飛鳥の地に、日本最古の本格的寺院である法興寺(飛鳥寺)の造営を開始しました。  造営にあたっては、百済から多くの技術者が渡来し、日本最初の

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          「猿田彦神社」 ~天孫降臨の道祖神~

           内宮近くの猿田彦神社をお詣りしました。 ◆天孫降臨の道祖神  猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり、万事を最も良い方へ「おみちびき」になる大神です。  古事記、日本書紀にて、天孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国土に先導を行われたと伝えられ、先導を終えられた後、伊勢の五十鈴川の川上にお鎮まりました。  境内には、天孫降臨の際に猿田彦大神と応対した天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る佐瑠女神社が、猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として

          「猿田彦神社」 ~天孫降臨の道祖神~