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【書評】京極夏彦の看板シリーズ〈巷説百物語〉、読者の予想を遥かに上回る大団円。――『了巷説百物語』レビュー【評者:杉江松恋】

私はこのあとシリーズをもう一度読み返すと思う。一度ではなくて、二度、三度、何度も。

評者:杉江松恋(書評家)

 今度は曇りかっ。
 と、京極夏彦『了巷説百物語おわりのこうせつひゃくものがたり』を未読の方に、いや、すでに読んだ方にもまったく理解できない書き出しをしてしまい、申し訳ない。
 そう、京極夏彦の看板シリーズであった〈巷説百物語〉が七巻目にして大団円を迎えたのである。もともとこの連作は江戸時代の絵師・竹原春泉が『絵本百物語』で描いた妖怪画をモチーフにしているので、それが尽きたときに終わるのは理の当然であった。それにしても感慨深い。
 本シリーズの第一話は『怪』創刊号に掲載された「小豆洗い」である。御行の又市と名乗る、流浪の民間宗教者に身をやつした男が、仲間たちと共に妖怪の出現を匂わせる「巷説」を操り、標的を誑かしていくという物語だ。もう一つの看板シリーズである〈百鬼夜行〉シリーズが妖怪に代表される不思議を理屈で覆していく話だとすればその逆、妖怪の不思議で世の不条理を正していくのが『巷説百物語』であった。又市たちは決して正義の味方ではなく、金を貰って動く小悪党であり、「俺たちゃ、悪よ。悪で無頼よ」(by中村主水)と立場をわきまえた上で動くというのが、物語に爽快さを醸し出させる一因となっていた。
 その後、『続巷説百物語』『後巷説百物語』『前巷説百物語』『西巷説百物語』『遠巷説百物語』が出て今回の『了巷説百物語』で完結するわけだが、いずれも単なる続篇になっていないところがシリーズの特徴であった。「ご存じ」でヒーローが登場する物語では読者に飽きられると用心したか、作者は一冊ごとに語りの趣向を変えてきたのである。たとえば第130回直木賞を受賞した『後』では、時代ははるかに降って明治の御代になっており、かつては又市にくっついて諸国で妖怪騒動を見聞してきた山岡百介が、もう老人になっている。彼の元に若者から巷で起きた怪異譚が持ち込まれると、翁は江戸の昔に起きた出来事を語り始める。それが符合するところに事件の謎を解く鍵があって、いっぺんに現在と過去、二つの不思議が解明される、という構造になっていたのだ。また『西』では上方で起きた事件が描かれるので又市は登場せず、代わりに彼の旧友・靄船の林蔵が主役を務めた。
 そんな具合に毎回語りの趣向や視点人物が替わるから、今度は曇りか、と思ったのだ。いや、これだけでは説明になっていない。曇りとは須賀不二男である。あ、「必殺からくり人」で須賀不二男が演じた役、ということね。
 早坂暁脚本で名高い「必殺からくり人」は〈必殺〉シリーズの第八作である。山田五十鈴演じる花乃屋仇吉のからくり人チームは、老中首座・水野忠邦とその側近である鳥居耀蔵が進める恐怖政治に反発し、権力者と対決しつつ弱い人の恨みを晴らそうとする。曇りというのは、その権力者側に雇われた悪の元締めで、からくり人を狙い続けるのである。
『了巷説百物語』は天保年間の物語だ。第一話「於菊蟲」で初登場する主人公・稲荷とうか藤兵衛は本業は狐狩りだが、洞観屋というもう一つの顔を持っている。藤兵衛は、その目で睨めば人の嘘を見破ることができるという特殊能力の持ち主なのだ。「化けの皮、見切ったわ」と次々に嘘を暴き立てていく。
 藤兵衛に頼み事をしてきたのは、彼の住まいがある下総国佐倉藩の山崎由良治という侍である。佐倉藩主は現在、老中首座・水野忠邦が進めている政治改革を支援しようとしている。ところが市井のどこかに、その水野の政道を邪魔しようとしている者がいるのだという。その連中は妖物を操って人心を惑わし、いつの間にか企みごとを成功させてしまうのだ。改革の邪魔をさせないために一味の正体を炙り出してもらいたい、というのが山崎の頼みだった。藤兵衛はこれを受け、江戸へ向かう。
 ほら、曇りだ。これまでさまざまな語りの形を用いてきた〈巷説百物語〉は、最終巻でついに敵の立場から御行の又市たちを描くことになるのか。『怪と幽』vol.7に掲載された「於菊蟲」前篇を読んだ私は、そう思って非常に興奮したのである。ええっ、じゃあ、又市を演じるのは緒形拳か。事触れの治平は芦屋雁之助、そうか、山猫廻しのおぎんはジュディ・オングか、と頭の中で勝手に配役までしてしまったが、それはどうでもいい。
 その時点での推測が果たして当たっていたかどうかは、ここでは書かないことにする。稲荷藤兵衛が物語の中でどんな存在になっていくかは読者がそれぞれ確認してもらいたい。このシリーズでは毎回登場人物たちがチームを組む。稲荷藤兵衛も江戸に仲間を引き連れてやってくる。猿猴の源助と猫絵のお玉だ。源助は周辺の気配を察知する能力に優れており、お玉は人の集団に潜り込むのが巧い。この三人が妖物使いの一味と対峙するのである。
 本シリーズは時代ミステリーとしても優れており、最終巻もたとえば「柳婆」では心理の空隙をついた語りの技法に唸らされる。「累」はとある陰謀を描いた話だが、真相の巨大さには驚かされるし、それを解き明かしていく過程の緻密さも特筆ものだ。
 最終巻ということもあって、シリーズ総決算の意味合いも強い一冊である。読みながら、これはライダーだ、仮面ライダーだ、と呟いていた。またもや昭和の喩えで申し訳ない。ここで言う「仮面ライダー」は藤岡弘、の第一作ではなく村上弘明主演の通称スカイライダーの方である。あの番組は後半、毎回先輩ライダーが登場し、スカイライダーを差し置いて主役として活躍するという趣向があったのである。もうこどもたちは大喜びだ。それと同じで、『了巷説百物語』にも過去のキャラクターたちがぞろぞろ出てくる。治平もおぎんも出るし、六道屋の柳次も横川のお龍も出る。一文字屋仁蔵や御燈の小右衛門といった大物ももちろん出る。じゃあ、最初の主人公である御行の又市や、ワトスン役ともいえる山岡百介は、と思ったシリーズのファンはぜひ読んで確かめていただきたい。
 インタビューなどで作者が語っているので繰り返さないが、本作はもともと『続巷説百物語』の後ぐらいに長篇で書かれるはずだった内容だという。五番目の「手洗鬼」以降の展開はその幻の長篇から来たものだ。四番目の「葛乃葉」には「或は福神ながし」という副題がついている。これは2000年に放送されたドラマ「京極夏彦『怪』」の一エピソードが元になっているからだ。
 そのドラマ「福神ながし」には中禪寺洲齋が登場した。〈百鬼夜行〉シリーズ主人公・中禅寺秋彦の先祖であり、武蔵国中野村で武蔵晴明神社を守っている。演じたのは「新・必殺からくり人」で高野長英役を務めた近藤正臣である。ドラマに出るのだからこっちの「葛乃葉」にも当然出る。出るどころか、ものすごく活躍する。これも詳しくは書かないほうがいいだろう。2023年に刊行された長篇『鵼の碑』では、〈百鬼夜行〉と〈巷説百物語〉、両シリーズの交わりが描かれた。それと同じようなことがまた起きるのか、と予想している人は期待してくれていいと思う。最後はとんでもないことになる。たぶん読者の予想を遥かに上回るようなことが起きる。
 やはり物語はこれだけ盛り上がったほうがいいと思う。これで終わりかという寂しさもあるのだが、これほどのものが読めたという興奮が遥かにそれを上回った。私はこのあとシリーズをもう一度読み返すと思う。一度ではなくて、二度、三度、何度も。
 ちなみに作者の次回作は書き下ろしで、2024年の八月納涼歌舞伎で台本化・上演されることを前提として構想された『狐花 葉不見冥府路行』である。もう明らかにされているからいいだろう。主人公は中禪寺洲齋なのである。しかも『了巷説百物語』完結直後の時代が描かれるらしい。まだまだ物語は続くわけだ。忙しくて仕方ないなあ、これは。


書誌情報

◆あらすじ
<憑き物落とし>中禪寺洲齋。
<化け物遣い>御行の又市。
<洞観屋>稲荷藤兵衛。
彼らが対峙し絡み合う、過去最大の大仕掛けの結末は――?
文学賞3冠を果たした<巷説百物語>シリーズ堂々完結!

下総国に暮らす狐狩りの名人・稲荷藤兵衛には、裏の渡世がある。凡ての嘘を見破り旧悪醜聞を暴き出すことから<洞観屋>と呼ばれていた。ある日、藤兵衛に依頼が持ち込まれる。老中首座・水野忠邦による大改革を妨害する者ども炙り出してくれというのだ。敵は、妖物を操り衆生を惑わし、人心を恣にする者たち――。依頼を引き受け江戸に出た藤兵衛は、化け物遣い一味と遭遇する。やがて武蔵晴明神社の陰陽師・中禪寺洲齋と出会い、とある商家の憑き物落としに立ち会うこととなるが――。

《目次》
戌亥乃章 於菊蟲
申酉乃章 柳婆
午未乃章 塁
辰巳乃章 葛乃葉 或は福神ながし
寅卯乃章 手洗鬼
子丑乃章 野宿火
空亡乃章 百物語

作品名:了巷説百物語
著者名:京極夏彦
発 売:2024年6月19日(水) ★電子書籍同日配信
定 価:4,400円(本体4,000円+税)
頁 数:1152頁
体 裁:四六判上製 単行本
装 丁:片岡忠彦(ニジソラ)
I S B N:978-4-04-111720-0
発 行:KADOKAWA
初 出:「怪と幽」vol.007(2021年4月刊)~vol.0015(2023年12月刊)
※「子丑乃章 野宿火」「空亡乃章 百物語」の2篇は書き下ろし

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〈巷説百物語〉シリーズ既刊紹介

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『巷説百物語』(角川文庫/2003年6月25日発売)
https://bookwalker.jp/deef0917be-9e9f-421d-ae6e-24258e032155/

『続巷説百物語』(角川文庫/2005年2月25日発売)
https://bookwalker.jp/de960aeb05-c234-4e48-b053-7dea9288b028/

『後巷説百物語』(角川文庫/2007年4月25日発売)
★第130回直木三十五賞受賞作
https://bookwalker.jp/de5417a30a-b9cb-45a3-a938-bd2a0b9e10c5/

『前巷説百物語』(角川文庫/2009年12月25日発売)
https://bookwalker.jp/deff950c7f-6f7e-47d1-8f10-c79ba99c145f/

『西巷説百物語』(角川文庫/2013年3月23日発売)
★第24回柴田錬三郎賞受賞作
https://bookwalker.jp/de0d041e2a-b375-45cb-b7e1-c51cdc2f36d5/

『遠巷説百物語』(角川文庫/2023年02月24日発売)
★第56回吉川英治文学賞受賞作
https://bookwalker.jp/dea04df0bc-e70a-40fb-8a96-e4318d0fb190/


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