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等伯と利休が、お互いにおもてなしのお点前を披露するー⑥

 茶道を習い始めた目的は、小説を書くときに絶対に役に立つ、と根拠のない自信があったからだ。先日、プロ野球界を引退した松坂大輔の名言じゃないが、その「自信が確信に変わる」瞬間を、遂に迎えた。

 安部龍太郎の「等伯」の『下巻』に、ついに等伯と利休が出会うシーンを見つけた。そして、それぞれにお茶を点てて、お互いに茶を振る舞うシーンが登場するのを確認した。安部の作品の中でも、やはり二人は関わりあいながら同じ時代を生きていたことに、設定されていた。
 以下は、安部龍太郎の「等伯」からの抜き書きである。

【等伯が利休にお茶を振る舞う下り】
(前略)
「お疲れでしょう。奥でお休みくださ」
 あいにく釜の火は入っていない。信春(等伯のこと=注:蜻蛉)は鉄瓶で手早く湯をわかし、南蛮ガラスの茶碗で茶を点てた。四月とはいえ外の陽射しは強い。少しでも見た目に涼しい器を選んだのだった。
 利休は上がり框(かまち)に腰を下ろし、作業場の仕事ぶりをながめながら茶を飲んだ。
「相変わらず下手な茶や」(利休の発言=注:蜻蛉)
 そう言って、二杯目を所望した。
 今度はこぶりの黄瀬戸に濃い目の茶を点てた(等伯が点てた=注:蜻蛉)。
「下手やけど味がええ。茶というのは不思議なもんやな」
 湯は鉄器でわかすのが一番いい。黄金の釜など使っては、よそ行きの味になってしまう。利休は黄瀬戸の茶碗のぬくみをたのしみながら、独り言のようにつぶやいた。

(中略)

【利休が等伯のために、お茶を点てるくだり】
(前略)
 黒の楽茶碗の底に、深緑色の濃茶が輝きながらたゆたっている。ひと口すすると香りと味が涼風のように広がり、体中が清められていくようだ。
 それにつれて永徳の仕事に圧倒され、浮足立っていた気持ちが鎮まっていく。そうして掌の中の黒茶碗が、御殿の絵と対峙する美しさと重みをもって心に迫ってきた。
 利休が茶をふるまったのは、そのことを教えるためである。宗園が言いたかったのも、おそらく同じことだろう。信春(※ 等伯=蜻蛉・註)はそのことに気付き、未熟さを痛感しながら茶をすすり終えた。
(後略)

 安部の作品では、二人は堺の商人を介して出会う設定になっている。徐々に二人はお互いにひかれあっていく。あくまでも、一人のアーティストとして。そして、千利休の紹介で等伯は、時の太閤殿下、豊臣秀吉と出会う。ついに、当時の日本絵画会の頂点にあった狩野永徳の背中に迫る位置に、たどり着いたのである。

 こんなことを書いていると、もう小説の大半が完成し、蜻蛉の「新説 長谷川等伯」(※新資料に基づく、新たな時代考証に裏打ちされた=筆者註)の発刊が決まったような気になってしまう。

 幸先のいいスタートを切れたような、明るい気持ちになって来た。次の取材は、秀吉があっという間に夢中になってしまった「能楽」の世界だな。どこかに、お手軽な「能教室」ないかな……? (※ 絵は本文とは関係ありません)


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