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『時間』エヴァ・ホフマン著/早川敦子監訳を読んで私が旅をする理由を考えた。

高校にあまり行かなかった。イヤホンで音楽を聴きながら自転車で小一時間ほどの海に行ったりフラフラしていた。17歳の頃だったか、正月に家出のようなことをして東京の立川あたりに行って三日間ぐらいボロいユースホステルに泊まったのが最初のあてのない旅だった。クラスに馴染めなくて学校に行かずにバイトしていたけれどそこも息苦しくて、それをどうにかするのも面倒で手っ取り早く逃避する手段が日常からの幽体離脱のようなプチ家出だったのだと思う。

その後なんとかまともに見えるような社会生活を送れるようになってからも、旅をしたくてどうにも我慢できなくなる症状は定期的にあらわれた。

結婚した今はなかなか叶わないから過去の話になるけれど、ひとり旅がよかった。観光したいわけじゃないから目的地も東北にある琥珀博物館とか鳥取の田舎の日帰り温泉とか、よくもまあ子供っぽい変な格好の女が一人でビジネスホテルに泊まれたな、と思うようなところばかりいつも選んでいた。旅先でも、美味しいものを食べたり景色を楽しむわけでもなくホテルの部屋でテレビを見ながらデパ地下デリをモソモソ食べて、あとはぼんやり考え事をするでもなく過ごすだけ。

行き先はどこでもいいのだ。電車やバス、船に乗っている時間が長ければ長いほどいい。その方が日常から遠く離れられる気がして、何かを先延ばしにできるような錯覚に安心できた。

身体と同様に主観の領域では、部分的な死という代償によってのみ、時間の否定がなされる。この意味で時間の全能感を獲得する試みに勝ち目はない。                                                                 時間・第二章    時間と心より抜粋

唐突に今回取り上げた本から抜粋するけれど、この圧倒的な決定事項に虚しく抗いたくて私は旅をしたがるのかもしれない、と読みながらはたと思った。日常から離れて旅をしている間は、ひとつの結末へ向けて流れる時間に猶予をもらえるようで、その時だけは子供の頃から悩まされている死への恐怖も見えない箱の中にしまっておけた。

永遠を願うほど生きることに意味や価値を見出だしているわけではない。ただ私という意識がプツンとなくなってしまう事が漠然とこわい。私の死後も時間は流れるだろうけれど、じゃあ宇宙が終わりを迎えたら?時間もなくなる?永久に?

そんな、無知ゆえ答えも出ず頭がおかしくなってしまいそうな事をしょっちゅう考えている私にとって、エヴァ・ホフマンのこの本はほとんど救いと言ってもいいようなものだった。原文がそうだからなのか、文学的な言い回しも多くつい感傷的になって号泣してしまう文章もありながら、ADDについて語られる第四章の『障碍ではなく認知のスタイル』、という言葉に目から鱗だったりするような専門的な切り口もあり、時間をテーマに五人の訳者が各章を分担したこの本はこちらの知識欲を満たしてくれるだけでなく深い感動を与えてくれる内容だった。

旅の始まりは大抵夜明けすぐの早朝だ。駅に向かうバスの窓から薄紫に明けていく空を眺めている、その時から時間の流れ方がいつもと変わっていくのを感じて毎回静かに意識が高揚していくのを感じていたのを思い出す。しがらみか何なのかわからないけれど体に重く纏わりついているものをほどいて、日常から浮き上がる感覚。こうして書いている今、それが泣くほど恋しいことにも気づいて辛い。

旅先では、この本が指すところの外的時間の法則をほとんど気にせず、草地に放たれたヤギかなんかみたいに思うまま過ごすことが許される。もちろん柵はあるけれど、ひたすら目の前の草を食んではぼんやりとうろうろしていても何の咎めも受けないし、死すら柵の外の出来事だ。

ただ、その旅も無限に続けられるものじゃない。お金や仕事の制約もあるし、それにずっと幽体離脱みたいな状態だとたぶん精神に異常をきたすんじゃないだろうか。

だから、旅は終わる。家に帰れば楽しいだけではないながらも家族や友達との平穏な日々が待っている。そして、意識的にか無意識か、日常のストレスの積み重ねからかはわからないけれど、また旅をしたくなる。時間に追われる一日の終わりに、ただただ死ぬまでの尺を無益に浪費しているような焦りで身がよじれるほどもどかしくなる。でも。

愛する人達がいる今、そして失くしたものもたくさんある今、時間の流れの絶対的な力の前で茫然と立ち尽くしながらも、それはそういうものなのだからと横目にしつつ日常から離れずにいられる理由は、第二章に出てくるライナー・マリア・リルケとの散歩中にフロイトが語ったという言葉が全てだと思う。

自然や人間──愛する者たちの顔──の儚さこそ、その存在に深い意味を与える。生きとし生けるものは死ぬ運命にあるとわかっていればこそ、私たちはそれを大切にするのだ

これを読んでさっぱりとした気持ちになった、その次の瞬間にはやっぱり宇宙の終わりに怯えて布団を被ったりするわけだけれど。そんな時にも、この本のお気に入りの部分をつらつらと反芻すれば、眠ることができるようになった。

私がこの本を読んで感じたことは著者が伝えようとしていることから少しずれている気もするからきちんと咀嚼消化するために何度も読み返したいし、文中で引用している作家や詩人の作品も興味を引かれるものばかりで、久々に読書欲が湧いた(これ、翻訳がとても心地よいのも胸に響いた理由のひとつだと思う)。

気がねなく旅ができるような世界に戻った時は、少ない荷物の中にこの本も入れていきたい。



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