マガジンのカバー画像

最期を支える人々  −母余命2ヶ月の日々−

53
運営しているクリエイター

#訪問介護

2015.7.23 「24時間、駆けつけます。」

2015.7.23 「24時間、駆けつけます。」

退院を2日後に控え、夜間対応型訪問介護の随時訪問を行う会社と契約を結んだ。

 ひとりで寝ている母に何かあったとき、本人が通報し、対応がされる体制が必要だった。いずれ、排泄に介助が必要になったときの準備でもあった。本人に意識があるうちは、「排泄の失敗」と「安易なおむつの使用」は避けたかった。それは生きる気力を奪うと思うからだ。

 通報は、固定電話に接続された送受信機を通じて行う。ボタンを押すとオ

もっとみる

2015.7.30 「私、来ました。」

 自宅で過ごしはじめて5日間。短い間にも母の様子は少しずつ変化していた。まぶたがむくんで開けづらくなったこと。手のむくみで、薬をパッケージから取り出せなくなったこと。ベッドから食卓への歩行時に転倒したこと。じわじわと症状は進行していた。

 そんな生活を支える訪問介護はほぼ毎日毎食時にお願いしていた。週に19回のシフトを、3社・18名のヘルパーが支えてくれた。

 その中に、同居していた叔母が生活

もっとみる
2015.8.5 「頑張っているのに。」

2015.8.5 「頑張っているのに。」

 抗がん剤の可否が決まる通院を控え、私は焦っていた。あまり食が進まないので、「お母さん、もっと食べなきゃ」と言ってしまった。母は「頑張って食べているのに。」とつぶやいた。

 母の動作能力は、少しずつ落ちていた。ベッドから数歩先の食卓まで歩行器を使うようになった。トイレまで歩けず、ベッド横にあるポータブルトイレを使い始めた。そうめんが喉につかえて、吐き出してしまった。

 それでも母は精一杯踏ん張

もっとみる