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2020振り返り

こんにちは。プレス工業の山田翔太です。

たまにはアスリートらしく、自身の振り返りをしたいと思います。(今までとは)

2020年を振り返ってみると、社会の流れが大きく変わったように、自分の内外においても大きな変化があった一年でした。

その中でも2つ。

①「noteを書き始めたこと」

②「選手としての活動」

それらを雑記としてまとめてみました。

もし良ければ最後までお付き合いください!

①2020年振り返り〜note編〜

2020年、自分の中での一番の挑戦は「noteを始めたこと」だった。

今まで、自分の考えをメモ帳に書くことはあっても、それを発信することは無かった。その勇気がなかったからだ。

そんな時、とあるラジオを聴いた。

この中で、noteのCXOである深津さんが「noteは他のSNSとは違い、自分の伝えたいことを伝えられるプラットフォームになっている」と語っていて、僕は「あ、ここでなら発信出来るかも」と思った。

また、陸上選手の先駆けとしてnoteを書かれていた石塚選手からも大きな影響を受けた。「誰かのフィルターを通してではなく、自分自身で自分のストーリーを発信する」というお話に共感し、発信する覚悟が決まった。

(これからnoteを書いてみようと思うアスリートは、上記2つのラジオを聴くことをオススメします)

その後、初めて書いたnoteがこちら。
(公開順で言うと4本目)

この時は勢いに任せて書いたので、冷静になって読んでみると「何言ってんだコイツ」と思うが敢えて修正してない(苦笑)

当初は、とにかく自分の言いたいことを言えさえすれば満足だと思っていた。書く理由のベクトルが完全に自分自身に向いていたからだ。だが、その理由は少しずつ変わっていった。

コロナ禍。あらゆるスポーツが中断し、アスリート達は活躍の場を失った。「スポーツは不要不急」だと認定されたのだ。そして、存在価値を問われたアスリート達が少しずつ、誰かの為に発信を始めた。立場によって意見が相違することはあったが、皆、自身の経験や知恵を惜しみなく誰かに伝えようとしていた。

多分に漏れず、僕も誰かの為に何かを書きたいと思った。しかし、僕は誰かに影響を与えるようなトップレベルの選手ではない。だから最初はそんな自分に書けることなんてあるのだろうか?と不安に思った。だが、最終的にはそんな自分だからこそ書けることがあるはずだと開き直った。

そして、自分の経験や考えをまとめて、結局合計14本のnoteを書いた。

それらの記事は、影響力のある方々にシェアして頂いたお陰もあり、想像していた以上に沢山の方々に読んで頂いた。

一番驚きだったのは、明らかにランナーではない方々にも読んでもらえたことだ。

深津さんは「noteは緩やかに複数の世界がグラデーションで混ざっている」と語っていた。noteでの発信を通じて、違う世界に生きる人との交流ができたことは、大袈裟だけれど、少しだけ自分の世界が広がった気がした。(と、同時に自分がいかに狭い世界で生きてきたかを改めて実感した。)

自分自身の考えや経験を発信することは覚悟がいるし、今後のキャリアに必ずしもプラスの影響ばかりを与えないと個人的には考えている。でも、今はnoteを書き始めて本当に良かったと思っている。

2021年は、僕が経験したことや考えたこと、「めっちゃ面白い!」と思ったことなどについて、noteで自分なりに表現できたらいいなと思う。それが何かしらの形で誰かの役に立ってくれれば嬉しい。


最後に、僕がnoteを書くにあたり、背中を押して貰ったと勝手に思っているnote3選をご紹介。

②2020年振り返り〜陸上競技編〜

ここからは陸上選手としての振り返り。
主なトピックをまとめてみた。

1月 ニューイヤー駅伝
1〜3月 マラソン練習
4月 長野マラソンの中止
5月 ハムストリングの故障
6月〜8月 故障の影響でずっと脚が痛い
10月 チーム練習に合流
11月 東日本実業団駅伝
11月〜12月 各種記録会4連戦

1月、ニューイヤー駅伝が終わり、その後は長野マラソンに向けて、「敢えて他のレースには出場せず、練習していこう」とコーチと決め、マラソン練習を行っていた。その間、順調とはいかずもなんとか練習をこなせていた。そんな中、長野マラソンの中止が決まった。

何とも言えない感情をその後の練習にぶつけた。しかし、オーバーワークがたたり、ハムストリングを肉離れした。自業自得である。「何度同じことを繰り返しているんだ」と、もどかしさばかりを感じた。更にはコロナ禍で治療院に行くことも控えていた為、ケガが長引いてしまった。この時期は精神的にかなりキツかった。

ケガが癒えた後は、負荷を調整しながら個人練習を行っていた。結局、チーム練習に完全に合流出来たのは10月だった。チームの最大の目標である、東日本実業団駅伝にはギリギリ間に合わせた形になってしまった。結果は最低限の走りしか出来ず、チームは12年連続ニューイヤー駅伝出場を逃し、予選落ち。チームには迷惑をかけ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

その後は「足の不安が無ければ、積極的にレースに参加して自己ベストを狙うこと」を目標にした。そして、5000mでは6年ぶりに自己ベストを更新する事ができた。

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2020年一番の反省は、チームがニューイヤー駅伝に行けなかったことだ。プレス工業というチームにとって、最大(であり最低限)の目標はニューイヤー駅伝への出場。それはチームの存在意義でもある。

プレス工業には外国人選手がいない。そのため予選会(11月3日)に焦点を合わせ、全身全霊で挑む。トレーニングにおいても、本番から逆算し、8月→9月→10月と練習の質を段階的に上げていく。(7月までは各々が目標とするレースに出場する。)先述した通り、僕はそのチーム練習にはほとんど参加出来なかった。

駅伝は個人の合計を争う競技だ。だが、本番に至る過程において、個々が相乗効果を生み出し、チームをベースアップさせる。そこに集団競技としての側面を持つと僕は思う。

具体的に言うと、練習を積み上げる段階からチーム全体で練習をこなしていくことによって、より高いレベルでの安定感が生まれる。また、その中で飛び抜けた選手が出てきた時に「アイツに出来るなら俺も」といった形でチーム全体の士気が上がる。

今回、僕がその場に加わることができなかったことが、個人としてもチームとしても良くなかったと、僕は思っている。全ては夏からの準備不足に尽きる。


一方で収穫もあった。


12月、トラックレースでの自己ベスト更新(5000m 13分59秒27)。

シンプルに練習を継続出来たことがこの結果に繋がったのだと思う。2018年、2019年のシーズンはトラックレースにほとんど出場していなかった。なぜなら練習を継続出来なかったからだ。

①負荷の高い練習をする
②身体のバランスが崩れる
③治療に行く、休む

直近2〜3年間はこの負のサイクルを抜け出せず、練習を継続出来なかった。故障寸前のところ(あるいは故障)をずっとウロウロしていた感じだ。そのため、このサイクルを抜け出すために様々な試行錯誤をしてきた。トレーニング面やメンタル面や練習の組み立て方など様々な面を見直した。

そして、今年の10月あたりからフッとそのサイクルを抜け出した感覚があった。継続的に診て頂いているトレーナーの見立てでも明らかに筋肉の質が変わったらしい。

結局は試行錯誤してきたことが総じて良い方向に転んだからだと思っている。ただ、敢えてその中から1つ挙げるとすれば、BACK AGINGという治療院で、7月から継続していた連動性トレーニングの効果は大きいと思う。

身体の連動性が上がったことによって、上半身の力感が抜け、乗り込みやすくなり、足の回転スピードを楽に上げられるようになった。そして、結果的にエラーも減り、足の痛みを感じることが無くなった。これについては、(許可が得られれば)いつかnoteに書こうと思う。

とはいえ、やはり目下の課題は、引き続き練習を継続することである。足が痛くない状態からまだ3ヶ月程度しか継続出来ていない。結果論だが、記録会のタイムは良くも悪くもそれなりのものなのだと思う。

そのため、今は「逆算式ではなく積み上げ式で練習計画を立てていくこと」をコーチと話し合って決めた。だから今は敢えて直近の大会の目標を定めていない。

個人の最大の目標は、マラソンで結果を残すことだ。だからこそ、今季のマラソンには出場しないことも決めた。まずは年間を通して、練習を継続させる。そして、マラソン練習に耐えうる身体を作っていく。また、駅伝に向けても、8月からのチーム練習に万全の状態で臨みたい。

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以上、まとまりのない話になってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました!

また気が向いたら振り返りのnoteを書きたいと思います。笑

では、本年もどうぞ宜しくお願い致します!

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