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忙しくなる

7月にチェンマイ移住1周年を迎えた。盛大に祝おうと思ってはいなかったが、海外移住となるとそれなりに大きな出来事であったので意識するべきであるが、それを忘れるほどの多忙で、妻と二人、落ち着く間もなく8月の下旬にまで来てしまった。しかも、その忙しさからか私は倒れ、1週間床に伏してしまっており、いろんなことが落ち着かないのでとりあえず、セラピーがてら文章を書こうかと思い、今に至る。

大病を患う

この時期のチェンマイの空は変わりやすく、私の胃腸のようであるとしみじみしていたら、行きつけのカフェの中でも高いメニューのソーセージセットを豪快に食べたら、その数時間後にはキリキリと痛み出した。その夜は一睡もできず、朝には立ち上がれなくなってしまったので、二人で分担している仕事を完全に妻に任せ、私は文字通り数ミリも動けずにベッドに横たわっていた。妻が帰ってきたときも同じ場所に同じ体勢でいたので、これはやばい、と病院に連れて行ってくれた。

これまでタイの病院に何度かかかったが、どの科も対処療法的であり、これまで日本で過ごしてきた私たちにとって不思議であった。日本であれば事細かに、いつからか、その時何をして何を食べ、何度トイレに行き、何度リバースしたかまで聞かれるが、こちらタイでは今ある症状を聞かれ、医師が器具を使って確認し、その症状を治すために薬を飲んでね、毎日こうしてね、という。耳鼻科に行ったときも同様。ちなみにその耳鼻科は耳鳴りが1週間やまず、聞こえづらかったのでお腹が痛くなる1週間前にいったのだ。

そして最近はめまいの頻度が高いので、毎食薬を飲み、通院することになってしまった。頭に血を巡りやすくし、めまいがおこりづらくするものらしい。私は無保険なのでものすごく高くつくが、生活に支障をきたすのでしょうがなく全額実費である。払える金額であるものの、行くたびに専門書2冊分ぐらい買える札束をなびかせないといけないので、日々、倒れそうになりながら稼いだお金がないとたちまち払えなくなってしまうという悪循環の只中にいる。

正社員に。世界でも珍しい仕事をすることになる

なんで暇そうに日記を書き続けてきた私が倒れたのか。その話をしよう。
これまでは売文業や子供たちに勉強を教える仕事をして食べてきていたのだが(執筆というとなんかかっこつけてる感じがしてしまうので私はそう呼んでいる。そして本を書いて自分を切り売りしてるわけでもないので、もしそこまでたどり着いたら執筆業と呼べるようになりたい)、売文業の中でAIの会社から引き抜かれ正社員となった。AIを「使う」会社はたくさんあれど、AIを「作る」会社の社員となってしまったのだ。AIについてエンジニアではなく、ビジネス職ができる人が市場に少ない中、ライターとしてかなりの知識を知り得たからか、社員としての声をかけてもらったという感じだと思う。

需要がありえない速度で増えている中で、受け入れ側としては業界的に見ているとパンクしている感がある。結局AIがさらに発展していくのに必要なのはそれを動かすための人間の手であり、頭なのである。この話はまたどこかでしたい。AIのためにどんだけ人間が働かされているのだ、まさにAIの奴隷になってるのでは、とか思ってしまうが、AIは人間が何かの作業を手放して楽になるための装置であり、私たちはその準備をしているだけなのだ。そう考えると人間のエゴにより奴隷になっているだけなので、AIは中世の時代でいう「ムチ」なのだ、と思ってしまう日もある。


生成AIが使えることも大事だが、AIが何にどうやって使われるかを知ることが大事な局面。もしAIの会社へ転職したい方はこれを意識すると良いだろう。AI開発、と調べると芋づる式でいろんな知識が私の書いた記事や他人の書いた記事上に現れる。あなたにとってはみんなが他人だろうか。そんなことは気にせず、調べてみて損はないだろう。脈絡のない話ばかりが私の文章の魅力である。

脈絡のない人生なので、無職になったというテーマでずっと日記を書いていたが、正社員になったせいでウソをつくような感じになるかもしれない。今度からテーマを変えないと。

ビッグバンセオリーを全シーズン見終える

病状が少し良くなると、体を起き上がらせるのはきついが、横になって何かをすることはできると気づき、本を読むのと動画を見るのを繰り返していた。
ビッグバンセオリーの最終シーズンがAmazonでついに配信されたので、一気にみた。英語のリスニングがその間だけすらすらできるようになる。もちろん専門用語が多すぎるドラマなので日本語の字幕は付けておく。

この物語は結局は「彼」の物語であったのだ、と先輩には以前から言われていたが、その通りであった。あの感動的だけれども、あっさりとした終わり方は若干寂しさがある。もっと物語らしい終わらせ方はないのだろうかと思ってしまった。

ビッグバンセオリーはシーズンの終わりが近づくと焦って物語を進めようとするところがあるが、今回は違った。「彼」の物語の終着へと確実に物語が進められた。
私はビッグバンセオリーの各シーズンの中盤が好きなのだ。彼らの日常が好きなのだ。その中で若干の変化が生まれる感じ。シーズン終盤のあの人生の焦燥感を表すようなストーリーの進め方が気に食わない。でも人には各シーズン終盤のように、いきなり人生が変わることがある。それは意図して動かして起こったものであったり、逆に偶然のものでもあったりする。日々と人生の急展開を表すあの構成は素晴らしいとは思う。でも私は日常を緩やかに過ごしたい。


ビッグバンセオリーを見ている期間は妻は機嫌が悪くなる。普段何かにドはまりせずにいつでも妻の話し相手になるはずの私が、集中してしまっているからである。

人生とは何があるかわからない。突然病気になるし、突然めまいがするし、白い服を洗濯したらむしろ色がついて汚くなってしまうとか。あ、無意識に悪い事ばかりが起こると書いてしまっている。でも、こんな長文をかけるまで回復したので良しとしよう。今日は大学院の授業が終わったら日本食でも食べに行こうかな。


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