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陽キャとうつと怪談ダイエット

 「ねぇねぇ、私太ったよね」

気まづそうに私から目線を逸らそうとする旦那の顔をがっと掴み、もう一度問うと、

「あ〜、まぁほら、動いてないしさ、少しくらい仕方ないよ」
と気まずそうな返答が返ってきた。

少しくらいなら仕方ない。
うんうんそうだね、私だって気にはしないさ、少しくらいなら

ところがどっこい、少しくらいなんてかわいいレベルではないくらいに最近の私はどんどん太ってしまっているのだ。

「旦那にここまで気を遣わせるとは、、、」という情けない気持ちと、「くそぉ、気を遣いやがったな、、、」という悔し恥ずかしい気持ちと、「やっぱりな、、、」というぐさっと胸にくる気持ちと。

複雑に絡みあったこのなんとも言えない感情をどうしていいか分からなくなり、旦那に頭突きでぶつけてしまった。(最低)

うつになってすぐに処方された薬を飲んでぶくぶくと太ってしまった。

当初は全く気にしていなかった(というかそれどころではなかった)が、ここ最近自分の体型の変化に目がいくようになってきた。心にゆとりが出てきたと言えば聞こえはいいが、気づいてしまったらもう見て見ぬふりし続けることなんてできない。

先生に相談すると「薬のせいもあるかもだけど、動いてないからね。今はそっちより心の安静を優先しましょう」とぐぅの根もでないお言葉をいただき撃沈。

「心の健康が優先、そりゃそうだ」と、うつになってもなお体重のこととか気にしちゃってる自分を恥じながら一度は納得したものの、食べてないのに太る太る。寝ながら食べてる?と自分を疑う程自己ベストを現在進行形で楽々更新中。

いよいよこの恐ろしさに耐えきれなくなり薬を飲むのを止めてしまった。本当は勝手な判断で止めるのはもちろんよくないと分かってはいるけれど、看護師だった母親の影響もあり、体に薬を入れることに対してそもそも抵抗感が強かったのも要因だ。

処方されたどの薬もあまり体に合わなかったというのもある。太ったり、悪夢をみたり、朝全く起きれず倦怠感がひどかったり、、、その割に(私が信じてなかったのも原因かもしれないが)精神安定の効果はあまり感じられなかった。薬を定期的に飲む習慣もなかったからすぐ飲み忘れてもしまう。

そんなんだから「薬を取ること=ストレス」になってしまうまで時間はかからなかった。だからいけないこととは分かりつつ、薬の服用を徐々にやめていった。

そしたらあら不思議!体重も元通り!

になると思ったから。

だがしかし、現実はそんなに甘くはなかった。

まーーーーーーーーったく痩せない。
なんなら体重計に表示される数字は順調に大きくなっていく。なぜ、なぜなんだ、、、、。

「30歳超えるとほんとに痩せづらくなるよ」なんて言葉を聞いたことがあったけど、当時ぴちぴち(?)だった私はその言葉を「え〜大変〜、そんなの困る〜」と他人事のように聞き流していた。のに、まさかうつになってこんな形でその言葉の重みを受け止めることになるとは。

もうこれ以上自己ベストを更新できない!と焦った私は、思い切って朝ランニングをすることを決めた。運動量が減れば当たり前に筋肉量が減ってしまって消費カロリーも低下する。ジムには週1で通っているがそれだけの運動量では足りないから、運動量を増やそうと考えたのだ。

本当は筋肉量を増やすなら家で自重トレーニングの方がいいのだろうけれど、朝起きて太陽の光を浴びることも今の私にとっては大切だと考えランニングすることを選んだ。

うつになる前から体を動かすことは好きだったこともあり、そこまでハードルを感じずに週2〜4のペースでとりあえず3ヶ月間強継続することができている。

ただ飽き性の私は、同じ景色、いつも聞いてるお気に入りの音楽を聴きながら淡々と走ることに最初の1週間目で飽きてしまった。このままでは続かない、、、と考えた時に思いついたのが、YouTubeで怖い話を聴きながら走るということだ。

突然何を言い出すのかと思われた人もいるかもしれないが、私は大の怖い話好き。看護師をしていた母親の影響もあり、物心ついた頃から私の周りは怪談で溢れていた。

そんな怖い話好き歴=ほぼ年齢の筋金入りの私は、業務中でもイヤホンで何か聴きながら仕事をしてもいい環境だったこともあり、休職前はずっと怖い話を聴きながら仕事をしていた。(これを話すと大体みんなには引かれるけれど)

怖い話は良い。

まず話し手が比較的淡々と話してくれるからか、ぼーっと聴くことができ集中ゾーンに入りやすくなる。

話し手の人たちの話し方も大変勉強になる。怖い話はその怖い出来事が起きた際の前後関係や登場人物の関係性、感情のゆらぎなど、話す情報ひとつでゾッとする怖い話にも、反対に全く怖くない話にもなってしまう。また話の情景をどれだけ聞き手に想像させられるかが肝になってくるから、話し手が余計な個性をだしすぎないところも聞き心地がいい要因なのかもしれない。

最後に話に完璧なオチや正解がないものが多い分、聞いた後に自分で考える余白が残る。亡くなった人の話だからこそ、誰も正解を知らないからこそ、自分も想いを馳せることができるのだ。こんなロマンのある話なかなかないのではないだろうか。

なぁんて語った日には友人3人くらい失いそうな気もするけれど、とにかく怖い話は面白いのだ。人間の欲とか憎悪とか、そして愛とか。ゾッとする話の中にはいつも人生の教訓が詰まっている。

聴く人によって解釈が変わる話はそれだけで奥行きがでるし、聞けば聞くほど話の解像度が上がっていく。あ、ダメだ止まらなくなってる、そろそろ止めないと。

とにかく朝ランの時に怖い話を聞くようになってから、私は朝起きて走りにいくのが楽しみになった。だから3ヶ月以上安定したペースで継続できているんだろう。

朝の清々しい日差しを浴びながら怪談って、チグハグなかんじだけれども朝だからこそ怖い話が聞けるというのもあるし。

まだこの怪談ランニングの成果は数値として見えてはこないけれど、これで痩せたら怪談ダイエッターとして活動でも初めてやろうかしら。なぁんてしょうもないことを考えながら、今日もランニングに精を出すわけです。

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