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いつか誰かを傷つけてしまって、それから冗談が言えなくなってしまった話し。

私は、体質や性格は父譲り、
顔は母にそっくりな作りをしている。

旦那さんにそう言ったら、
「笑った顔はお父さんにそっくりだよ」
と言われた。

旦那さんは、数回しか
父に会っていないのに、
それでも、印象的だったってことは、
笑顔が似てるのかな?
ちょっと嬉しかった。

父は、ユーモアがあって、
目立つのが好きで、それでいて繊細で、
いつも仲間の輪に入って、
その場の雰囲気を作る人だった。
一度臍を曲げたら戻らない。
そこもそっくりな私。

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自由に気ままに発言していた
若かりし頃の私。それを面白いと
言ってくれる人もいたけど、

冗談で笑わせようとした一言が、
ある時には、その人の、
深いところに
突き刺さってしまうことがある。

具体的なエピソードは
思い出せないけど、
何度かそういうことが
あったのかもしれない。

自分の事も包み隠さず、話していたので、
自分の性格や生活を
「そういうのよくない」と
指摘されたりして、色んな事が重なって、
頭に浮かんだ言葉を
どこまで人に伝えていいかが
分からなくなった。

だから、空気を読みながら、
少しずつ出して、
この人にならここまでは大丈夫、
これ以上はダメだと
始終考えるようになって、

頭のスピードに
現実が追い付かなくなった。

頭に浮かぶ、精査する、口に出す、
そして、空気が大丈夫か確認する、
疲れてしまった。

だったら普段は、
当たり障りないことを言って、
本当に仲良くなった人だけに、
本当の私を見せればいいやって
思うようになった。

◇ ◇ ◇

接客の仕事は、すごく楽しかった。
頭に浮かんだ言葉をすぐに出せたし、
それで、その場の雰囲気が
盛り上がったり、

「楽しい、面白い」って
お客さんが言ってくれて、
私のちょっと変わった部分を
素直に活かせる職場だった。

それでも、長時間、
脳をフル回転させ続けるのは、
疲れるし、体力的にも限界だった。

◇ ◇ ◇

自分のちょうどいい分量。
それが、ネットの世界かなぁって
最近思い始めた。

いつもnoteが心地いいと書いているのは、
書いている時は、一人で打ち込めて、
周りに気をとられることがなくて、

書いて投稿すると、
普段では関わることができない、
大勢の人の目に触れる、
そして、関わることができる。

私にとって、心地いい分量。
私が書いたことで、
もし誰かを傷つけてしまうことがあっても、
この場所では中和される気がする。
だから安心できる。

これは、あなたに伝えているんじゃなくて、
私の物語ですって言える気がする。

◇ ◇ ◇

私にも経験がある。
ある人に初めて言われた言葉や
エピソードが、

それまでの人生で、
重く積み重なってきた言葉だったりして、
それが重く突き刺さること。

その人には悪気はなくて、
でも、自分の受け取り方も軽くできなくて、

でも、今は少し変わった。
自分が言われて辛いことや、
過去に引き戻される言葉は、
それを聞くとそうなってしまうから、
と相手に説明するようにしている。

それに、思いつめるような重い意味は
込められていないということも知った。
最近かけてもらえる言葉は優しさでできている。

私の心の中は、私にしかわからない。
だから、言葉に出すことも大切。

◇ ◇ ◇

noteに書くという作業は、
少し一方的でも許される気がして、
だから私は気が楽なのかもしれない。

それを読んで、
いいと思ってくれた人だけと繋がれる。
安心できる場所。

最近、色んなところで、
感覚を引き出してもらっている。

◇ ◇ ◇

コロコロ変わる私だから、
一定でいるのが難しい、
たくさんの私がいる。

面白い時、悲しいとき、
急にテンションが上がる時、
自分の事だけ話して、
人の話を聞くのは面倒だと
思ってしまう時、

話を聞きたいと思う時、
大声で歌いたい時、
恋しいと思う時。
全部、全部で私。

その時々で、分量が変わるので、
別人のように感じる時もある。

今湧き上がる気持ち。
自分が自分を好きであればいい。
どんな私も、本当の私だ。そう思うから。

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