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現代社会における違和の解消。【ポスト資本主義】【オルタナティブ】についての可能性を模索…

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現代社会における違和の解消。【ポスト資本主義】【オルタナティブ】についての可能性を模索していきます。

最近の記事

現代社会における「衣服」に希望はあるのか?siki 5周年企画 talk session「永続的プロダクト」の価値について再認識を試みる

この記事の概要代官山で「永続的プロダクト」としての衣服や道具を提供しているsikiがオープンから5周年を迎えた。それに当たり、ディレクターの富樫氏にお話を伺った内容をアーカイブとしてここに記したい。 富樫ディレクター × m.s.aのセッションm.s.a まず個人的には2016年6月の履歴があるとのことだが、恐らく4月くらいから通っていた。当初は、T/fのガウンが気になって試着×4〜5回を繰り返しようやく購入。それから「身体性に基づく衣服のレイヤリングシステム」という概念を

    • デジタル全体主義を乗り越えるために

      フィルターバブルに閉じ込められた私たちオンライン環境がインフラと化した世界に生きている我々は常時オンラインに接続された状態におり、オフラインとオンラインの境界線が溶け合った現実を形成している。 その様な現代においては、主体性を伴った主観的な選択をするということが相対的に希薄化している。「自分はこの選択が良い」と実感に基づいた判断の機会が減少しているのだ。会ったこともない誰かがネットワーク上で良いと言ったコト、モノ(果たして本人が実感に伴って良いと言っているのかは別)に基づい

      • 「ブルシットジョブ」からの決別と「社会的共通資本」

        ブルシットジョブとは何なのか社会に必要不可欠な仕事に従事する労働者という意味で、エッセンシャルワーカーという存在が注目される様になった。テレワークなどに代替することが出来ずに感染リスクに晒され、必要不可欠な仕事なのに低賃金であることが多い。一方で、止まってしまったとしてもすぐには影響を及ぼさない「なくても困らない」仕事の多くはテレワークなどに代替可能であり、尚且つ賃金は高い高給取りだ。ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)の社会人類学教授のデヴィッド・グレーバーは、こ

        • 「システムへの幻想」と「凡庸な悪」の蔓延から脱出するために

          言語の共通理解が塗り替えられる時代にコロナ禍に突入した2020年、Beforeコロナ期に聞くことも、使用することも希少もしくは皆無であった言葉が蔓延し、言語の共通理解という前提が塗り替えられている訳であるが、そのうちの一つがニューノーマルという言語である。新常態と訳され、「かつては異常とされていたような事態がありふれた当然のものとなっていること」を意味しているが、元々は世界金融危機の金融上の状態を意味する表現であった。所謂、広い意味での「危機が潜在的・顕在的に存在し続けている

        現代社会における「衣服」に希望はあるのか?siki 5周年企画 talk session「永続的プロダクト」の価値について再認識を試みる

        • デジタル全体主義を乗り越えるために

        • 「ブルシットジョブ」からの決別と「社会的共通資本」

        • 「システムへの幻想」と「凡庸な悪」の蔓延から脱出するために

          私たちは、なぜ物質主義からの脱却が必要なのか?

          所有→共有への変遷資本主義は人間の欲望に働きかけ、消費に駆り立てることで発展してきたということは言うまでもない。しかし、現在においては「共有型経済」という新しい経済体制に基づいた技術、サービス、エネルギーなどが身近に台頭しつつあり、その根底には「所有」→「共有」という概念の変遷が起きていると前回の記事で述べてきた。 今回は、資本主義影響下における価値観の変遷と、「共有」という概念の根底にフォーカスし、深めたい。引き続き、ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』の内容を

          私たちは、なぜ物質主義からの脱却が必要なのか?

          限界費用ゼロ社会の可能性

          資本主義の衰退から新しい経済社会へコロナ禍において、私たちが暮らすシステムそのものや地球環境に関しての疑問を抱く契機となったという事は、前回の投稿に記した通りだ。では実際、人類はどんな未来を創造していくのか。それを知る手掛かりとなるのが、ドイツのメルケル首相のアドバイザーを務めるヨーロッパを代表する文明批評家ジェレミー・リフキンが2015年に出版された著書『限界費用ゼロ社会』だ。 「資本主義の稼働ロジックは成功することによって失敗するように出来ている」という資本主義そのもの

          限界費用ゼロ社会の可能性

          地球環境から考えるポストパンデミック資本主義

          資本主義への挑戦と危機我々が生きる「資本主義」の社会とは何なのか。特に2008年のリーマンショック以降、近年、多く耳にする機会がある「資本主義の行き詰まり」という言説について、否が応でも考えざるを得なくなったコロナ禍の状況。 低福祉負担、自己責任をベースとし政府が市場に干渉せず放任するという市場原理主義の世界、それこそが資本主義である。ところが新型コロナウイルスは結果として、この資本主義のシステムそのものに対する挑戦となって未だ世界中に身体的、心的、経済的に多大な影響を及ぼ

          地球環境から考えるポストパンデミック資本主義