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愚かな女。3

千夏の母親から、千夏の離婚の話が切り出されると、千夏は黙って赤ちゃんを抱きうつむいた。
千夏の母は赤ちゃんの父親である男のした事を、淡々と話し始めた。

盛大な結婚式を挙げた後、千夏夫婦は東京で過ごしていたのだが、式のすぐに後に千夏の夫の不倫が発覚したという。
その場所は事もあろうに、千夏夫婦の寝室だった。
千夏の新居の家具は、ほとんど千夏の両親が用意したもので、それを使っての不倫は、千夏の両親の怒りに火をつけた。

「結婚式のお金だって、ほとんど私達が出したのよ」
その現実的な怒りと、相手の男との経済格差を匂わせる言葉とは裏腹に、千夏の母は憔悴しきっていた。千夏は相変わらず一言も発せず、同じ姿勢で自身の赤ん坊を見つめている。

更に千夏は、夫から、本当に俺の子どもなのかと疑われたという。
その事も、千夏をより深く悲しませていたようだった。
もう、千夏の母以外、誰も何も言えなかった。
千夏は最後までそのことに関しては、何も語ろうとしなかった。

私は、一通り千夏親子の事情をきき、なぜ私たちが呼ばれたのかを理解した。
私の母には離婚歴があった。
つまり、千夏親子は、私の母から何かしらのアドバイスを聞きたかったのだ。
母もその事を瞬時に察し、簡潔かつ実用的なアドバイスをした。そして、頑張ってくださいと、一言だけエールを送った。
母は、千夏が何をしたのか、千夏の子どもがどうして生まれたのかを、一切知らなかった。

帰り道、千夏ちゃん大変だったね、と母は言った。うん、と私は短く答えた。
でも私は千夏には全く同情できなかった。
当然の結果だろうと思った。
千夏も、千夏の夫も、みな同じように愚かなだけなのだ。

必然なことが起きただけ。
私はそう考えていた。
みな、千夏の自宅で暗く固まっていたけれど、私はバカバカしくてしょうがなかった。
それなのに、赤ん坊を抱きながら当然のように被害者ヅラをする、千夏の神経が理解できなかった。
1番の被害者は、千夏とその夫の、頭の悪い性行為で生まれた、その赤ちゃんだ。
千夏はそれを作為的に産み出した、加害者の1人なだが、千夏がその事実に気がつく事は一生ないだろう。
自分の愚かさを棚に上げ、悲しげに振る舞う千夏を、とことんおめでたい奴だと感じた。

千夏の結婚とその不幸は、田舎の小さなコミュニティの中で、皆に知れ渡ろうとしていた。
しかし、千夏は良家ののお嬢様だったことや、シングルマザーという言葉も当たり前になりつつあった時代背景もあり、その視線は同情的だった。
それは、かつて私たち親子に向けられた視線とはかなり異なっていた。

その事実は私に新たな怒りをもたらした。
そして私は、心の底から千夏を軽蔑した。
みんな本当の千夏を知ればいいのに、私はそう思っていた。

ぐったりして帰宅すると、母と一緒に夕食作りをした。大変そうねと同情する母に、私は耐えきれずに、成人式の後のカラオケボックスでの話をした。
母の包丁を持つ手が止まる。
母は短いため息をつき、そんな事聞きたくなかった、と一言だけ呟いた。
母には申し訳なかったが、私は、母が千夏に同情する姿をこれ以上見たくなかった。

それからほどなくして、母のもとに無事離婚できたと、千夏な母から連絡が来たようだった。
私たちはその後しばらく、千夏親子とは連絡を取り合う事はなかった。


あれから何年も経ち、千夏の存在もすっかり忘れたころ、私は偶然千夏に再会した。
その場所は、高校生のころに2人で暗い話をしたファストフード店だった。
千夏はその店のカウンターに立っていた。

あれっ、もしかして桃ちゃん?
と、注文を取りながら、にこやかに話しかけてくる。その笑顔は、あの高校生の時と大差なかったのだが、キビキビと働く千夏は、かつての千夏とは大きく異なるように見えた。

千夏は私の元に料理を運んでくると、桃ちゃん結婚したんだって?と聞いてきた。
田舎は情報が知れ渡るのが早い。
私はその田舎特有の情報網に嫌気が差しつつも、千夏の決して悪気はない問いかけに、正直に答えた。
赤ちゃん生まれたら教えてね!
お祝いするから。
と早口気味にいうと、千夏は料理を置き、また店のカウンターへと戻って行った。
私は食事を終え、千夏に会釈をしてから店を後にした。

それから私は度々千夏の働く店を利用した。
そして千夏と短い会話を交わした。
千夏の子どもは小学生になる事、もう何年もこの店で働いている事などを、千夏は教えてくれた。
すっかり地に足のついた千夏は、1人の頑張るお母さんだった。

それから1年後、私は第一子を出産した。
そして約束通り、夫婦で千夏の実家に向かった。
千夏親子は、我々夫婦と我が子を温かく迎えてくれた。
そこには沢山の出産祝いが用意されていた。
千夏は私の出産を心から喜び、祝ってくれた。
私たちは驚きながら、千夏と千夏の息子、もう小学生1年生だよ、という彼とともに、楽しい時間を過ごした。
千夏の先輩ママとしてのアドバイスも、参考になるものばかりで、とても勉強になると感じていた。

この時まではそうだった。

千夏の母は、私の赤ちゃんをみながら、千夏の息子がまだ赤ん坊だった事を話し始めた。
なかなか寝ない体質だったその子は、寝かしつけにとても苦労したらしい。だから千夏は夜の間ずっとバウンサーを揺らしていたという。

この子、朝全然起きないから、私が毎朝ミルク飲ませていたのよ、もう。
そう言って千夏の母は、千夏の方を軽く叩いた。
千夏はあははと笑っていた。
私は朝起きられずに遅刻ばかりする千夏を思い出した。それと同時に、私と千夏の育児環境が大きく異なる事を思い知らされた。

私には、哺乳瓶を洗わずに放置すれば、汚い、だらしないと罵る親はいたが、育児を手伝う人間はいなかった。
夫は家事も育児も積極的にこなしてくれたが、日中は私と子どもだけだった。
私は孤独で疲れ果てていた。
私が3回食事が取れる日は週の半分以下だった。大体お昼は抜いていた。準備する時間がないからだ。

私の毎日はどんな事情があろうとも、たとえ起立性調整障害だろうが、お腹が痛かろうが、全てをこなさねばならなかった。
そうしなければ生活はたちまち破綻し、それは生まれたばかりの赤ん坊にとって脅威だと私は感じていた。
両親、さらには自分の兄弟も家事育児を分担していた千夏と、私の環境は違い過ぎた。
その事を、千夏と千夏の母から、意図せず伝えられて困惑した。
そんなことは知るよしもなく、千夏と千夏の母は、思い出話に花を咲かせる。

千夏は恵まれ過ぎている。
そういう考えが頭をよぎると、もう誰の話もうまく耳に入らなかった。
ただ、あの時赤ちゃんだった千夏の子が、千夏そっくりに笑う姿を見て、なんとかその場に居続けることができた。

帰り際、また遊びに来てねと、千夏と千夏の子どもがいう。ありがとうと私たちは手を振った。
それから2度と、千夏の家に遊びに行く事はなかった。

つづく。

※前の話はこちら。

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