見出し画像

「診断がおりるのは回復への第一歩だよ」


昨日はまたしてもビッグイベントがあって、noteの更新が1日空いてしまいました。

昨日の出来事を通して、病気を乗り越えた先には素敵な景色が待ってるのかもしれないと思えて…
なので文章にしてみました…😌

もしよかったら、読んでくださったら嬉しいです!



わたしは中学から大学まで吹奏楽部に入っていました。通算10年間…!お、恐ろしや…

音楽が好きで、みんなと音を合わせるのが楽しくて続けていたけれど、
大学時代に吹奏楽部の仕事に追われて、ストレスのあまりうつ病の手前までいってしまって…

その苦しさのあまり、演奏することの楽しさや楽器に対する愛は完全に冷めてしまいました。

大学時代の同期は、社会人になっても地元の楽団に入って吹奏楽を続けている人が多い中、
わたしは「もう吹奏楽も楽器も嫌い。一生やりたくない」と思ってしまって…

中学校のせんせいになり、吹奏楽部の副顧問になりましたが、わたしは吹奏楽部に対してどうしても負の印象が拭えないところがありました。



そんな中、大学吹奏楽部時代に同じパートで苦楽を共にした同期の友達が、
「ある施設から演奏依頼をもらったんだけど、一緒にアンサンブルしない?」とわたしを誘ってくれました。

わたし自身、もうあまり楽器は吹いていなかったけど、その友達には並々ならぬ思い入れがあって大好きだったこともあり、
「やる!」と勢いで応えました。

ということで、大学時代の同期で同じパートだったうちの4人で、ミニクリスマスコンサートをすることになりました。



誘ってくれた友達は、わたしと同じように大学時代、とても苦しい思いをした子でした。


とっても大好きな楽器が、ある日突然吹けなくなってしまったのです。
誰よりも楽器が大好きで、誰よりも上手なあの子が急に…

今まで当たり前のようにできていたことが、できなくなってしまう苦しさは、今でこそわたしも身をもってわかります。
うつ病になって教室に突然入れなくなったあの日みたいに、自分の身に何が起こっているのかわからなかっただろうなぁと…


友達はその後、病院に行っても、いろんな人に相談しても原因がわからず、
いろんな努力や工夫をしましたが、大学最後の舞台も満足に楽器が吹けないまま、卒部を迎えてしまいました。


当時わたしは大切な友達のそばにいたのに、全然力になれなくて…悔しくてたまりませんでした。



普通の人なら、楽器が吹けなくなったら心が折れて諦めてしまうと思います。
わたしも同じ立場ならそうすると思います。



でもその子はあきらめませんでした。


社会人になったあとも、専門の先生についてもらい、先生と二人三脚でリハビリを重ねながらいろんな病院にかかり、やっと診断がおりて…

8年もの歳月をかけて、いろんな工夫と練習を重ねて、自分の音を取り戻す努力を続けました。

今は、働いたお金で大好きな楽器を購入して、いろんな楽団やアンサンブルチームに参加しています。


すごい子です。
大学時代からずっとずっと尊敬している、本当にすごい子です。

そんな経緯があって、昨日の演奏会というのは小さな施設でのとても小さな演奏会ではあったのですが…

大学時代に満足した形で終えられなかった私たちにとって、かけがえのない演奏の機会でした。



お客さんは、ほとんどが高齢者の方でした。
このメンバーで初めての演奏会。お客さんとの距離も近く、どんなテンションで来るかもわからず、そわそわ緊張していました。

でも始まったらとても楽しくて。

鈴を鳴らして楽しそうに演奏を聞いてくれるおばあちゃん。
「楽器はいいよね!わたしもやっていました。
音楽は人の喜びや笑顔につながりますから、ぜひこれからも続けてください」と熱く語ってくれたおじいちゃん。
最後アンコールが終わったあと「大学の校歌吹いてよ〜!」と追加アンコールをいただき、急遽演奏したら、手拍子で盛り上げてくれたみなさん。

「おじいちゃんおばあちゃんに元気をあげたい!」と思って演奏に来たのに、
私たちの方が何倍も元気をもらっているような気持ちになって、胸が高鳴ってあつくなりました。


最後、お別れのとき
「またきて!ぜひ聴かせてください!」
とたくさんの人が声をかけてくれました。
身に余るほどのクリスマスプレゼントをもらったような気持ちになりました。

わたしはやっぱり楽器が好きで、吹奏楽が好きで、演奏で笑顔になってくれるこの空間が大好きだったんだと思い出させてくれた。
そんな大切な1日になりました。



先ほどの友達に、双極性障害Ⅱ型と病名が変わって戸惑っていることを告げると、こんなふうに返してくれました。


「楽器吹けなくなった時、なんでこうなったか全然わからなくて、いろいろやっても戻らなくて、周りに怠慢だって思われることがすごく悔しくてさ。
でもその後診断がついて、原因がわかってきて。

時間はかかっちゃったけど、人前である程度吹けるようになったから、診断がおりたのは回復への第一歩だったと今でも思うのよ。

(わたしの診断名が変わった話を)聞いていて、何か通ずるものがあるなと思って。

だから、自分の状況に名前がついて、より適切に分析されて生きやすさにつながるなら、診断が変わってよかったなぁっておもうよ」


その子が言ってくれたからこそ、「診断がおりるのは回復への第一歩」という言葉が心にストンと落ちました。

生きやすくなるために、わたしも一歩一歩ぽてぽてあるこう。
あの子みたいに優しくて強い人になりたいなと、改めて思った日曜日でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?