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SNSの海原で溺れかけていた私は、一旦浜へ上がることにした

何かきっかけとなるピンポイントな出来事があったわけじゃなく、それはジワリジワリと私の感覚を侵食していた。
そしてある時、SNSに対して若干の居心地の悪さを感じている自分に、ふと気づいてしまった。
「This is SNS疲れ」と言うやつなのだろうな、と思った。


そして年末に、なんだかそのモヤモヤに無性にケリをつけたくなった。

そんな心のうちを、ある人にぽろっと話してみたところ、その人はこんなことを言った。
(ちなみに、その人はSNSをビジネスライクな感じで割り切って、軽やかに使用している人です)


人って、一日のうち大半は、ごく普通の状態で過ごしてると思うんだよね。
だけど、その中で、キラッと光る瞬間が30分くらいあるとして。
SNSは、そのキラリの30分を見せ合っている場の様に思えてしまうんだよね。


ほぉ。
言い得て妙だ、と思ってしまった。
少なくとも私が抱いていたモヤモヤの確信をその言葉が突いた。


そうかぁ、キラキラ合戦ってことねぇ。
そして、かく言う自分も、その合戦に参戦していて、挙句「何やってんだっけ、これ?」状態になってる今。
ってことなんだろうなぁ、と思った。


確かにメリットだってたくさんある。
んなこたぁ、わかってる。


遠方に住んでいて滅多に会うことができない友人の近況が知れたら嬉しいし。
特に、今の様なコロナの状況下で、リアルに人と会うことができない分、SNSで繋がれていることで安心することもある。
大したことない内容に、「いいね」なんて反応してくれたら、それだけで満たされてしまう♡


だけども、やっぱり私は、そのキラッと光っている(場合によっては、その様に見せている)部分じゃない方を、より知りたいし、見たいと思っている。
素のその人、人間らしさが表れているジタバタしていたりする部分を。

白鳥が水面を優雅に滑っているその下で、激しく足をばたつかせている様に。


自分についてもそう。
毎日ご機嫌に生きてるわけじゃない。
悩むし、凹むし、惨めな気分にだってなる…
でも、そんなことをわざわざ、限られたメッセージに込めてSNSではあげないし、見せない。


そう思った時に、SNSに、自分がどう向き合いたいのか、答えが出た。

結局、先月で、Twitteは、やめた。
Facebookは、月一何かあればUPくらいのペースにしようと決めた。


そして、このnote。
このnoteが実は、一番、その「ジタバタ」が見れるし、そして見せられるツールだと思っている。
だから、今年から、noteに集中しようと決めた。
noteの海でなら、ピチャピチャ楽しく遊べそうだと思っている。


先月からその決断を決行してからまだ少しの時間しか経っていないけど、
なんだかエネルギーを効率よく使えている気がする。


もっと時間が経てば、より色々な効果が感じられるかな?


これからも、あなたのジタバタ、ぜひ見せてください♡
私も、まぁ、ダダもれていると思いますが、見せていきますんで、よろしくお願いします。

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