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短編小説「ため息」



 ブーツで昼下がりの海岸を歩くと、霜の上を歩く様な感触が楽しめる。その感触を求めて私は家から遠い海岸まで歩ってきた。嫌なことを忘れたいときは、私はここに来る様にしている。周りには他にも散歩をする人が数名見えるだけであり、時間もちょうど良い様に思えた。私はしゃがみ込み、誰にも気づかれないようにため息を一つこぼした。ため息は海岸の細やかな砂の間をさらりと滑り落ちた。私の鬱憤からかれたため息は、海岸の砂などでは濾過ろかされないだろう。きっと地球の内核まで届くのだ。そんな妄想に浸っている途中、不意に声をかけられ私の意識は現実に戻された。




 「お身体でも悪いのですか?それに今、溜息をついていたようにも見えましたよ。どうかなさいましたか?」顔を上げると、眉を八の字に固めた貴婦人が私の顔を覗き込んでいた。よく見ると、私が散歩をしている人としてカウントしていた人物である。言葉遣いは勿論、海岸の散歩には向かないような気品ある服装に私は少し圧倒されそうになったが、すぐに立ち上がり答えた。



 
 「いえ、ため息はついてましたが体調は大丈夫です。心配させてしまいすみません」私の言葉を受け、貴婦人は眉毛にこめていた緊張を解き、柔らかい微笑みを私に向けてくれた。「そうですか、それは良かった。しかし、ため息は間違いないのですね。こんなところで言うのもなんですが、幾らならそのため息を売ってくださいますか?」



 

 私は貴婦人の提案を丁重にお断りし、散歩を続けた。貴婦人の残念がる姿を見るのが辛く、貴婦人とは反対の南へ向かい海岸沿いを進んだ。私は貴婦人のことをあまり深く考えないように努めて歩いた。私の視線は足元の欠けた貝殻、出来損ないのシーグラスばかり追っていた。ここに打ち上げられているものは全てまがい物。私の周りと同じである。連想ゲームの様な質の悪い答えを導いてしまったところで私は、ため息をまた一つ、産み落としてしまっていた。





 「あらま、今あんたもしかして、とってもいいため息をしたんじゃないのかい?どれ、私に少しわけておくれよ?」しゃがれた声であった。私は歩みを止め声のする方を反射的に睨んだ。そこには、黒い艶のあるスーツを着た海女あまさんが立っていた。スーツは水に濡れ、今まで素潜りをしていた事はすぐにわかる。「そんなに睨まなくていいじゃないか。今まで散々冷たい海の中で仕事してたんだ。心まで凍らせる様な目つきは好きじゃないよ。でも、そんな目をする人のため息だ、きっと使える。頼むよ、少しでいいからわけておくれよ」




 

 私は海女さんのお願いを聞き入れず、海岸を後にした。家に戻ると私は自室に早足で駆け込み、床にしゃがみ込んでしまった。そして、ベットの隣に置いてある円柱の機械を起動させるか迷った。もう我慢ならない。他人がどうしても人間らしいとは到底思えないこのストレスから、もう一刻も早く逃れたかった。私もため息をしなくなれば気持ちは晴れるのだろうか?私は機械を凝視する。機械からはノズルと先端にはマスクの様な物が取り付けられている。私はゆっくりと床を這い、ノズルから伸びるマスクを口に当てがった。そして、機械が起動したことを考えるだけでなんとか人間らしい感情を手放さない様に努力した。




 しばらくして私は落ち着きを取り戻した。私は気分転換に部屋のテレビをつけた。いくつかのチャンネルをザッピングしたところで、好きなお笑い番組などはやってないことがわかった。あまり気乗りしないが、私はお堅いニュース番組を見ることにした。




  ——「なんでもリサイクルを試みる現代。その範囲は人間の感情にまで及んだのはつい最近のことです。青い空をゆっくりと飛ぶ飛行機は、浮つく様な楽しい感情を動力に。圧力により地面を平らにするロードローラーは、足取りを重くさせる悲しい感情を動力に。気持ちを高揚させるオーディオ機器は、踊りだしたくなる様な嬉しい感情を動力に。人間の感情は人々の生活を支える様になりました」




 ナレーションに合わせて、当時の科学者の研究室の様子や飛行機、ライブを行う有名人などの映像が矢継ぎ早に流れていく。




 「その中でとりわけ重宝されたのがため息であります。多様な感情が入り乱れ排出されるため息は、莫大なエネルギーを持っておりました。あるお金持ちの間では、ため息を専用の機械に入れ、部屋をアロマの様にため息で満たすのが流行っており、その中で映画を見るとより感動でき楽しめるとか。またある実験では、ため息を専用のハケで体に塗ると、普段より楽に潜水ができたという記録もあるます。しかし、天然のため息を出せる者は今はもう多くありません」





 映像は切り替わり、棒グラフによる推移を提示した。棒グラフは急な階段の様に下っており、現在の部分は段差と地面との差が確認できないほどであった。
 



 「多くの人間は、自発的なため息をするまで感情のたかぶりを機械にエネルギーに変換してしまうため、ため息をしなくなりました。しかし、これは悪いことではありません。感情をエネルギー変換させることにより得られるメリットは多く、魅力的なものです。起伏のない感情により人々は争いなどしません。いつもいかなる時も普段通りを堪能できるのです。是非国民の皆様、感情のエネルギー供給は国民の義務でございます。今後とも可能な限りご協力よろしくお願いいたします」




 美しい青空の写真と共に、私が今触れている機会を作っている会社のロゴマークが映し出された。私がニュース番組だと思って見ていたそれは、新作のコマーシャルであった。それを見終わった私は力いっぱい絶叫した。






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