Kafka

眠れない夜に

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眠れない夜に

最近の記事

寝る前に

歯を磨いて口をゆすぎ、顔をあげて鏡の中の自分の顔をまじまじと見てみたら、食生活の乱れからかおでこにはニキビ、ほったらかしで伸びきった前髪、それに刺激されてかゆくなって違和感のあるまぶた、苦労してる顔だなぁと思った。 「自分を愛そう」というありふれているけれどいつまでも自分には馴染まなかった言葉、この瞬間には少しだけ理解できた気がした。わたしにはとても難しいことだけれど、少しずつ、少しずつ、自分を大切にしたいと思った。わたしの好きなドラマでは、登場人物たちが鏡の中の自分たちに

    • 故郷を想って

      私の故郷は青森市。母から、”世界でいちばん雪が降る30万人都市”だと教えられた記憶がある。 昨年は雪が少なかったようだが、今年は一転、早くから雪が降り、その量もものすごいそうだ。ただ、大雪には慣れっこの人々だ。「今年は降るなぁ〜」と、話の種になるだけだろう。強い人々だといつも思う。 祖母からの仕送りが届いたためお礼の電話をした。定型文のように、私も祖母も雪の話をした。やはり私の遺伝子はそこに根付いているのか、一面の雪景色をみたくなってTwitterで調べた。この時期にして

      • 現代の怒り:「JOKER」

        Netflixで公開されていた、2019年の映画「JOKER」を見た。 一言で言うと、"怒り"の映画だと思った。 "喜劇は主観だ。善悪も主観だ。" 生きていく中で、理不尽なことはある。自分が知らないうちに身から出た錆にしろ、もしくは自分が全く関係のない環境のせいにしろ。 それで、現代を生きる私たちはそれに対する鬱憤とか怒りとかを抱きながら生きている。自分一人の力では簡単に変えられない社会や思想などに対して。 でも、怒りって結構大きなパワーで、沸点に達すると行動という

        • "人生のメリーゴーランド"

          深夜、というかほぼ夜明けの時間、ツイッターで"久石譲 in パリ"がトレンド入りしているのを見てNHKで彼のコンサートが放送されたことを知った。 久石譲は大好きだ。もともとジブリが好きなのだが、その中でも特に好きなのが千と千尋の神隠しとハウルの動く城の音楽で、それらを手掛けたのが彼である。それで彼の音楽はたくさん聴いていた。 こういうときに限ってツイッターは私が欲しい情報を届けてくれなくて(ごめんなさい)、見逃してしまったのがあんまり悔しいので外が白み始めてはいたがYou

        寝る前に

          記憶の階段

          深夜2時。大学の課題をやっていた。今期の授業が全てオンラインになり、課題に追われていてこんな時間までやっていた。そもそも私は夜型だから、単純にこの時間だと集中できるというのもあるけれど。 夜中に作業を持ってくると大抵1、2時間は集中できるのだが、一度作業に区切りがつくと集中力が散漫になるというか、一気に頭の中でたくさんのことを考え始めてしまう時間がふとやってくる。 この日もそうだった。課題を2つ終え、次の課題に手をつけ始めたときだった。それは、源氏物語の玉鬘を読み込んでい

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          "愛の量"

          人ひとりから貰える愛情の量が決まっている気がする。私に関して言えば。 この人からはこれくらい愛してもらえれば終わり。はい次。この人からはこれくらい。はい次。この人からはこれくらい。はい次。みたいな。 どれだけたくさん貰っても永続することはなく、必ず終わりが来る。でも、こういうのって安定感が欲しい。私は、たったひとりの人からずっと続く愛が欲しい。 なんて、乙女チックな夜。ちぇっ。 でも、この無常観を抱えていくのに人生は長すぎる。

          "愛の量"

          報われない

          オペラ座の怪人のミュージカルを見た。このご時世で、期間限定でYoutubeにアップされたウェバー版だ。英語音声、英語字幕でほとんど分からなかったけれど、これほど多く見た、読んだ話はないからおおまかなストーリーはつかんでいる。 見るたびに、こちらの感じ方が変わる物語だ。以前は、"オペラ座の怪人は結局愛されたかったのだよなぁ"で終わっていた。 今日は。オペラ座の怪人は、私だと思った。愛を欲しているけれど、自分の醜い部分が邪魔をして、歪んで、気持ちが真っ直ぐ届かない。一瞬届いた

          報われない

          私が求めるのは

          ほとんど毎晩、"死にたい"と思う。 "人は永遠に分かり合えない"という考えを常に持っているが、夜になるとそれを強く感じてしまって、あまりの孤独感に耐えられなくて死にたくなる。 ある飲みの席で、"恋愛したいなあ"という言葉を聞いた。普通の人間関係すら必死につなぎとめている私にとっては恋愛なんて甘い関係は程遠いものだと思っていたが、意外にもその言葉に対して浮かんだ私の感情は共感だった。 恋愛というか、誰かにそばにいてほしいと思った。甘いときめきなんか求めていない。ただ、私が

          私が求めるのは

          "分かり合う"ということ

          冬。 みなさんは、どんな印象を持っているでしょうか。 私がいつもお世話になっている先輩がおっしゃるには、"寂しい"とのこと。冬は寂しいとよく耳にしますが、私は冬のその寂しさが好きだったりします。どこまでいっても私たちは一個人だと確信を持って思えるから。ひとりであることが許される気がするから。 "ひとりじゃない"、"人間はひとりじゃ生きていけない"なんて言葉、よく聞きます。それには同意します。ひとりではない。でも、ひとりじゃなかったら、私は誰かと繋がっているのか?誰かと分

          "分かり合う"ということ

          固定観念

          私は女です。 彼氏はいるの?とか、好きな人はいないの?とか、たくさん聞かれます。 つい最近まではそれらの質問になんの疑いも持たずに答えていたけれど、大学生になっていろんな人と出会っていろんなことを知って、ふと思いました。 私は恋愛をしなきゃいけないの?彼氏を作ろうとしなきゃだめなの?彼氏がいなきゃ私はダメ人間なの? 私は、毎日頑張って生きています。人と触れ合うことで膨大な体力と精神力を消耗し、日曜日にはベッドから動けないほどには必死に生きています。 そんな私が恋愛な

          固定観念

          私の先生たちは

          先日地元に帰省して、通っていた高校に顔を出してきました。東北の、田舎の高校です。 初めに部活の顧問だった先生と会い、先生とその先生のお子さんと一緒に職員室に入りました。 入ってかけられた言葉が、 「え、〇〇(私の名前)じゃん、誰かのお母さんかと思った〜!」 「あれ、また太ったんじゃない?(笑)」 驚きました。男女の先生どちらからもです。いくら仲が良かったとはいえ、久々に会った生徒にこんなひどい言葉を投げつけるような先生たちだったっけ?それともこれが普通?? さらに

          私の先生たちは