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愚かな女。4

私はまたもや、千夏を侮蔑しはじめていた。
浅はかで怠惰な千夏、性に溺れただけの千夏は、その両親と経済力によって、子ども時代のみならず、母親になってからも、まさにおんぶに抱っこ状態でずっと支えられてきた。

ファストフード店で難なく働けるのも、彼女の両親が彼女の実家で息子の見ているからで、託児所の利用料と時給を天秤にかけ、働けない私とは雲泥の差があった。下手に働けば利用料の方がが高くつき、そもそも待機児童問題で私の住む町でも、その空きは限られていた。

また千夏家の家事の大半は、千夏の母が担っていたようだった。それもまた千夏が働ける理由の一つだった。また千夏の父はまだ現役世代で仕事をし、千夏の母も時々パートに出ていた。
シングルマザーとはいえ、千夏親子が経済的に困窮することは、まずあり得なかった。

千夏は私にないものばかりを持っていた。
その事実をこれ以上思い知らされたくなくて、私は千夏との接触を避けた。
それでも自分の実家に、我が子をを連れて帰ると、千夏の噂は勝手に耳に入った。

千夏はしっかり者のシングルマザーとして、周りの人間に認知されているようだった。
私の幼馴染は、
「千夏ちゃん、若いのにすごい努力してるよね」と言った。
あれほど手厚く支援されたら、誰だって家庭と仕事の両立はたやすいだろう。
一体。何をどう彼女が頑張ったと言うのだろう。

千夏は母として、やるべきことをやったにすぎない。それは、称賛されることじゃない。
そう、と私は短く返事をした。

私は千夏の事を認めたくなかった。
自身の持つ優位性をとことん利用し、幸せを貪る千夏が、バカらしくて憎らしくて悔しくて、千夏の愚かな行為を皆に伝えたくなった。
でも、しっかり者のシングルマザーという地位をしっかり築き上げていた千夏に対し、その暴露話をすれば、田舎中から軽蔑されるのは私だった。
それに、私も自分の口からあの醜悪な話を誰にもする気にはなれなかった。
あんなに利己的でおぞましい話を、誰が聞くと言うのだろう。

その話が広まれば、一番苦しむのは千夏の息子だ。私もかつては、千夏と子と同じ立場だったから、その事は誰よりも身に染みていたつもりだった。千夏の息子が、あの時のことを耳に入れないことを願った。

千夏の優位性は、時代背景にもあった。
80年代の母子家庭親子だった私とは違い、00年代のシングルマザーは、もう蔑まれる生き物ではなくなっていた。テテナシゴという言葉を、もはや誰も使わないのがその証左だ。

母子家庭は哀れで差別するべき存在から、逆境に立ち向かう強い存在として変化しつつある時代だった。
今でこそ、シングルマザーなる言葉は、それがどうした?とばかりに当たり前になり、それだけでは同情すらも得られなくなりつつあるが、あの頃はシングルマザーと言うだけで優しさも得られ、頑張っていると認められていたように、思う。

そんな中、千夏は働くのみならず、さらに自身のダンス活動を再開した。そして自身の息子もそれに一緒に参加した。親子で元気に活動する姿は、とても微笑ましくて、地元でもよく知られていた。

それは我々親子には、とても考えられない事だった。
私は全てを、黒く塗りつぶしたかった。
もう千夏とは連絡を取ることはないだろう。
私はそう思っていた。


千夏が再婚するという話を、私は千夏自身からの唐突なメールで知った。
最後に千夏と会ってから、すでに数年が経っていた。
相手は、千夏が高校生のころに付き合っていた、同じダンスグループの男だという。
私は驚きを隠せなかった。
千夏が高校生の頃は、ロン毛でSAMのような外見だったその男は、すっかり短髪になり、どこにでもいる普通のおじさんだった。
千夏も、どこにでもいる素敵なの結婚適齢期の女性で、自身の息子とともに、真っ白なウエディングドレスを着ていた。
SNSに投稿された写真は、とても幸せそうだった。
投稿にいいねをつけ、おめでとうと伝えた。

その後、現在に至るまで、私は千夏と連絡をとっていない。
私の生活もそれどころではなくなり、おそらく千夏も同様だろう。
あのファストフード店に行けば、また千夏に会えるのかもしれないが、私はもう会いたいとは思わない。
あの頃の私たちとは、何もかも違っている。

千夏は、恵まれた愚か者に見えた。
浅はかで、だらしがなくて夢みがちで、その口はペラペラと羽のように軽く、いつも笑顔だった。
どうしてあんなにも笑えるのだろう。
千夏がお金持ちだからだろうか、千夏の両親が優しいからだろうか。
そこまで考えてようやく結論に辿り着く。
本当に愚かなのは、ダラダラと汚い感情を蠢かせ、ずっと蠱毒のごとく考え続ける自分なのだと。

千夏の顔を思い出すと、真っ先に思い浮かぶのはその笑顔だった。
すっぴんだろうが、濃いめの化粧を施そうが、千夏の笑顔は力強かった。
千夏はどうしていつも笑っていたのだろう。
どうして笑っていられたのだろう。

千夏のSNSのアカウントの写真は、小学生だった息子の写真から、気がつけば全く別のものになっている。もうとても長い時間が経っていた。
私はスマホをカバンへしまう。
気がつけば、否、気がつかなくとも私は、子どもたちのいる保育園へ、お迎えに急いで駆け出していたのだった。

終わり。

前回までの話はこちら。

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