見出し画像

現代の怒り:「JOKER」

Netflixで公開されていた、2019年の映画「JOKER」を見た。

一言で言うと、"怒り"の映画だと思った。


"喜劇は主観だ。善悪も主観だ。"


生きていく中で、理不尽なことはある。自分が知らないうちに身から出た錆にしろ、もしくは自分が全く関係のない環境のせいにしろ。

それで、現代を生きる私たちはそれに対する鬱憤とか怒りとかを抱きながら生きている。自分一人の力では簡単に変えられない社会や思想などに対して。

でも、怒りって結構大きなパワーで、沸点に達すると行動という爆発を起こすことがある。そのときに大事なのが、その行動がポジティブなものであるか、ネガティブなものであるかだと思う。

恐ろしいのが、ポジティブな行動にしろネガティブな行動にしろ、賛同者が多く集まるということだ。怒りを抱く個人が集まって、その怒りを晴らそうとするのだ。

ネガティブな行動が絶対に悪かと言うと、必ずしもそうではないと考える。この映画を見て感じたのだが、行動自体は悪であっても、その怒りの理由は善であることがある。そうなるともう、何が善で何が悪か分からなくなる。冷静に外から見れば善悪の区別は分かるのだろうけど、怒りの中にいればそういうのは判別しにくくなる。

ジョーカー。ただのアメコミのヒールではなかった。彼は、現代を生きる私たちだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?