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売れない小説家の先で、待ちかまえている景色

 夜の数寄屋橋交差点近く。
 ジーンズにトレンチコートを着て店の表まで人が溢れて並んでいる寿司屋の前に、私は立った。自動ドアは開かない。ドア枠の手元の高さにある縦長の四角いボタンを押してみたが、開かない。ドアの向こうにいた30歳前後の小綺麗な身なりをした中国人男性が、笑顔でドアを手で開けてくれた。私もそれに合わせて、ドアに手を添えて開けた。
 ドアの内側に立つと中国人男性は笑顔を向けて来たので私は、
「Sorry」
 と無表情で一言添えて中国人男性に礼を言い、リサの待つ方へと向かった。立ち並ぶ人の波を縫って、列の前の方にいたリサの脇に立った。
 リサの側にいた中国人のガイドをしていたと思われる日本人女性が、リサに向かって、
「ご一緒ですか?」
 と聞いた。
「一緒です」
 とリサは自慢げに、明るく言葉を返した。
 私はリサの脇に立ち、一呼吸おいた。そして、リサを見た。
 するとリサは私の姿を見て、目を見開いていた。その瞳が徐々に微笑みへと変わって行った。
 リサの表情は、
『このトレンチコートの男性は、この人の列の中をスマートに抜けて来て、それでいてクールに私の隣りに立って。なんて素敵な男性なんでしょう』
 とでも言いたそうな笑顔で私を見ている。
 そんなリサの表情とは裏腹に私は、
『後、どれくらい待たされるのだろう?』『今日も店は混んでるな』『中国人が多いな』
 と、そんなことが頭の中をよぎっていた。

 その夜、リサの家に向かう車の中。話題は世界情勢の話になった。
「ウクライナで戦争が始まりイスラエルでも戦争が始まった。次は、台湾かもしれない。もし、台湾と中国が戦争になったら、日本も巻き込まれることになる」
 そう言うと上海出身のリサは、
「そうね。でも、習近平がそう思っているだけで、彼がいなくなったら、そうはならない」
 と言って台湾問題について一部、私の考えに同意を示しながらも、そうはならないだろうと言った。そして更に、リサが一言付け足した。
「あなたは政治家に向いていると思う」
 と。私は、どうリアクションしていいのか一瞬とまどった。それも楽しいかもしれない。そう判断すると。思考回路が瞬時にストーリーを構築した。
「どうして?」
 とリサに聞くと、
「話は面白いし、しかも声に力があって説得力があると思う」
「ありがとう」
「政治家になろうと、考えたことはないの?」
 待ってましたとばかりに、出来立てのストーリーを展開した。
「考えていない事も無い。今は小説を一生懸命に書いているけれども、言ってみれば私の最終的な目標は、政治家になる事だと思っている」
 リサの目の色が変わった。話が受けた様だ。
「ええっ、そうだったの! そうね、政治家の中には70歳や80歳の人もいるしね」
 年齢のことは。想定していなかった。
「私の武器は文章を書くことだから、いい小説を書いて世の中に名前を売って、その上で政治家に立候補する。そんな風に道筋を考えている」
 ということを彼女に伝えた。彼女は喜んでいた。『私の隣りで車を運転している初老の男性は、将来、政治家になるために努力をしているんだ、素敵』とでも言いたそうな。そんな感じのリサの表情だ。
 人生、何が幸いして、どこでどう変わっていくかわからない。私の人生、何が起きても不思議はない。
 そのあとリサに向かって「私が売れない小説を書き続ける理由」をとうとうと説明した。
 
 


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