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愛がなんだ/角田光代(書籍レビュー)

どうも。
Kabaddiです。

久々の書籍レビュー、今回はこちら。

愛がなんだ/角田光代

『愛がなんだ』(あいがなんだ)は、角田光代による恋愛小説である。2003年3月14日にダ・ヴィンチブックス(メディアファクトリー)より刊行された。ひとりの女性が恋人とは呼べないし、決して好きではないけれど、惚れてしまった男性への一途な片思いの模様を描いている

男同士でいると、ほとんど「恋」だとか「愛」という話をしない。
日常的に作曲とか作詞をしているこっちとしては、できるだけ恋や愛について考えていたいと思っているので、実は身の回りのその辺りの話は聞きたいとか思っているのだけれど、だいたいの友人はその辺を話してくれない。

いつのまにか、目を離したら彼女ができていたりして(しかも言うに事欠いて「取引先の子」とか言う)、さらにしばらくして飲みに誘うと「結婚する、いい年だし」とか言い出す。

いわゆる世間的なライフステージがどんどん離れていく。
そのことが悔しいわけでも、優劣を論じるわけでもなく。
本当に知りたいのは、「その彼女であり、妻になろうとするその女性に恋に落ちた瞬間はいつだったか」だとか「思い出に残っているお店はどこか」だとか、「恋」や「愛」の部分なんだけれど、と生ビールのジョッキの滴をおしぼりで拭きながら思う。

それを語らずに「彼女」が「妻」(挙句、「嫁」などと言うから閉口する)に形式的に変化することだけを告げ、後は角ハイボールを傾けながら会社がどうとか新聞がどうとか。

そいつじゃなくとも同じくらい得意顔で語れそうなことを熱を帯びて聞かされる。

そうじゃない。
そうじゃなくて、あなたがあなたとして、ひとりの人間としてどうやってその女性だったりパートナーだったりに惹かれ、今なお寄り添っているのか、そう言うことが聞きたいんだよなあと思いながら、ゲソの横のマヨネーズに七味をかけて世界一おいしいディップソースをこしらえたりしている。

別に惚気話が聞きたいとかそういうことでもなく。
関係性を聞きたいだけなんだけれど。

「愛がなんだ」(角田光代)では、三角関係ともつかない、片思いを含む男女関係に没頭し、暴走するひとりの女性が克明に描かれている。

とりわけ、その関係性について語る箇所に胸打たれた。

マモちゃんの恋人ならばよかった、母親ならばよかった、きょうだいならばよかった。もしくは、三角関係ならばよかった、いつか終わる片恋ならばよかった、いっそストーカーと分類されればよかった。幾度も私はそう思ったけれど、私はそのどれでもなくどれにもなり得ず、そうして、私とマモちゃんの関係は言葉にならない。私はただ、マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。

「好き」にもいろいろある。
それは人によっても違うし、関係によっても違う。

そしてそれは時を追うごとに変化していき、いつのまにか言葉で言い表せなくなってしまう。

「彼女」が「嫁」になるそのとき、既にその関係には名前もなく。ないからこそ説明ができないのかもしれない。
だからこそ、説明ができるうちに恋とか愛の話がしたい。

角田光代を読むとどうにも文章に熱がでてしまう。

今夜はこの辺で。

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