見出し画像

現代社会における「衣服」に希望はあるのか?siki 5周年企画 talk session「永続的プロダクト」の価値について再認識を試みる

この記事の概要

代官山で「永続的プロダクト」としての衣服や道具を提供しているsikiがオープンから5周年を迎えた。それに当たり、ディレクターの富樫氏にお話を伺った内容をアーカイブとしてここに記したい。

画像1

富樫ディレクター × m.s.aのセッション

m.s.a
まず個人的には2016年6月の履歴があるとのことだが、恐らく4月くらいから通っていた。当初は、T/fのガウンが気になって試着×4〜5回を繰り返しようやく購入。それから「身体性に基づく衣服のレイヤリングシステム」という概念を知り、アイテムを一つずつ揃えてその概念に段階的に近づいていくプロセスそのものにも高揚感を感じていた。

富樫ディレクター
提示の仕方は難解かも知れないが、あくまでその概念は「心地良い状態」を提供するための方法論に過ぎず、決して難解なものを理解したうえで身に纏わなければいけないというものではない。「なんか雰囲気が良いから、良いよね」という感覚で良い。

m.s.a
世の中にあるものは、強いポジションや記号を打ち出す事、またはそのカウンターとしての立ち位置をもってして成立していることが多い。その様な選択をしている消費者に、気付いて頂く難しさはあるのではないか?

富樫ディレクター
ある種、そういった消費者がいる事で経済が成り立つという事もあるので全く否定はしない。
例えばIndustrial rockやBjörkなど海外には、多様な要素が内包された世界観を提示しつつ商業性が伴って成り立っているという事もある。消費は「提供される側」が常に選択権を握っているわけだから「提供する側」としての課題をクリアしていきながら進めていくしかない。この5年間で、そこをどう解消していくのかという事を繰り返してきたが未だ未だである。

画像2

m.s.a
「違和の解消」という概念を知ったのはsikiと出会ってから。洋服においての言語化できていなかった違和というものを提示されたことから、それを契機として日常におけるあらゆる違和という事に気付ける様になった。プロダクトそのものだけでなく、世界の認知に関わることまでプロダクトを通して提示頂き享受してきたという実感がある。

富樫ディレクター
顕在の領域でプロダクトされているものが多い。例えば、「トレンド」や所謂「おしゃれな人」と思われるようなものを作り続けているのがファッション産業。sikiが根本的に異なるのは「潜在の領域」を出発点としプロダクトという顕在に具現化していくという事。概念として頭でわかっていても方法論が伴わなければ、この一連のプロセスを成立させるのは困難である。違和はそれを反転させれば心地良さに変わる。「消費は即ち生産である」というモチーフがあるが、消費者はある場面においては生産者である。消費を通じて其々の置かれている環境においてのエネルギーや生産に転化していくということに繋げて頂ければ幸い。

m.s.a
サスティナブルという概念が多く打ち出されてきているが、「永続的プロダクト」との違いはなにか?

富樫ディレクター
単純にマーケティングの用語であるか否かの違いである。サスティナブルは記号として使用されれば、マーケティング的に消費を作り出しやすい。永続的とは、厳密な意味で永続ということではなく例えば30年前の衣服を未だに高揚感を伴って着ることが出来ればそれは永続的であると見做されるであろう。

m.s.a
5年前に買ったものが、未だにフレッシュさと高揚感を伴い着続けることができる。フレッシュさとは単純に新しくリリースされたものだけに該当するという事ではないという気付きがある。

富樫ディレクター
永続的プロダクトを謳うからには5年という時間軸は超えていける。概念だけが独り歩きするのではなく常に自分たちの提供しているプロダクトと概念が一致している状態であり続ける。

m.s.a
シンプルとミニマルの違いとは何か?

富樫ディレクター
過剰な要素が多い現代に於いて、シンプルであるという概念は悪い事ではない。ただ、シンプルであるだけではどこか物足りなさがある。過剰でも無く、過小でもない、過不足無くそこに高揚感が内包されている状態をミニマルと定義付けている

m.s.a
「対象に求めれば高揚感を得られ、そこに佇むだけであっても違和がない、他を阻害しない」という概念についてについて詳しくお聞きしたい。

富樫ディレクター
例えば、桂離宮は設計としての美意識が反映されているが、具体的に「〇〇だから美しい」と理解し言語化するものではない。行ってみたらそこは心地良い場所であると感じることから始まり、それだけでも充分に満たされるし更に知ろうとすれば設計における美意識を求める事が出来る。侘び寂びという概念はそういうことである。sikiのプロダクトにもそういった要素を内包させている。

m.s.a
「批評的な眼差しのもと、主体的に振る舞う」という事がオルタナティブであるという富樫さんの言葉は自分の中でモチーフとなっており、立ち返るべき指針となっている。sikiのプロダクトを媒介としたイデオロギーは、混迷を極める現代社会の希望であり、ニュートラルになれる希少な場所を提供して頂いていると認識している。

富樫ディレクター
それはお互い様である。リアクションがあってこそ成り立つものであるし、それがあったから節目としての5年を迎える事が出来た。実に多様な方々との接点があり、置かれている状況も様々ある。その全てを包括していける様、ニュートラルな場であろうとしているし、何より自分がその方が心地良いという事が前提としてある。希望となり続ける様続けていくのみである。

総括

sikiが提供してくれるアイテムや概念は、いつであっても我々に高揚感をもたらし続けてくれる。刹那的な刺激や快楽に満ちた現代社会、常に情報及び「提供する側」の過多という中で、受け手である我々はどこか疲弊感を抱えており、「心地の良い高揚感」というものを諦めてしまっている事もあるであろう。我々自身が違和を解消し、心地の良い状態を求め続ける姿勢を持つ限り、sikiは我々にとっての「永続的な」希望であり続けるのだ。

画像3






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?