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朝のパン屋

 パンは、朝の食べ物である。午前中の光を浴びてパン屋さんに焼き立てのパンが肩を寄せ合って並んでいるのを見ると、なんだかうっとりしてしまう。よく見るときれいな丸型のパンや少し穴の空いたパンなどパンの顔にも人間のように個性があるし、イースト菌の力を借りて膨らんだパンはその内側に実は私たちの知らないエネルギーを蓄えていて自ら、朝の日の下で誰にも気付かれないような控えめな光を放っているかのではないか、そういうふうに感じることもある。

 一方で私は朝が苦手だ。目覚ましのアラームは環境音と化して、どんなにけたたましく震えていたとしても外で鳴いている鳥の声や、夏を知らせる蝉の声とそう変わらずに朝の光の中に溶け込んでしまう。朝はとても頭がぼんやりとしていて、何ヶ月も前に測ると決めた基礎体温すらろくに測れていない。しまいには夫にも「時間大丈夫?起こさなくてごめんね」と子離れのできない母親のようなセリフを言わせてしまう始末だ。朝と仲が良くない私にとって出勤前に焼きたてのパンを食べくつろぐというのは、ちょっとした憧れのひとときである。

 ある日、遅く出社できるチャンスがやってきた。うちの会社には時間調整というシステムがあり、仕事に支障が出なければ時間外労働をした分だけ、朝遅く出たり早く帰ったりしても良いことになっている。疲れた社員のためを思ってか残業代を浮かせたいのかよくわからないこのシステムだが、今回に限ってそんなことはどうでもよい。なんとなしに貯めてしまった時間外の貯金はあるし、午前に入っている仕事の予定はない。1時間も遅ければ早く起きなくても、時間があるだろう。ふかふかの温かいパンを優雅に食べるため、私は意気込んだ。

 しかし、なぜだろう。天気も良く、朝の仕事もなく、普段の出勤時間に間に合う様に起きた。すべてはパンのためだ。そんな中で、ただただ時間だけがなくなった。何も問題はなかったはずだった。しいて言えば来たるべき優雅な時間に備え服を選ぶのに時間を駆けすぎたことか、もしくは爽やかな朝を演出するにふさわしい髪型になるまでコテを髪に当て続けたことか、いや、恐らく朝6時から9時の間には、私の半径50センチ以内だけ時の砂がゆっくりと落ちているのだろう。そうでなければ、説明がつかない。乗るべき電車の発車時刻を事前に調べていたが、パン屋に着いたのはその時刻の13分前だった。

 でも、やるなら今しかない。残された時間でパンを選び、お会計をして食べ、そして店を出るのだ。私ならできる。もはやパンを食べることで世界を救えるかのような、使命感すら覚えていた。そこは駅直結の店内で食事もできるタイプの店である。焦った私は「塩パンと自家製コーヒーで300円」のポスターを見つけるとトングを素早く掴み取り、焼き立ての札が立ち並ぶ棚から一目散に塩パンを掴んでレジに駆け込んだ。

「コーヒーはホットにしますか。アイスにしますか。」

 即座に決断をしなければ。

「ホットでお願いします。」

 そう言った瞬間に私はハッとした。なぜホットを選んでしまったのか。猫舌の私が、出発までに飲み切れるとは到底思えない。流れるように店員さんは言った。

「パンの温めに4分ほどかかりますので、お席で少々お待ちください 。」

 もうだめだ、おしまいだ。店員さんがパンをトースターに持っていってしまった。我が子を引き離される母牛はこんな気持ちだろうか。あるいは、親友が投獄されたら。牢に幽閉されたパンをどうすることもできず、窓際の席についた。あと12分。右側から照りつける日差しが痛かった。

 しばらくして、注文した品が運ばれてきた。時間がない中でも、塩パンのころんとした曲線は私の心を癒やしてくれる。一口頬張ると、家で食べるのとは異なる幸せな香りが鼻の中に抜けた。温めて緩んだバターがパンの弾力を包み込み溶けてゆき、塩が舌に触ると口角が自然に上がった。

「美味しい。」

 そう呟く私に、このままのんびりとパンとコーヒーを味わい切る権利はない。あと10分以内に電車に押し込められ、新宿まで息を殺して揺られるのだ。トースターに入ったパンはこんなにも輝けるが、私が電車に乗っても代わり映えはしない。しかし、それでも行かねばならぬのだ。その後は、時間との戦いだった。左手に持ったパンを齧り取り咀嚼し飲み込む。口元で蒸気を感じるコーヒーをできるだけ右手で揺らし冷ましてから、口が空になった瞬間に喉元まで送る。両手が機械のように忙しない。これを優雅な朝と呼べるだろうか。頭の中には、生卵を豪快に流しこむロッキーの画が浮かんでいた。パンは食べ終わったものの、結局コーヒーは飲みきれず残り2分を切ったあたりで店を出て駅のホームに駆けた。

 少し切らした息で駅のホームに立つ。走った体に吹き抜ける風が気持ちいい。しかし、何かがおかしい。間に合ったはずなのに、電車が来ないのだ。電光掲示板は、5分後の各駅停車を知らせている。疑問を感じながら、乗り換え案内のアプリを開いた。

「あっ――」

 やはり朝は苦手だ。表示されていたのは、半年前まで住んでいた3つ先の駅から職場までの道のりだった。乗るべき電車の時間はまだ数分先だったのだ。気づいていたらせめて、最後までコーヒーを飲むことぐらいはできただろうか。飲めていたとしても、たかが数分の猶予では思い描いていた朝までは遠いのである。

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