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インターンシップ通信Vol.6 社会人の実力とは危機回避能力

Guten Abend.

今日は久しぶりにインターンシップ通信を更新します。
今は久しぶりに、起業にチャレンジしています。

しかし、起業と言ってもスイスでの起業です。
しかもAIの会社で、割と最近のトレンド寄り。

今となってはAI起業は別に珍しい話でもないですが、
不動産や金融というとんでも古典力学の世界に
どっぷり浸かっていた15年間からのAI起業ですから、
本人にとっては大事です。

ずっとITやっていた人が不動産にいきなり突っ込むようなもんですから
それはそれは危篤な選択と言えます。

とはいえ、自分の場合、20代の時にIT企業を何社か受けており
その内全ての企業で採用になり全ての企業を辞退しました。
適性検査では全てIT系か会計と出ていましたから別に不思議はありません。

結局外資のシステム系には進んでいましたから
何の手がかりもないわけではなかった点で少々事情は異なります。

ところで、今日はいつもと少し趣旨を変えて、社会人全体を見渡した時どんな生態系なのか分類し傾向を抽出しつつ、今後のキャリアの参考にしていただくためキャリア構築のための簡単なマインドセットを提供したいと思います。

ただここでいう縮尺を提示する社会というのはあくまで日本社会を参考しているに過ぎません。
多少海外の事情も触れることはありますが、無論日本社会も含め私一人で全部をみたわけではないので、以下は所々端折ってしまいますが、概算イメージと捉えてください。

1.生態系には階級がある。

まず、原理原則から確かめます。

当然ながら人間も生物ですから生態系の一部です。
そして若干の語弊を孕みつつも、人間にも他の動物同様、
多かれ少なかれ階級はあります。

ただし、ここで先に前置きしておくと階級にこだわっても正直あまりメリットはないと思います。

文明が進歩し昔ほど階級がアドバンテージになるわけではないですし、それは多少なりとも礼儀礼節はあるにしても、階級次第で対応の仕方を変える人間は鼻から宛になりません。

もちろん本人のステージがそこにいるから、という理由もあるかもしれませんが、階級だけで人の価値が決まるわけではないので、いずれにせよその程度の信頼度だと思っておく必要はあります。

生態系の頂点は何を以て測るのか

さて、階級論を論じるには前提が必要です。つまり尺度の問題です。
何を尺度として縮図するかですが色々あるとは思います。

ここはあえて地球上の生物の中で、と定義の範囲を広げてみましょう。
その場合、明らかに「生存力」です。
「生存力」を人間の文明社会に当ててみると
まずわかりやすい指標が「資産規模」です。

文明社会で資産規模ランキングを出すのは生物だからでしょう。
おそらくシンプルな本能が原因です。
資産規模が大きければ大きいほど、
生物としての優等生であるのはほぼ間違いありません。

それを否定するのは生物であることを半ば論理的に放棄しています。

資産規模以外に何があるでしょうか?
つまり、生存力以外に何があるのかということです。

生物は種を残し次世代に承継する。
次世代は与えられた能力をもとにさらに自己開発し
より有利な種へと進化します。

これを何万年と積み重ねた結果が今の私たちです。
ですので、理論上、
現時点で生きている人は全て、現時点の最強を誇るわけです。

しかし、生存力だけではわからない場合があります。
そこで
1)生存力以外の尺度はあるのか
2)生存力とは何か
という大きく2つの疑問が湧いてきます。

前者は評価軸選択の問題、後者は定義の問題です。

生態系の尺度は何があるのか

生物は生まれてから死ぬまでにヘイフリック限界を費やすまで細胞分裂を繰り返します。これは生物それぞれに平均的な固有値を有しており、人間は50回の細胞分裂が限界と言われています。

その結果として、現状は人間の生物学的な寿命はおよそ120年程度であると見積もられています。

しかし、先に挙げたように種によって限界はまちまちでしかも生物によってはこの限界を永遠にリセットし続けられる寿命のない生物もいるくらいなのでこれは非常に不安定な不確定要素なのだということがわかっています。

実際、多くの科学者は人間も含めて生物は進化の過程で寿命を伸ばすことができると主張しており、将来人間も300歳になっても平然と生きているだろうと推測する科学者もいるくらいです。

ほんの半世紀前まで人間の寿命が50−60歳だったのは戦争や疫病、怪我や疾病を由来とするものであったので、戦争はともかくとしても他の健康要因などは案外技術発達によっていくらでも延命できます。

従って寿命はあてにならない。これは個体としての「生存力」だけで論じることのできない不確定要素が実在することを示唆しています。

ゆえに、「組織的な」要因を無視することはできず、生物の世界では<個体>以外にも組織、クラスターに当たる<社会>についても論じる必要があるのです。

生物界では、優秀であるに越したことはないのですが、問題はその優秀さとは一体なんなのか、正体を明かしていきたいと思います。

生存力の定義

生存力は生物としての生理的な機能だけならNational Geographicでも読んでいればいいのでそれはさておき、ここではあえて我々人間界に焦点を当てた時に何が生存力なのかについて定義してみたいと思います。

人間は、他の生物を利用してのみ生きることが許されているある種不自由な生き物ですが、それは他の生物とて同じです。

場合によっては、人間同士でもそれは時折起こります。
というより、限られた資源や空間の中で効率よく生き残るにはそれしかないとも言えます。

2023年現在は、所謂シンギュラリティの手前の時代、プレシンギュラリティ時代ですからもしかしたら20年もすれば原理原則がひっくり返っているかもしれませんが、とりあえず私が論じることができるのは現時点での状況を俯瞰した中での定義です。

他を利用するなどあり得ないとか、他人に迷惑をかけるなどもっての外というのは正直社会主義国の洗脳でしかありません。普通は迷惑をかけるのが当たり前なので、他人に対しても寛容でなければ生きてはいけないはずです。

「仕方ないことだってある」という括りがないと、社会には適応できません。迷惑をかけるなという人に限って、自分が責任を取りたくないからという責任放棄が見え透いていますからそもそもその人の実力や度量はその程度です。つまりそもそも相手にしなくていいのです。

重要なのは、助けるとか助けないとか、そもそもそこではなく、組織あるいは個としてどのように生き抜いていくか、という点です。助け合うとか責任とかいう議論は実力者だけが論じることの許された世界観であって、実力のない人に助け合うとか責任という言葉は重すぎるのですから論点が的外れなのです。

なので、それはまた個別のテーマとして扱うとして、生物としての優秀さを論じるべきは「実力」一点。

問題は、実力とは何かです。

2.社会人になったら考えるべきは、「実力」のみ。

科学的なテーマを扱ってしまうと相当逸れてしまうので、先に結論を出してしまうと、社会人の階級を決めているのは明らかに「実力」だけです。
ただし、「実力」とは何かの線の引き方によって相当<社会>の中での生存力は閾値がかなり変わってきます。

ビジネスの世界では、「競争優位性」という言葉があります。
この言葉の意味通り、明らかに競争はあります。
他に引け劣らない、なんなら差をつけるほどの要因は何か。

生物界に視点を返すと、たとえばチーターは新幹線並みに高速で走れます。
従って、高速道路で走る自動車よりも速い。
その結果、短期決戦の狩に有利と言えますが、その分長期戦には弱いんだそうです。

反対に亀。亀は万年というように長寿の生き物の代表格といえます。
我々の寿命を悠に超える個体も存在します。
亀に似た寿命を誇る生物はシーラカンスが100年ですので比較的近いといえます。
しかし、メタセコイアの寿命は2−3千年ですから、上には上がいます。

競争優位性とはいわば生存戦略です。種を残し次世代を守る。競争優位性も結局はそれとほぼ同じで、企業が他社に負けずと生き残り、次世代へと継いでいくための基本戦略という意味においては通じます。

競争優位性という言葉通り、人間界にも競争は存在します。種全体の集合意識というべきか、より優秀な種を残そうと無意識で努力工夫を重ねた結果今の文明社会を築いているからです。

そして競争に勝ち残り、有能な個体として生存力を発揮し続けるために必要なのは「実力」のみです。日本のように、「実力がなくても努力があれば」論は長くは持ちません。努力するのは実力が間に合うことを前提にした時のみです。そうでなければ、努力すればする分だけ選ばれる確率は下がる。

種に選ばれる確率が下がれば、当然その遺伝子は消滅します。つまり、実力のある個体は、それだけ選ばれる率が高まり、生存し続けます。実力がなければ、現実についていけないのです。

だからまず、言い訳をせず実力を高める努力を厭わないことは生きるための最低要件なのです。


実力とは何か

社会人が、仕事ができるのは当然です。
仕事ができた上で、何で貢献するかを選ぶのが社会人だからです。
学生と社会人の違いはここです。

学生感覚のままではせいぜい「仕事ができればいい」で打ち止めです。
それは単純に見ている視界が手前すぎるのです。

しかし本当に生存力の強い人は「仕事ができた先」を常に見据えています。
<次、何につながるか>について常に意識している点が、社会の中で真っ先に結果を出し、生存力を高め、結果として生活水準を高いままで維持している。

生活水準を高くしたくないというのもいいかもしれません。それも生存戦略の一つです。
ただし、その結果見えないリスクが時間経過とともに膨らんでいくことを忘れてはいけません。環境は常に変化しています。
その場限りの満足=今の暮らしを維持することに優先しすぎるあまり、その先を読んでいない。これでは外部環境が変化したときにあっさりと敗北を喫することになります。

反対に環境変化を読んでいる人は、常に語学を習得したり、新しい学問にチャレンジしています。これは単純に生存力の高い人の傾向です。学習は生存の基本だからです。学習をやめる=生きるのをやめるのとほぼ同じです。

だから、常に負け知らずの強い人ほど<先を読む>力が強い。
これは学生と社会人とでの歴然とした実力差を測る一つの重要指標です。
先を読めない人は、簡単に落ちていきます。その落ちる原因は色々です。

コロナで落ちる人もいれば、先のリーマンショックで落ちる人もいる、円安で落ちる人、バブルで落ちていく人。落ちる理由はこの<先を読む力>に全て起因しています。

確かに不可抗力というのは存在します。しかし、不可抗力でさえ切り抜け、違った選択肢を見つけ、早期に抜け出して生き残る術を磨くのも、生存力なのです。生きていると、仕方なかったでは済まされないことが多いことに気付かされます。人間でさえ、常に死と隣り合わせです。安全なところに篭り続けた結果、変化に耐えられない。これは明らかに生存力の低下と言わざるを得ない。

時には定期的にリスクをとって自分の既存の枠から外に出て新しい要素を吸収し続ける。これこそが、生存の鍵です。

生存力とは、ただ己の当座の欲求を満たすために満足のいく結果さえ得られれば良いとたかを括っている人物には訪れないのです。

本当の生存力は<危機回避能力>です。

すなわち、本当の競争優位性、つまり実力とは、
<危機回避能力>だと示しておきます。

3.危機回避能力とビジネスの例

危機回避能力は予知能力とも言えます。
しかし何を持って予知能力とするかはかなり難しいところです。
ここで抽象的な議論から離れ、具体例を出して予知能力の原点を絞り出したいと思います。

ビジネスではM&A(吸収合併や買収のこと)という戦略があります。
私が長年携わっていた仕事の一つです。

M&Aの最大の利点は、既存の事業を購入取得することで、起業コストを省略することです。単純な時短です。
時間は利益と密接な関係があります。

時間経過とともに利益を増大することが、事業経営の共通のテーマですから、時間経過とともに損失を膨らます場合、これは経営者が経営のことを誤解していると言わざるを得ません。そもそも経営とは何かがわからずに経営者を名乗っていることになるからです。

経営者は、その役割上、時間経過とともに利益を増大させるという最大のミッションがあります。その結果、株主は金利を得てそれを元手に再投資することも可能になります。

その頂点たる例がM&Aです。

すでに出来上がっているブランドを購入することで、ブランド構築にかかるあらゆるコストをすっ飛ばして金利を得ることができるからです。

ただし、まともな取引をしようと思うと莫大な取得費用がかかります。逆を言えば、M&A市場で売却する経営者はそこでExitをすることを前提に経営計画を立て(考えていない場合でも、経営計画を立てない経営者はそもそもいない)、具体的な数値で戦略を示し、実行することになります。

その結果経営者は株を保有している場合、途轍もない売却益を得ることになり、文字通り引退となります。あるいは、引退した後もやはり成功パターンを獲得し、再度起業してExitし、更なる資産を構築するケースも稀ではありません。

ところで、予知能力とM&Aは切っても切り離せません。それは売却する側も、購入する側にとってもです。
売却する側にとっては当然NNVを前提に経営計画を見積もりますし、購入する側は運用後の金利を見積もって購入決定します。

将来の姿を想定して今の行動を決定する。明らかに<危機回避能力>と無関係ではいられない。

なぜなら、売却を前提に考えたときに、事業が失敗したり、売却に漕ぎ着けられずショートして終わる可能性も0ではありません。ですので、売却を前提にした計画というのは非常にハイリスクです。

反対に、購入する側にとってはブランドを購入できる代わりに見えない隠れた瑕疵や含み損を抱え込んだり、購入後にガバナンスが崩れる可能性も考えられるからです。

結論を言ってしまうと、危機回避能力が低い人に経営は不可能です。

具体的には、トラブルを起こす人。こういう人は相対的に見て危機回避能力が低いと言わざるを得ません。ただし、単にトラブルを起こすからといってその人に可能性がないとは言えません。もしかしたらそのトラブルを契機に危機回避能力を極めて高いレベルに持ち上げる人もいるからです。

事業は最終的には株式です。株式投資は賭けでもあります。したがって、賭けに強いことは経営者素質の最大の要素です。

賭けに強いということは、「勝てる」のではなく強い=「負けない」ということです。負けない人=トラブルをそうそう起こさない人でもあるわけです。ですので、優秀な経営者を探すのはトラブルを起こさない人を探すのが一番的確です。

実力と危機回避能力がどう関係するのか

実は、実力がある人は危機回避能力が高い人が揃う傾向にあります。
反対に危機回避能力が低い人は、仕事での失敗が多い人、
つまりそれは一部の実力も経験も少ない人に限られます。
言い換えれば、実力の低い人は危機回避が難しく、トラブルを起こしやすい傾向にあります。

もちろん人格的要因も絡んでいたりもしますが、人格というのは変わることのできるもの。性格や気質は変えるのが難しいですが、人格を変えることは容易くはないですが、理論上できます。

もっというと、トラブルを起こし続けている人は、人格を変えることもできなかった、挽回ができなかったレベルで人格成長が止まっている人なのです。

若い時はありがちです。20代なら、トラブル上等です。
しかし、50、60になってトラブル上等では本人はもしかしたらそれで満足かもしれませんが、周りが許してはくれません。すなわち社会的に抹殺されかねない。若い猿は喧嘩していてもそんなものだとくくれても、ボス猿が喧嘩上等ではしばらくはそれでもいいかもしれませんが、より強い生物に滅ぼされるのは目に見えています。

何が強さなのか。繰り返しますがそれは「生き残る力」です。

筋力が強い、それもいいでしょう。武術に長けている。私も武家だから武術はやりますが、それだけで強いとは言えません。より強い武術家に潰される。

勉強ができる。これは武力よりもより優れています。実際人間が他の生物を差し置いて進化し今もなお他の生物よりも比較的高い生存力を保存できているのは学力ゆえと言えます。しかし、勉強ができるというだけでもまだ少し心もとない。勉強ができるだけで生き残れるほど甘くはありません。

生活力。これも非常に優れた生存力の一つです。最悪地震や大火災で終われても山の中で暮らせる。

ここで3つほど挙げた生存力のうちで最も実践向きなのは生活力です。ただし、生活力と言っても環境に左右されるので曖昧です。

この三つを共通する点は「選択能力にある」、
もっと客観的にいうなら「判断力」です。
明晰に状況を分析し、判断し、自分の生活の益とする力のこと。
これこそが、実力だと言えます。

先ほどの危機回避能力と照らし合わせるとわかると思いますが、
選択は危機回避とほぼ同値です。
より有利な選択を得るには、反して「リスクをどう取るか」について判断を迫られます。

片方は数千万の資本がありながら、資産をほとんど運用できずに減資している企業。片方は収益はでているのに資本も資産も数百万程度の小規模事業者。どちらが優秀かはいうまでもなく後者です。しかし、資本も資産も数百万程度では、環境変化に耐えうる体力はありません。
もしかしたら、環境が変化して機をとらえ運用効率が改善して長い目で見れば長期的な利益が見込めるのは前者だったかもしれない。

まぁこの場合、検証は簡単で、減資している原因を探るのが容易です。今の日本企業の大半が減資しているのですが収益悪化によるものです。収益悪化の原因のほとんどは企画力不足。
この場合は簡単な話で人事戦略を見ればいいのです。
きちっとIT人材を確保している企業は万事解決とはならずとも回復の可能性は感じます。しかし、IT人材の一人や二人確保できない企業は早晩潰れることがわかります。資本を溶かし、どこまで体力が持つかは不明。政治資金を頼るか、あるいは独自のルートを生かしてより高利益の商品にシフトするか、いずれにせよ経営企画が鍵です。

選択能力≒危機回避能力

一見して利益になりそうな選択も実は隠れた危険がある。
場合によっては、どう考えてもプラスになりそうな選択が、本人を追い詰めるケースも珍しくはない。

ではこの危機回避能力、どのように高めれば良いのか?

インターンの人ができることはただ1つ。

経験をなるべく早めに積んでおけ。できる限り挑戦しろ!
そしてどういう時にどういう危険が孕んでいるのか知ること。
これが最も近道ってこと。



以上です!!!


16 Feb 2023



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