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どうしようもなくなったときは本を読む

暗い本を買っている。
たとえば、最近買った本は『「死にたい」とつぶやく』だ。

ただ、ふだんからこういう本を読むわけではない。
さすがの私も気が滅入ってしまう。
じゃあいつ読むのかというと、もうどうしようもないほど落ち込んでしまったときである。

私は生まれながらにネガティブなタチで、定期的にすべてを投げ出して実家に帰りたくなる欲求に襲われる。
そんなときに本棚の奥から暗い本を引っぱり出してきて、読む。
暗い気分のときに暗い本を読んで、ずぶずぶと沈んでいくのだ。
そうして全身が沼に沈みきったころ、頭の先から蓮の花が咲いたようにして気持ちが少しラクになる。

私が『「死にたい」とつぶやく』を読んだのは、仕事で上司との関係がうまくいっていなかったときである。
上司に仕事を任せられたので張り切って仕事をしていたら、後々から上司のチェックが入り、自分の仕事があれよあれよという間に修正され、いったいどこまでが自分の仕事でどこからが上司の仕事なのかがわからないという混沌とした中で、「もうほんとまじ無理」と仕事を休み布団にくるまりながら、ツイッターで「死にたい」と検索するくらいどうしようもなかったときである。

そんなときに、そういえばそんな本を買っていたな、と本棚から引っ張り出してきたのが『「死にたい」とつぶやく』だった。
そうしてこの本を読んで、こんなにもたくさんの人が「死にたい」と思っているのか。それなら俺がそう思うのも無理はないな、と安心した覚えがある。

ようするに薬である。昔は一家に一箱常備薬があった。
(熱が出たりすると、親がどこからともなく引っぱり出してきたあの箱である)
このメンタルの時代には、一家に一冊暗い本である。

どうしようもないときにポジティブな言葉なんか聞きたくないのだ。
友人で例えるなら、悩みごとを相談してるときにポジティブな正論ばかり投げ返してくるフミヤである。
こっちは正論なんて求めてない。ポジティブであればあるほど弱った心に突き刺さる。
沼から救い出してほしいんじゃない。一緒に沈んでほしいだけなのだ。

ただ、こんなことを友だちに求めれば、「あいつはとんでもなくめんどくさいこじらせメンヘラ野郎だ」と吹聴されて、周りから人がいなくなってしまう。
そこで本である。
本はいい。何も言わずに寄り添ってくれる。
今の自分と似たようなエピソードが書いてあれば、「自分だけじゃないんだ」と安心できるし、自分以上にどうしようもない状況が書いてあれば、「俺の悩みなんて大したことないのかもナ」と心が軽くなる。
そうして読み進めているうちに、いつのまにか時間がたっていて、締め切った窓から朝日が漏れ出してくる。

私は今日も不気味なニヤケヅラで暗い本を買い求める。
そうして棚いっぱいに刺さったそいつらを見て、「これでまたどうしようもなくなっても生きていけるな」と、トボトボと歩みを再開するのである。


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