見出し画像

毒育ちが考える嘘

(画像はいらすとや様より)

 私は、他の人よりも嘘をつく機会が多いのかもしれない。と言うのも世の中には私の毒祖母のような人間が存在し、彼ら彼女らと戦うには時として嘘という矛、あるいは盾が必要だと認知したからであるが。端的に言えば自衛のために尽きるが、せめて可能な限り「誰も損も得もしないような嘘」を選択しているつもりである。決して相手を貶める、洗脳するという意図はない。

 まず嘘とは、大きく11種類に分けられるらしい。

①思いやり…相手を思ってつく嘘
②その場逃れの嘘
③無自覚・勘違い…本人に嘘の自覚が無い嘘(パーソナリティ障害の可能性、私の毒祖母も該当)

④約束破り…結果としての嘘
⑤引っ掛け・冗談…楽しさからくる嘘
⑥能力・経歴…自分をよく見せる嘘
⑦甘え…社交辞令、お世辞
⑧合理化…真実をあえてかいつまんで話す嘘
⑨利害…悪意のある嘘
⑩隠ぺい…罪を隠すための嘘
⑪プロパガンダ…グレーゾーンの嘘

https://xn--5ck1a9848cnul.com/9422

 ①、⑤、⑦、⑧についてはその程度にもよるが、自分自身や相手を守るための嘘や潤滑剤としての嘘である。つまりは「嘘も方便」の範囲に収まれば(便宜上は)「良い嘘」と言える。それ以外についても程度はあれど、大なり小なりの悪意や利己が込められている嘘であることは間違いない。周囲を不快にさせる嘘、他人に迷惑をかける嘘、誰かが不利益を被るような嘘は、性質として「悪い嘘」に該当する。

 なお当記事における嘘とは虚言や詐称、作話に限らず、盗用や盗作、剽窃、トレース&パクリ(通称トレパク)など「自分自身の人生や実力を騙る(悪い)嘘」も含むこととする。

(画像はいらすとや様より)


「嘘をついても良いことはない」

 匿名に甘えて吐き出させえもらえば、学生時代に私は盗用を犯している。当時ポスター制作の課題を抱えていたが、十分な制作時間を確保できなかった私は、たまたまインターネットで見かけた作品をそのまま使用した。「ちょっと色や人物像を変えれば平気っしょ!」と、今考えれば世を舐め腐ったクソのような心境で私はそそくさと課題を終わらせたのであった。提出後の授業で担当講師から褒めちぎられると、私は盗用したことなど綺麗さっぱり忘れてまるで自分の実力のように思い込んでいた。

 それが、まさかコンクールの最終候補に残ってしまうとは夢にも思わなかった。

 講師に評価された、最終候補に選ばれたという喜びよりも「もし盗用がバレたらどうしよう」という不安や罪悪感で私は何も手につかなくなった。すぐに盗用の旨を正直に申し出ていれば良かったものの、今度は「それが原因で成績が下がるかもしれない」と考えると、とうとう言い出すことができなかった。結局最終選考で私の作品(と言うよりも盗品)が落選したのだが、私は独りでに胸を撫で下ろしていた。その後も特に何も追及されることはなく、この盗用事件は私の中の秘めたる黒歴史の一つとなった (もしかすると担当講師は盗用に気がついたゆえに最終候補から外したのかもしれないが) 万が一にもあの盗品が大衆の目に晒されて私の不正行為が明るみになっていたら思うと、今でも冷や汗が止まらない。

 それ以降も至る場所で剽窃、盗用、盗作、虚偽行為は「不正行為としてすべて一発アウト」「カンニングと同等の行為」と散々注意喚起されてきた。某細胞研究論文を巡る一連の事件なども受けて、「不正行為が判明したらその期の全単位を没収、その時点で留年や卒業取消の可能性が出てくる」と多くの先生や講師の方から口酸っぱく言われ続けた。

 先の盗用事件の経験も含めて、剽窃や盗用、盗作、虚偽といった不正行為が原因で学校を去った同級生を見かけた私はこう思うようになった。「嘘をついても良いことはないんだな」と。


嘘をつく人の心理

 それでもなお、なぜ人は嘘をつくのだろうか。己を大きく見せるにしても逆にわざと小さく見せるにしても、その嘘がバレる可能性が存在するのにもかかわらず。

 私の推察に過ぎないが、おそらく頻繁に「悪い嘘」をつく人とは「嘘をついたことによる不安や罪悪感よりも嘘によるメリットや昂揚感の方が大きい」のだろう。彼らにとってはネガティブな感情よりも承認欲求や自己顕示欲が満たされること、金銭や名誉が手に入ること、他人と関われること、マウントを取れることの方がよほど重要なのだ。

 その人一倍強い承認欲求や自己顕示欲、他人への強い依存心が生まれるのは、自己愛が強いゆえである。幼少期の安全基地の不在や親からの愛情不足によって、「自分を大きく見せたい」「理想の自分でありたい」という思いが増幅してしまった結果とも言える。

 自己愛が強すぎるとまっとうな努力や下積みを嫌い、他人からの指摘や批判を受け入れない傾向にある。しかし一度ひとたびトレパクをすれば、地味な努力を重ねずとも次々と作品を発表できる。学歴や経歴を詐称すれば、その瞬間から誰もが知る難関大学出身、あるいは誰もが羨む大手企業勤務と言える。それによって利益が上がるとなれば、自己愛が強い人間は進んで虚偽に手を染め、やがてその嘘にさらに嘘を重ねる形で虚偽の螺旋から抜け出せなくなるのは明白だ。非常に矮小な例としては私の毒祖母も作話や虚言の常習犯であったが、かつて世間を大きく騒がせた割烹着姿で実験していた女性研究者、サングラスとロングヘアーが印象的だった音楽家、声だけは本物だったコメンテーター、最近では中の人が中年男性かもしれない女性イラストレーター、そして古くは某国出身の自称宇宙飛行士といった(とある界隈では非常に豪華とも言える)面々も私の毒祖母と似たような心理だったのではないか。

 正直そのような自己愛が強い(強すぎる)人には、何をやらせても無理だと私は過去に主張している。それは研究、芸能、芸術の世界に留まらず、いかなる業界や社会にも通ずることではないか。


 ところで他人の作品や著作物からの剽窃、盗用、トレパクには確固たる被害者がいるが、本人の学歴・経歴詐称は誰も傷つけていない(から許そう)という主張も確かに存在する。先に挙げた「声だけは本物だったコメンテーター」を巡る問題が話題になった当時にもそのような主張が散見されたが、モーリー・ロバートソン氏がそれに対して真っ向から反論している。

「本物のハーバードMBAでなくても、番組はそつなくこなしていたんだし、品はいいわけだし、それなりに使えばいいじゃないか」
と。しかしこの判定は間違っている。ハーバードのMBAや海外留学を詐称し、それで甘い汁を吸うことは、がんばって本当に資格を取った人から機会を奪うことになるからだ。

https://bunshun.jp/articles/-/2

 学歴や経歴にしても「本当に努力して勝ち取った人」がいる以上、とても許される行為ではない。いかなる嘘でも他の誰かのまっとうな努力を蔑ろにしたり然るべき機会を奪ったりするとすれば、それは「悪い嘘」以外の何物でもない。


「悪い嘘」は悪魔との契約

 とは言うものの嘘をついてしまう人間の気持ちを、私はまったく理解できない訳ではない。学生だった私が盗用したのも「時間が無いが、評価はされたい」という不埒な下心があったからだ。もしあのまま盗用がバレずにコンクールで評価を受けていたら、若かりし私はきっと有頂天になっていただろう。そして表彰状を片手に「人生チョロいわ(笑)」と舌を出すような“勘違い自己愛モンスター”となっていたのかもしれない。

 この“別の世界線”の私のように、剽窃や盗用、詐称のおかげで称賛や名誉を欲しいままにしたとしよう。しかし、その称賛や名誉は一時的なものに過ぎない上にいつかその嘘が露呈する可能性は顕在している。万が一嘘が露呈した後は、仮初の称賛や名誉はたちまち霧散して「嘘つき」のレッテルを張られ続けるという地獄が待っているだけだ。

 たとえば芸術や創作の話になるが、高等な技術など無くても構わないから作者が抱く強烈なフェチや嗜好、メッセージが随所に見受けられるような個性的な作品の方が読者の琴線に触れるのではなかろうか。

「バレたら困るのがパクリ、バレてくれないと困るのがパロディ、バレると嬉しいのがオマージュ」 

https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28512.html

 私自身も下手の横好きな素人物書きに過ぎないが、胸を張って自分の作品だと言えるものを大切にすべきだと感じている。それは己の生い立ちや経歴にも言えるのは、作品や経歴とは自分の鏡そのものであるからだ。これは私見であるが、剽窃や盗用、詐称とは他者の物から“良いとこどり”をしただけのツギハギに過ぎない。そしてそれらを犯してしまう人とは、おそらくパーソナリティとうい器もツギハギだらけなのかもしれない。

 所詮綺麗事に過ぎないが、他人から称賛されるにはそれ相応の努力と結果が必要なのだ。称賛や名誉が欲しいのならばどうにか努力して勝ち取るしかない訳だが、「欲しいけど努力はしたくない(できない) でもやっぱり欲しい」というある種の欲求不満状態が「悪い嘘」を引き起こすのである。

 行き過ぎた「悪い嘘」は、もはや悪魔の契約だと私は痛感している。その行為を犯してでも手に入れたいものがあるのならば、それはその人の決断(責任)として致し方ないのかもしれない。たとえ仮初の称賛や名誉だとしても、彼らにとってはそれが他の何にも代えがたいものなのかもしれない。私は冒頭で述べたような思いを二度としたくないので悪魔に魂だけは売りたくはない、それだけの話だ。


自分自身に嘘をつくということ

 一般的に「嘘をつく」と言うと「他人や周囲に対して」というイメージであるが、人が他人に嘘をつく時は自分自身にもまた嘘をついているのである。

 一部のパーソナリティ障害を抱える人間を除くと、人は嘘をつくと何かしらのダメージを受けるらしい。私の場合はそれが強い不安感や罪悪感として現れた訳だが、どんなに強がったところで大抵の人間はそのような負の感情を拭いきれないのかもしれない。

 もし「悪い嘘」をついてしまったのならば、その旨を深く反省して嘘をついていしまった自分自身と向き合うしかない。詰まるところ強い自己愛と嘘の螺旋から自分を救ってやれるのは、自分自身だけであるからだ。まずは嘘偽りのない、ありのままの自分を受け入れるしかないのだ。

 

 
 最後に与太話を一つ。

 以前、某スポーツおよび某チームのファン歴ウン年(自称)という方と試合観戦に赴いた時の話である。

 私は(色々な)期待を胸に待ち合わせ場所に赴き、挨拶も程々に試合会場に向かいながら会話していたのだが、その時既に“ある違和感”が漂い始めていた。その方は、まずその日のスターティングメンバーを把握してなかった。それはまだ百歩譲ったとしても会話を重ねていくと、その方は主力選手のシーズン成績はおろか、彼らの名前やポジションすらうろ覚えだった。さらに言えば辛うじてルールは理解しているが、そのスポーツ自体に疎いというか興味がなさそうにすら感じられた。

 もしかすると、その方は「ファンと名乗ればワンチャン行けるっしょ(笑)」という下心を持っていたのかもしれないが、それは自分自身にも嘘をついているし何よりも先方に対して大変失礼だと思う。まあ、私は別にいいんですよ、私は。腹ン中で「ファン歴ウン年のくせに○○知らんって舐めてんのか?ああ?そんなんでファン名乗んな、このニワカがァ!!!」と毒づくだけなんで。ただ、他の純粋な女性ファンにそういう舐め腐った嘘ついたらアカンよって言うだけで。ぶっちゃけスタメンも言えへん奴がファンと騙って口説こうとすんなって話ですよね。

「月曜から夜ふかし」(日本テレビ)より
※スポーツや球団は一切関係ありません
「月曜から夜ふかし」(日本テレビ)より

 その試合はあくまで一試合として存分に楽しんだ後に、その方からはフェードアウトさせていただいた次第だ。

 いかなる形であれ、他人にも自分自身にも「悪い嘘」をついても良いことはないということだ。「悪い嘘」、ダメ、絶対。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?