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山田亮一が2023年に「若者のすべて」を歌っている、それだけで泣いていい理由になりませんか?

「考えすぎて馬鹿になって、発狂しすぎて普通になって…」

何度、聴きながら泣いたことだろうか、ハヌマーンの「若者のすべて」。今や音楽の教科書に載る夏ソングの定番、フジファブリックの「若者のすべて」ではない。後者をきらきらと形容するなら前者は確実にざらざら、ハヌマーンは僕の10代に色濃く残っているバンドだった。2004年結成、2012年解散。今26才の僕はリアルタイムでは聴けていない。それでもフロントマンの山田亮一がかき鳴らすギターと、ひたすらに人間臭い歌詞は、初めて聴いた17才の時から未だに頭から離れない。

「若者のすべて」という爽やかなタイトルとは裏腹に、曲は駅のホームで人身事故に遭遇する場面から始まる。何事もなかったのように遅延証明書を求める人々、飛び込んだ命は世界に大きな衝撃を残すこともなく当たり前のように片付けられていく。飛び込んだ青年に嘲笑されている気がする主人公はきっとその一歩が踏み出せない人間だった。でもそんなことすら人間だから仕方ないと諦める。明日が呼んでるからと仕方なく明日に進む。僕はそれを確かに「若者のすべて」だと思っていた。ここから一歩踏み出せば、全てが解決するのかもしれないと思っていた時期に、僕はずっと白線の向こう側には行けなかった。「若者のすべて」はファイトソングではないし、ただただ気づけば流れている音楽に過ぎないと思う。それでもどんな音楽よりも解像度が高く、それはただの目の前にある光景。それが「若者のすべて」だった。

2020年に突然サブスクが解禁されるまでは、まともに音源すら手に入らない。解散から数年経っても彼らはカルト的な人気を誇り、CDは各オークションサイトで数万円で取引されていた。そんなバンドを大学生たちはこぞってコピーしていた。「あの先輩がやっていたから」と、それは口承文芸のように伝わっていき、コピーの難易度的にも誰もがここぞという大一番のライブでコピーする。大学時代に僕が所属していた軽音サークルではそんな雰囲気が出来上がっていたと思う。たかがコピーバンド、されどコピーバンド。本人が歌うわけでもないのに彼らの曲はやけにリアルに聴こえて、僕らが歌うと妙な熱を帯びた。何も正しくない、何も立派じゃない、でもそんな生活をあるがままに言葉を紡いだ音楽を作り上げていたのが山田亮一だった。Youtubeで検索をかければ、今年も全国各地の大学生たちが彼の曲をコピーしている動画を見ることができる。MVはたったの3本、メジャーデビューすらしてないバンドをみんながずっと好きだった。

ハヌマーン解散後、山田亮一はバズマザーズというバンドを組んで活動している。解散から自殺しようとしていた時にパチンコで大勝ちしたからバンドを組んだというトンデモ結成理由。「平成の阿久悠」を自称するぐらいだった相変わらずのワードセンスはそのままに、相変わらずの空間を切り裂くバキバキの演奏、ハヌマーンならずとも山田亮一は確かに音を鳴らしていた。しかしコロナ禍。2020年にワンマンライブが中止になってからその活動はない。その翌年2021年の7月以降、山田亮一が表舞台に出てくることはなかった。「場末のバーでバーテンダーをしている」や、バズマザーズの結成理由が理由なだけに根拠のない死亡説など消息不明の状態が続いていた。

僕はなんとなく「本当に死んでしまったのかもしれない」と思っていた。「何の為声は枯れて来た? 心を無くさない為さ」なんて歌っていた山田亮一だ。彼の才能に心底陶酔していたからこそ、彼が中々日の目を浴びないこと、それすらが彼を彼たらしめていると思って妙な安心感を持っていた。でもいざ消息不明になると、耳元で鳴っている「今日も世界は俺の才能には気付かない」という彼の叫びは陶酔から悲哀な気持ちへと変わっていった。

「結局捨てれんかった 恥やら外聞も人間だもんね しょうがないさ」

「若者のすべて」のラスサビ前Cメロ最後の歌詞。今年の春、そんな男が生きていることがタイムラインに流れてきた。そして夏には突然SNS上に帰ってきた。イップスになって3年間ギターに触っていないらしい。しばらくの沈黙の後、つい先日、新しいバンドを始めるなんて言って、メンバー募集を告知して、今は毎日Xに練習記録をポストしている。君は山田亮一を知っていたかい? そんな男をみんな愛しているんだぜ。幾つになっても大人になれないままの僕は、ずっと彼の音楽に自分を重ね合わせている。ずっと前から、きっとこれから先も。

そして彼はまた突然に久しぶりのツイキャスをしていた。リアルタイムで視聴できていないわけだが、ファンが切り抜いた録音の中で彼は「若者のすべて」を歌っている。そんなのずるいじゃないか、と思った。ずるいじゃないかと思ったから慌ててこの文章を書いている。少しうろ覚えそうながら、楽しげに歌う彼に涙が出た。原曲のアルペジオじゃなくともイントロから全てがフラッシュバックしてくる。行きたくもない高校への通学路で聴いていたこと、大好きな先輩が、愛らしい後輩が、みんなここ1番というライブでコピーしていたこと、夜明けに急に叫びたくなって枕元で声を押しつぶして聴いていたことのすべてが。

「心で歌うな喉で歌え オンボロになって初めて見える価値」

「若者のすべて」の最後の最後で山田亮一はこんなことを歌っている。剥き出しのままにボロボロになっていくことへの美学なのだろうか。幸せなことに、未だ僕の人生には映画のような絶望はやってこない。ただただ小さな絶望が毎日起きて、小さいが故にいつか忘れて日々が続く。17才の僕が見ていた世界はもうわからない。思い出せない。何が起きて、何を聞いて、何に悩んで、何に絶望していたのかなんてもう忘れた。でもただ彼の音楽がずっと鳴っていたことだけは覚えている。今もいつか過去になる。小さな絶望に苛まされている今なんてすぐに忘れる。今が嫌になるたびに、その先の未来で彼が歌っていることを考えていようと思う。それまでは、どうぞ幻によろしく。

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