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少年よ、「踊らされる側」ではなく「踊らせる側」になれ!「課金ゲー」と管理技術としての「標準化」の共通点

※本稿には団塊Jr.、氷河期世代でないと理解できないネタが含まれます。ご了承ください。

私は就職氷河期世代の工場系技術屋兼中間管理職である。ゲームと言えばスマホゲームでもプレステでもなくファミコンで、本日5月27日が記念すべきドラクエⅠの発売日(1986年)であることは当然覚えているし(Ⅱは87年1月26日・Ⅲは88年2月10日ということも、当時の熱狂的かつ昭和な空気感を含めてすぐに思い出せる)、ロト3部作で時が止まっていることも、前日自分の手で書いた「ふっかつのじゅもん」が翌日解読できずにふっかつできず、以降の人生で手書きの文字は100%丁寧に書くという「新しい生活様式」が始まったこともまた真なり、である。因みに私の書斎では未だにファミコン(ニューファミコンだが)が稼働しており、所有カセットは昭和モノ(83~88年発売品)が100本以上。気が向いたときにブックオフでこっそりカセットを買うのが密かな楽しみである。実は先週ナムコの「さんまの名探偵」を290円で買った。嗚呼、今は亡き横山やすしのボートレース。

1.私の息子と課金ゲー

私には小学生の息子がいるのだが、当然私のニューファミコンには目もくれず、休校中の今はswitchの「フォートナイト」というゲームにハマりまくっている。ご多分に漏れずこのゲームにも課金制度があり、「スキン」とやらを買いたいから課金させてくれと先日言ってきた。何か知らんが、それを買えばキャラの見かけが変わるそうである。

私は以前からゲームの課金制度には否定的である。ファミコン時代しか知らない氷河期世代・意識低い系頑固中年の私としては、ゲームと言えば「カセット1本買ったら、何万回やろうが何十年やろうが必要投資は初期費用であるカセット代とプレー時間のみ」で時代が止まっている(あえて言うなら電気代と攻略本代は掛かるが)。

今のゲームはダウンロードで済む分、初期費用自体は安価なようだが(本当に全然知らないのだが、ファミコン時代で言うディスクシステムの店頭書き換え(500円)位なんですかね?あれは革命的だった)、ファミコンと違ってランコスはいくらでも掛かってしまう。やれガチャだ、武器だ、スキンだと次から次へ。息子には「まずはお城の周りでひたすらスライムを倒してゴールドを貯め、武器屋へ行きなさい」と言ったが、どうやらそういうものではないらしいのである。

この課金ゲーのビジネスモデルを考えついた人や今のゲーム会社は、なかなかの悪党ビジネスマンだと思う。ゲームの中に様々な「儲かる仕組み」を埋め込んで、少年達のモチベーション(射幸心や満足心、時には虚栄心?)を巧みに煽動し、労することなく少年たちからお小遣いを巻き上げていく。ドラクエⅢなら努力さえすればレベル99、呪文を全て使えて攻撃力・守備力・HPも高い最強キャラクターが育成出来たが、今のゲームは努力だけではなく金も必要らしい。ファミコン&ジャンプ世代の私としては、正に「悪党だけが笑っている!こんな時代が気にいらねえ!!」(アニメ「北斗の拳」第27話 牙大王の登場回。千葉繁のナレーションでどうぞ)である。

「課金させてくれ」と言ってきた息子に私が伝えたのは、以下の通りである。

・1回だけなら課金可とする。但し、2回目はない。1回だけである。
・あなたが心踊らせて課金した結果儲かる人というのは、ゲームを通じてあなたから金を取ることを目的とする「躍らせる人」である。その人は別にあなたを幸せにしよう、あなたのためになろうと善意でやっているわけではない。
・今回あなたは心踊っているだろうが、実は「踊らされる」側である。踊らされたらどういう気持ちになるか、またどう言うことが分かるか、あなたに考えてもらうために、授業料として1回だけ課金可とする。また、踊らされた結果、「躍らせる」側の視点について自分が考えたこと、今後自分がどうしていくかを報告すること。

2.「課金ゲー」と管理技術としての「標準化」の共通点

突然話が変わるが、私の仕事はメーカーの工場系技術屋兼中間管理職である。会社で何をしているかというと、工場の設備・工程や作業手順の中に様々な「儲かる仕組み」を埋め込んで、現場作業者の作業に対するモチベーションやお客様の購買意欲を巧みに煽動し、なるべく労することなくお客様からお代を頂戴している

あれ、さっき同じようなことを言いませんでしたっけ。

(再掲)ゲームの中に様々な「儲かる仕組み」を埋め込んで、少年達のモチベーション(射幸心や満足心、時には虚栄心?)を巧みに煽動し、労することなく少年たちからお小遣いを巻き上げていく。

そう、私は課金ゲーのビジネスモデルを考えついた人や今のゲーム会社と同じ、「悪党ビジネスマン」なのである。さっきファミコン&ジャンプ世代として「悪党だけが笑っている!こんな時代が気にいらねえ!!」(アニメ「北斗の拳」第27話 牙大王の登場回。再び千葉繁のナレーションでどうぞ)と憤ったが、北斗神拳伝承者に指先一つでダウンさせられるのは実はゲーム会社だけではない。私ももう死んでいるかもしれないのである(愕然)。

本セクション名は「2.「課金ゲー」と管理技術としての「標準化」の共通点」としたが、共通点は3.で説明する(いい加減だなオイ)。

3.やっと本題に辿り着きました。標準化とは

工場の設備・工程や作業手順の中に様々な「儲かる仕組み」を埋め込んで、現場作業者の作業に対するモチベーションやお客様の購買意欲を巧みに煽動し、なるべく労することなくお客様からお代を頂戴する管理技術とは何か。プロセスに「儲かる仕組み」を埋め込んでおかないとアウトプットは常にばらつくだろうし、現場作業者のモチベーションを高く保てるような仕組みでないと不良品が出来たりそれを流出させたりするし、お客様の購買意欲を削ぐようなトラブル(例えば納期に間に合わないとか)があってはお代はもらえなくなってしまう。そうなっては労するばかりで儲からない。ゲームの課金システムと同じく「労せず儲かる仕組み」及びそれを「維持・改善する活動」それはズバリ「標準化」だと思う。何故か。一人の天才悪党ビジネスマンが「労せず儲かる仕組み」を考案したとしても、全社的な標準化なくしては局所的に儲かっても他ではトラブル続きで損失だらけ。更にそれを維持・改善しないと競合にあっという間に追い抜かれてしまうのである。

一口に「標準化」と言っても様々である。

私が商売上よくお世話になるISOだのJISだのでは、「標準化」に関してやたら意識高い系のカッチョイイ定義がなされている。私もこういった話はいくらでも語れるのであるが、読者の皆様が「ひでぶ」になると思うので以下の紹介のみにする。例えばJIS Z 8002(標準化及び関連活動-一般的な用語)の定義によると、「実在の問題又は起こる可能性がある問題に関して、与えられた状況において最適な秩序を得ることを目的として、共通に、かつ、繰り返して使用するための記述事項を確立する活動」である。ね、どうでもいいでしょ?

工場系技術屋兼中間管理職の実務上の視点で「標準化」を考えると、以下のような具体例が挙げられると思う。思いつきで書いているので、同稼業の方、他の視点があったら教えてください。

・設計の標準化

多品種少量化が当たり前、下手したらオーダーメイドの1個流しなんていう今の時代には、製品設計を極力標準化しないと「ひでぶ」、バラバラと違う原料資材や製造方法で作っちゃダメというのは常識である。と言うか、そういうのは職人の手作りの世界でないと無理である。菓子「キットカット」の通販バージョンで、購入者が自分の画像をネットで送ってパッケージに画像を印刷してもらえるというサービスがあるが、あれも別に1つ1つ手作りで印刷しているわけもなく、工程設計自体は相当標準化しているはずである。中の人ではないのでよく知らないが、包装工程関係の仕事をしていた身としては遂にここまで来たか、と興味深い(但し、現時点で相当コスト高で恐らく持ち出しの方が多いのではないかと勘繰っている。まあ、広告宣伝費の一環と割り切っているでしょうね)。また、自動車業界のことは素人なのですが、車台(プラットフォーム)を車種間で統一するなんてのは設計の標準化の好例だと思う。

・設備の標準化

設備をライン間や工場間で標準化すれば、初期投資で設備メーカーからの割引が期待できるし、予備部品や補助材料の融通が効くし、オペレーターも教育や運用(「今から隣のライン回して!」とか「明日からよその工場行って!」等)に融通が効きまくりである。ラインの引き直しが頻繁かつ容易な組立型産業系なら設備の標準化は常識なのだろうが、一旦設備投資したら簡単に動かせない装置産業系はこの点辛い。本当に設備を社内で標準化しようとすると全社的な経営判断レベルの思い切りが必要である。十数年前に、某辛口ビールの某社がビール他3社とは異なる缶蓋を採用していた時期があったが、あれも全工場全缶充填ライン(缶蓋巻締め機。シ―マー)でそれなりに大規模な設備投資を行っているはずで、当時私も「相当思い切ったなあ、知らねーぞ」と思ったものである。その後案の定ポシャッて今は缶蓋はビール4社共通であるが(厳密に言うと4社とも全く違うが見てくれは同じ)、共通蓋化するにも更に設備投資しているはずで単なる二度手間。辛口乙。

・工程の標準化

同じような製品を同じような設備で製造していても、工場やラインごとに工程フローや様々な工程設定値が異なると言うのはよくある話である。後述する管理手法の標準化に通じる部分もあるが、工程は社内で合わせられるなら合わせた方がよい。例えばある設備のある設定値(例えば温度)が工場ごとで何故か全然違う、それにより使用するユーティリティ量、原単位が各工場全然違う。何故この設定値にしたのか聞いても誰も知らない。技術者ならきちんと原理・原則で科学的・論理的に最適な設定を割り出しましょう。結果的に工程も安定するし、ユーティリティの使用量も最適化出来る。はっきり言って、工場にはどぶに捨てて良いユーティリティなどないし、過去からの設定値に漫然とタダ乗りしているだけの無能な技術者に払う人件費もない(と、中間管理職になって予算、原価の管理責任を負うようになってから痛感した。遅い)。

・手順の標準化

作業者により手順が違う。そして結果も違う。職人の手作り工芸なら手順や結果が違っても味があって個人的にはすごくスキだが、工場は工業製品を作っているのである。工場では許されない。だから手順は徹底的に標準化である。工場でも「匠」なんていうが、駐在先と外資系メーカーでアングロサクソンの資本主義に揉まれまくった私に言わせれば、そんなもの牧歌的なセンチメントである(勿論、現場社員の技能はメーカーの競争優位の1つとして極めて重要である。ただ、「匠」のような精神論を持ち込むと、変にそちらに安住し、本来の目的である「ビジネスで成果を上げること」を組織全体が忘れてしまうのが怖いのである)。

私も若い頃、細かい手順書を自分で作り、指示して、現場がその通りにやっているのを観て「自分はお釈迦様のようだ」と悦に入っていたものだが、我ながら全くの馬鹿である。トップダウンでこうやれ!と指示して標準化が完了することなどまずない。実際は顧客、本社、設計開発からの要望、そして現場の「こんなんできねーよ」の声。そういったものに翻弄されながら手順は標準化されていくのである。自分はお釈迦様どころか、お釈迦様の掌の上で踊っていただけである。ここで挙げている他の項目の標準化も重要だが、特に作業の標準化は現場作業者のモチベーションにもダイレクトに影響するため、非常に気を遣う部分でもある。設備や工程は設定通りに言うことを聞いてくれるが、作業は人間が行うためルール通りには必ずしも(時にこっそり)実行されないことがあり、そこから重大な問題に発展することもある。工場系技術屋兼中間管理職としてではなく、人間としての真価が問われる部分でもある。

・管理手法の標準化

工場には管理手法が沢山ある。業績管理としてやれゼロ災だ、製造原価だ、OEEだ、クレーム件数だ、在庫回転率だ、ユーティリティ原単位だ、と毎月毎月数字に追い立てられる。ただ、これも会社の規模が大きくなるほど標準化していかないと、工場間比較が出来ず、結局のところどの工場がどの程度競争力があるのか分からなくなってしまう。私が以前いた外資系消費財メーカーは複数の事業を持つが事業間でのシナジーが殆どなく、ものすごい勢いで超絶コングロマリットだったが、工場業績管理指標は各事業の事業特性に関係なく完全に標準化されていた。流石グローバル外資は違う、と入社時は思ったが、実は工場内部の業績管理指標も持っていて、結局二重管理であった。この辺は難しいところだが、管理指標や計算根拠など全てが明確に標準化されていて「共通言語」となっており、英語だがグローバル本社の管理担当部署が発行した結構ぶっとい解説冊子まで配られていたのは印象的だった。面倒臭くてあんまり読まなかったけど。

”「課金ゲー」と管理技術としての「標準化」の共通点”とした本稿であるが、そう言えばまだちゃんとロジックを説明できていない気がする。敢えて黙っておくことにする。ドラクエⅠ発売記念日に免じて許して下さい。だって最初はドラクエの思い出について書きたかったのです。

4.まとめ

毎度自分の稼業に関する記事は長くて恐縮です。更に今回はファミコンや北斗の拳など、自分が心から愛する分野も交じってしまい益々長くなってしまった(ここまで読んでいるような暇かつ忍耐力のある方は恐らくいないだろう)。いつも下書きもロジック構築もなく徒然なるままに一気書きなので、結構疲れます。まとまりがなく恐縮ですが、まとめます。何の話でしたっけ。そうだ、課金ゲーだ。

私が息子に言った以下のコメント再掲。

・あなたが心踊らせて課金した結果儲かる人というのは、ゲームを通じてあなたから金を取ることを目的とする「躍らせる人」である。その人は別にあなたを幸せにしよう、あなたのためになろうと善意でやっているわけではない。


私も設備、工程、作業者、そしてお客様を「躍らせる人」として、「標準化」を通じて「労せず儲かる仕組み」の策定及びそれを「維持・改善する活動」に日々取り組んでいる。「労せず儲かる」と言うと聞こえが悪いが、要は「如何に効率よく儲けを出すか」ということである。そうしないとメーカー潰れちゃいますし。また、このコメントの中ではゲーム会社を悪者にしているが、私が「お客様や従業員を幸せにしよう、彼らのためになろう」と思っているのと同じように、本当はゲーム会社の「中の人」もお客さんや従業員のことを思っているはずだ。と言うか、同じ社会人としてそう思いたい。そうですよね「中の人」?エニックスは少なくとも昭和の頃はそういう会社だったと思うし、ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらもきっとそういう人たちだったと思う。

息子へのコメントをもう1つ再掲。

・今回あなたは心踊っているだろうが、実は「踊らされる」側である。踊らされたらどういう気持ちになるか、またどう言うことが分かるか、あなたに考えてもらうために、授業料として1回だけ課金可とする。また、踊らされた結果、「躍らせる」側の視点について自分が考えたこと、今後自分がどうしていくかを報告すること。

課金は1回限りと約束した彼はその後、自分の小遣いでこっそりプリペイドカードを購入し、勝手に課金していたことが発覚してしまった。変に言うことをよく聞く素直な子のままではなく、小ズルイ知恵を働かせられるようになった点には成長を感じたが(?)、彼はどうやら「踊らされる」快感を覚えてしまったようである。約束したことを守らなかった点、黙って課金した点はきつく叱ったが、報告を要求した「踊らせる側の視点について考えたこと」、「今後自分がどうしていくか」についてはまだ提出されていない。彼が人生をひたすら「踊らされる側」ではなく、たまには「踊らせる側」でやっていけるよう、親としては自分の頭で物事を考えられる人間になれそうな環境を陰で整えてやるのみである。まあ、いらん世話と言う奴かもしれませんが。【了】



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